GREEN DAYとブロッコリー
皆様はストレスが溜まった時、お決まりの解消方法はありますか?
Warnig
Basket Case
皆様はストレスが溜まった時、お決まりの解消方法はありますか?
White Strypsで彗星の様にシーンに表れ、革新的で伝統的なロックを鳴らし天才の頂きでロック音楽を牽引し続けるジャック・ホワイトと、穏やかで甘い唯一無二の歌声と、オルタナティヴでナチュラルなメロディーを武器に活躍しているブレンダン・ベンソン。
アメリカ南部、デトロイトが同郷の2人が、同じくデトロイト出身のGreen Hornsのリズム隊と結成したオルタナティヴロック界きってのスーパーバンド'The Raconteurs'。
数十年前から瀕死だったロック界において、初期衝動的でありつつ異様な程のクオリティのロックを叩き鳴らし、2006年1stのリリース直後からそのオーセンティックさで圧倒的な支持を獲得する伝説のバンドに瞬時になった。
2008年2ndの名盤ぶりも今でも記憶に新しいロックファンは多いが、その後は各々の活動に戻り、その2枚のアルバムを残しラカンターズはもう伝説のまま額縁に入れられたのだと思っていた。
当時ライブに行きそびれた僕は、また一生見れないバンドが増えてしまったと、ヘヴィにラカンターズを聴きつつ悔やんだ10年間を過ごしていた。
そんな2019年初め。
突然シングル曲をリリースし、更には単独公演決定&NEWアルバムも制作というニュースが飛び込んできた。
声にならない声を上げ、嬉しさを抑えきれない日々を過ごし、圧巻のライブを会場で見れた事は早くも今年1番の思い出だ。
そのライブでも何曲かこの3rdアルバムからの楽曲も演奏していて、このアルバムのリリースもめちゃくちゃ待ち遠しかったが、ついに6/21にリリースされた。
超強力なロックアルバム。
その強烈であり味わい深い印象は1stとも2ndとも何も変わっちゃいない。
彼らのルーツであるアメリカの南風に乗せた、荒野の真ん中でどこまでも空気を切り裂く様なギターは、一発でこれがロックなんだと分からせるアジテートだった。
まるでロックの無い世界の荒野で彼らだけで鳴らしているようで、都会の真ん中でAir Podsで鳴っている事に全く違和感のない、超越的本物感。
ロックが終わっちまうんじゃないか、と不安になる昨今、このアルバムは大いなる勇気をあまりにユージュアルにくれたのだ。
そんなロックアルバムに想いを馳せます。
The Raconteurs - "Help Me Stranger" (Official Music Video)
あまりにもナチュラルに聴きやすく、それでいてロックならではの鳴りと揺れのグルーヴを醸すタイトルトラック'Help Me Stranger'は、日本の千葉のレトロな街でMVを撮ったらしい。
このメンバーに街で会ったら顎外れるくらい口が塞がんないだろうな。
そんなチープな想いを馳せたくなるくらいナチュラルに、ロックのアンナチュラルが響くから、このアルバムはモダンで全時代的なのだ。
ロックが終わるかもしれない時、救世主は人知れず現れる。
それが彼らと言ってしまうのは簡単だけど、それさえ彼らの的を射てないんではないか。
The Raconteurs Perform 'Bored And Razed'
確かに、無骨さとモダンさを同居させたオープニングトラック'Bored And Razed'の様に、引力は抜群。
無骨なほど即興的でありながら、激しく甘い。
彼らの表現力の高さとカリスマ性が、余りにレベルの高いアーティフィカルなものになって、ド迫力の音圧と同時に耳を掴む。
この堂々としたロックのパワーを、彼らはあまりに自然に慣らしてみせるのだ。
ロックが瀕死だとか、そういう切迫感はない。
アメリカ南部のデトロイトでロックを聴いて育った彼らには、余りにも普通で世界でロックが終わろうと、俺達はこれを選ぶけどね、っていう超自然発生的な余裕がある。
元々ラカンターズというバンドもそういう側面がある。
何回目かのリピートを終えてふと思うに、ロックは酒みたいなものだ。
梅雨である。雨の季節である。
という事でブログのテーマになる企画、音楽とサッカーの橋渡しfootballsoundtrack番外編、雨に唄えば編をお送りします。
Creedence Clearwater Revival: Have You Ever Seen The Rain?
数々、雨をテーマにしたロックな名曲がある。
雨って言っても種類は色々だ。
土砂降りから小雨まで、或いはもっと広く光景を捉えれば雨上がりの表情や虹だってだって一部だ。
雨のお陰で、何か想いを馳せられる事も多い。
そんな雨とロック音楽。
鮮やかに雨の情景を描いた美しい曲、雨を見つめながら物思いに耽るような思慮深い曲、雨でも変わらず明快にバカやりたい曲….雨をどう捉えるかもバンド次第。
雨の日外を歩きながらだったり、窓の外の雨を眺めながらだったり、雨の中で傘差さないで踊りながらだったり、雨上がりの匂いを感じながらだったり。
そんな雨に映えるオルタナティヴなロックソングを1987年生まれ的に厳選しました。
TravisもOasisもFoo FighteesもBeckもWeezerもNUFNも、ELLEもアジカンも斉藤和義も美しい曲で雨に唄ってみるソングリスト。
是非聴きながらご覧頂き、素敵な暇つぶしになれば幸いです。
Travis - Why Does It Always Rain On Me? (Official Video)
僕らの世代が、未来に誇るイギリスロックの良心Tarvisの伝説のレイニーチューン。
フジロックでもグラストンベリーでも、まさに曲が始まろうかと言う時に雨が降り出したという、寓話みたいな伝説を持つ1999年発表のこの曲の内容は、そんな凄みとは対照的に優しく穏やかなユーモアに満ちている。
柔らかいテンポと物憂げなメロディー、そしてノスタルジックに広がるフランの声。
元々はボーカルのフランが自身の雨男っぷりにうんざりした所から生まれたリリックも、まるで自分にだけかのように振り続ける雨を、ため息付きながらテンダーに見つめられる温かさがあるからこそ、自然と溶け合うのだ。
心が弱くなっている時、一生晴れないのかもしれないという孤独な想いと、薄明るい雨の情景を見事に歌いきった稀代の名曲。
何十回と雨の日に聴こうが、また雨が降れば聴きたくなる奇跡の一曲である。
Oasisの中でも指折りの名バラードも雨に合う。
1995年の2ndアルバムに収録、それ以降彼らの曲の中でも特別な曲で有り続けてきた。
最初に聴いた時はこんなメロディーのいい曲、伝説の誰かのカバーに違いないと思った、というオアシスあるあるの1つでもある。
まるでスローモーションで雨粒が落ちていく光景を浮かべられる、アンニュイさを濃密に醸す、でもどこか自然体に美しい浮遊感を持つ。
オアシスの空間を染め上げるレベルのグッドギターメロディーは支配的で、その中央で1ミリもブレないリアムのボーカルに掴まれ、降りしきる雨の中、この世界に彼らと僕らしかいない様な空想に包まれる。
こういういつの間にか全ての景色が、鮮やかに色づいていく様は名曲にしかない特権だ。
全くの造語だと言う’シャンパン・スーパーノヴァ’が空に、というフレーズもどこか雨模様とリンクさせても面白い。
WeezerのNo1キラートラックは、くもり空にこそ映えるのだ。
1994年1stのブルーアルバムに収録されて以降、オルタナティヴパワーポップの金字塔として愛され続けるナンバー。
世界一物憂げでメロウなギターリフが流れれば、溺れる程のメランコリアに包まれるウィーザーワールド。
そのリフを中心に、メロウでポップな瞬間を散りばめつつも、曇った憂いを伴いながら妖しく進むサウンドは、切なすぎるフックを持つ。
曇天を裂くような雷鳴の様なノイジーなギターカットに頭の中のコードを外され、不安定さを孕んだ心模様と雨雲の曇天がリンクする様で胸が熱くなる。
もちろん、雨じゃなくても映えるが、Weezerサウンドという特性が活きる、暗く気分を落としそうな雨模様の時にも聴きたい1曲。
Red Hot Chili Peppers- Naked In The Rain
トンデモグルーヴィーなRed Hot Chili Peppersのレイニーソング。
1991年の名盤ブラッド・シュガー・セックス・マジック収録。
立体的で複雑に絡み合う情熱的なサウンドラインと、強力なフックの聴いたメロディー。
雨の中でもいつもと変わらず裸になって狂った様に踊る、ハチャメチャな衝動感は終始曲を彩る。
どこか何時ものカラッとした音だけでなく、湿度の高さを入れ込めるのもレッチリの表現力ならでは。
Green Day - Brain Stew/Jaded [Official Music Video]
Green Dayの初期のオルタナティヴなロックチューンも降りしきる雨の中で聴きたいと思える。
4thアルバム’Insomniac'から1995年にシングルカットされた、’Jade’とのメドレーナンバー。
ローファイに歪ませたギターリフとビリーの声で’眠りたいけど眠れないんだよ’と始まるタイドな1曲。
ぐちゃぐちゃの脳みそ、というタイトルの通り、頭の中が整理できないままベッドの上で怠惰に時間が過ぎていく様子を歌ってる。
キャッチーなサウンドが武器でありながら、時折みせる深い陰りこそ彼らの魅力の真髄で、混乱した頭の中をオルタナティヴなロックサウンドで見事に表現し切る。
雨の中、一歩も外に出たくない日に、ずっと家で聴きたい1曲。
オルタナ宇宙人Beckのアコースティック・フェイズの名曲。
Beckの創作パターンでミクスチャーパンク的な作品とアコースティック的な作品を交互に発表するというパターンがある。2002年発表のこの曲は、そのアコースティック的側面の最高峰だ。
アコギの自然な音が漂う穏やかなフィーリングに、浮遊的で幻想的なエコーをかけるデジタルな味付け。
コズミックに宇宙的な聴き心地は、普通の雨だって違うように見えてきてしまう音楽の力。
ベックの声は非日常を彩る大事なファクターなのだ。
人類の誇るギターレジェンド、Eric Claptonのギターポップ的名曲。
1970年、もう50年前の曲とは思えないほど完成されたメロディー。
ビートルズかと思うほどキャッチーに跳ね上がるポップネス。
クラシックな曲ほど、雨を楽しむ余裕を感じる。
雨を愛に例えるあたりがニクい。多分一生そんな事僕には言えない。
魔法にかけられたように羽根のように軽やかで浮遊感あるドライヴィンなギターは、カラフルに雨の色を変えていくのだ。
CCRの名曲はHi-STANDARD得意のカバーでパンクになった。
数々のバンドやアーティストにカバーされる雨の名曲、1997年の'Angry Fist'収録このカバーも名カバーだ。
パンク色も色濃い中、抜群のメロディックセンスでしっとりとした感触もきっちり残す職人技。
相変わらずロックへの深い愛を感じるリスペクトに溢れたパンクカバーだ。
彼らの陽性のオーラはカバーにおいても変わらずに、雨だけど晴れやかにするパワーも持っている名曲。
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楽園的なイメージと洗練的なイメージが共存するオセアニアの大っきな島・オーストラリア。
世界第6位の面積の国土には、最近パソコン開くと出て来る「気に入りましたか?」みたいな壁紙にいつか出てくるだろう、美しいグレートバリアリーフと巨大なエアーズロック、最先端のスタイリッシュ建築まで揃っていて、雄大な自然と多様な文化が混ざり合う大陸らしい独特で強靭な風土の国になっている。
豪州という呼ばれ方が国名の略称の中でもトップクラスに心地いい。
だから行ったこと無くても凄く存在感がデカイ外国なのだ。
オーストラリアといえば何を思い浮かべるだろうか?
行ったことがない1987年生まれの僕からしたら、ベタにコアラだカンガルーだから始まり、長澤まさみが世界一可愛かったセカチューのエアーズロックだ、テニプリがビームとか出す前の超初期のオーストラリアンフォーメーションだ、水曜どうでしょうの縦断だ、中田がPK外した黄金世代のシドニー五輪だ、と色々浮かんでくる何かと気になる国。
そしてロック音楽大国なのだ。
地理的に文化の結節点となり、あらゆるミュージックカルチャーが大胆に吸収され大陸的であり、独自のロックカルチャーの流れを自然と汲むバンドたちは、絶妙な存在感で僕の心に刻まれる。
一見するとわからなくて、あのバンドそうなんだ、と思うこともあるクオリティの遜色の無さもありながらも、大陸的なオルタナティブさが雄大に作用して世界のロックシーンを引っ張るバンドが出て来る事もしばしば。
今回はそんなバンドを1987年生まれロック好き的に11個選んでみました。
雄大さと自由さが上手く醸造されて、実に味わい深く力強いロックのキレの良さ、フジロックも御用達でアップルがiTunes関係のCMでも乱起用したりと世界もほっとけない輝きを放つのだ。
行ったこともないが、何かと僕らの目に耳に飛び込んでくる巨大なオーストラリア。
こういう音楽の聞き方もある、今回はオーストラリアという地域に区切ってのロックコラムだ。
素敵な暇つぶしになれば幸い。
オーストラリアンロック最初の開拓者にして、世界的なレジェンドになった超巨大バンド。
1978年のアルバム'Back In Black'は世界で5000万枚を超える天文学的な売上で、その上を行く売上は歴代でもあのマイケル・ジャクソンのスリラーしか存在しない。
つまり史上最も売れたロックアルバムを作ったのは、オーストラリアのバンドなのだ。
もじゃもじゃ半ズボンのアンガス兄弟のリフを中心にした音は、無骨で強力なハードロックサウンドでありながら、エネルギッシュで色気があって実にキャッチー。
かなりパンクなバンドのバイオグラフィーの中で、メンバーチェンジが多くともブレないぶっといロックスタイルは大きな自信に満ちていた。
パンクロックビックバンをデコピンで弾き飛ばす程の、桁違いのロックパワーでロック界で最もオルタナティヴ=パーフェクトなまま頂点に居続け、ロックのオーソドックスさを強靭に叩き上げる精神とパフォーマンスは世界中のバンドの敬愛を集めてきた。
'Back In Back'の人類史上最強のロックリフに電撃を浴び続ける限り、きっとこの世からロックは不滅なのだ。
AC/DC - Back In Black (Official Video)
そのAC/DC以来、オーストラリアのバンドとして20年ぶりにローリング・ストーンズ誌の表紙を飾った純度100%のロックアイコンThe Vines。
Nirvana meets Beatlesと称された、今にも壊れそうな荒々しさと今にも壊れそうな美しさが、爆発寸前で同居するサウンドがどこまでもナチュラルに鳴っていたパンクさ。
オーストラリア史上最高にパンクなフロントマン、クレイグ・ニコルズのキャラクターに大きく左右されたバンドは、不安定で破天荒で、そして苛烈で世界で一番カッコ良かったのだ。
再びオージーロックから世界を制すと共に、00年代ガレージロック・リバイバルの大陸からの担い手として、ロックそのものを救ったんじゃないかという稀代の評価を得る時代性を越えるバンドだった。忘れたくない大好きなバンド。
'Ride'はipodのCMでも使われたキャッチーで攻撃的なギターロック。
'Outtathaway'の緑のパーカー姿は一生目に焼き付いているほどアイコニックだ。
’え?これカバー?’と頭が考える前に身体が動き出す華麗なロックンロール、快楽度合いは天井知らずなそのビートをモダンに蘇らせたJETは、オーストラリアから世界にロックンロールの灯をつけた。
2003年アルバム'Get Born'の衝撃は強烈で、ガレージロックリバイバルとはこういう事か、ロックンロールが蘇るとはこういう事か、と瞬時に理解できるロックンロールの原初を鮮烈に色付けしたサウンドは、大げさでなく当時世界を席巻していた。
フジロックにはデビュー前にすでに出演していて実に親日なバンド。
オージー・インベイジョン・ツアーというツアーを前述のヴァインズと一緒に行っていた事もある近代オージーロック最重要バンドの1つ。
数々のタイアップと表彰を受け、ゴキゲンなロックンロールサウンド・似すぎとまで言われたクラシックへのオマージュとセクシャルなパフォーマンスで彼らの代表曲'Are You Gonna Be My Girl'は誰もがその再点火に歓喜した時代を彩るキラートラックとなった。
Jet - Are You Gonna Be My Girl
現代のオーストラリアの国民的バンドで2000年代オージー・インヴェイジョン三銃士の1つにして最初のバンド。
1994年結成され、GreenDayのオーストラリア公演のサポートから火が点いたバンドで、パンクロックのアティテュードにロカビリーのエッセンスを取り入れたスタイルが抜群にキャッチーでオルタナティブだった。
ポップパンクブームとも少し一線を画される、クラッシュとかイギー・ポップ寄りのオリジナルなパンクのリヴァイバルに近い音、それも抜群の技術でタイトに鳴らされる彼らにしか出来ない=オルタナティブに繋がるバンドの理想形が彼らだった。
'Roll On'は彼らの味わいの詰まった看板の一曲。
The Living End - Roll On (Video)
何故か毎回彗星の様に現れる今最前線を走るポップロックアイコン。
元々はYouTuberという現代らしい経緯もポップパンクの間口の広さ・裾野の広さを象徴する進化の証でもある。
ボーイズグループと勘違いされがちだが、ポップバンドとしてきっちり演奏するイケメン4人組だ。
ポップソングをカバーできる鮮やかなポップセンス、本人達もカバーしてたがAmerican Idiotが最初に買ったという世代が脈々とポップにパンクに時代の先頭に立つのは、イケメンだから、と腹が立つ前に普通に嬉しい。
億超えの再生回数を誇る曲も多いがやっぱりアメリカン・イディオットのカバーが彼らを象徴していて好き。
5 Seconds of Summer Covers "American Idiot" On The Howard Stern Show
2012年にシドニーから出現した3人組、天才オルタナティブロックバンド。
オアシスの再来と言う「またまた…」という触れ込みの斜め上を行く、超独自路線のオルタナ的ソングライティングセンスと、全く異質の良さながら触れ込みに存分に比肩しうるグッドメロディーぶり。
超メロディアスでタイドで、マッドチェスター?いやブリットポップ?あれREM?とさ、まざまな香りを香らせながらスルスルと掴みどころ無く雄大に鳴る不思議なポップ・ロック。
雄大過ぎるオージー屈指の素朴な才能のデカさは、初めて聴いた時からちょっと只事ではない感がずっとつきまとう。
'Your Low'は超絶タイドなグルーヴにマジカルなポップネスの絡んだキラーチューン。
ちなみにライブの時はバンドの人数が倍になる。
DMA's - Your Low (Live) - Vevo UK @ The Great Escape 2015
1979年に生まれカート・コバーンの死で揺れた1994年に結成したオーストラリアの伝説的なバンド。
グランジを引きずる世界のド真ん中を撃ち抜くアツく重い曲を15歳にして作り、あっという間にオージーで世界で大成功を収めた。
サウンド・ガーデンやパールジャムや、もちろんニルヴァーナのアルバムと共に彼らが15歳で作ったアルバム’Tomorrow’はグランジ・ロック史に残る事になった。
こういう唐突もない突出した才能ってのも底の見えないオーストラリアらしい。
2011年の活動休止までグランジからポップネスを昇華した独自のサウンドデザインも賞賛を浴びたが、やはり'Tomorrow'のピュアで鈍く眩しいグランジの炎のような燦めきは何年たっても聴き続けたい。
Silverchair - Tomorrow (Video/Australian Version)
メロコア/メロディックパンク好きには外せないオージーパンク界の大物バンド。
世界中の数々のバンドが芽吹いたメロコアパンク旋風で、こうやってオーストラリアのバンドと出会えたのは嬉しい限り。
キャッチーでファストでメロディックなパンクサウンドは、どこか他のバンドより大らかで途轍もなく聞きやすかった。
きっとオーストラリアのパンクキッズが、こっからバンドやろうぜ、ってなるのが余りにも自然なロールモデルたる純然なポップパンクサウンドは確実に時代を紡いでいる。
'Not The Same'のキラーチューン辺りは世界的にクラシックスとして広まる、仮に知っていなくとも頭振れる超キャッチーなポップパンクソング。
オーストラリアのストリート・パンクシーンから世界に飛び出したパンク界隈では噂のバンド。
超気になっていたYouTuberのバンドなのだ。
ドラマーのKye Smithは元々ノーエフやブリンク、サムにグリーンデイと言ったパンクバンドからBECKやフーファイまであらゆるドラムをメドレー形式で叩きまくり大人気のYouTuberだった。
そんな彼のバンドもファットレック直系DIY精神に溢れるストリートなパンク。
Kye SmithのドラムカバーYou Tubeチャンネルも一見の価値あり。
Local Resident Failure - Around the World [Official Video]
Green Day: A 5 Minute Drum Chronology - Kye Smith [HD]
モジャ毛のロッカー、アンドリュー・ストックデイル率いるハードロックバンド。
70sを思い起こさせるエレクトリックでサイケに’魅せる’音でギンギンのハードロックを鳴らし、世界中から絶賛を浴びグラミー賞まで獲った。
寝かさられ良い感じに醸造された抜群のオーセンティック感はずば抜けてエロかった。
オリジナルメンバーはもうアンドリューしか残っていない。
'Love Train'もオージーロック大好きAppleのCMで使われ全世界で死ぬほど流された。
Wolfmother - Love Train (Official Video)
各方面から絶賛を浴びる現代最高のサイケデリック・ロックバンド。
70年代ラブ・アンド・ピースの時代だからこそ花開いたサイケデリックロックを、モダンに昇華させる神業的な音創りで、今世界最高にアーティスティックなバンドの名をほしいままにする。
陶酔感の深さとか、ドリーミーな世界感の支配力では現代では比肩するものがいない、魔術的で究極の自然的な’体験’となって身体に浸透していく。
凄すぎて怖くて、まだ深く聴いていない自分もいる。そんな自分も納得できる飲み込まれそうなほど深くデカイ時代を背負ったバンド。
Tame Impala - Feels Like We Only Go Backwards
オーガニックギターの神様ジョン・バトラーを中心に結成された神業ジャム・トリオ。
サーフ・ファンクを独自にミックスさせ、超絶技巧によって成る究極的にナチュラルなグルーヴは人類の財産。
ギター1本でコレだけの人を静まり返らせ、全く同時に心を動かせるのは今この人しかいないのかもしれないと思わせる、音楽の力を最も感じる人物は雄大なオージーの文化から生まれた。
フジロックのヌシでもある。
John Butler Trio - Ocean Live @Fuji Rock Festival '10
John Butler Trio - "I'd Do Anything" Live from Red Rocks
あらゆる音楽が混ざりあい、醸造されたからこそ独特の香りになって花開いたオーストラリアのロック。
或いは、だが、きっと世界の中心たる場所でなる音楽はこういう事をいうのかもしれない。
世界中を巡り巡って、時代を超えてきた音が、雄大な大地の元に帰るように。
天の川がそのまま落ちてきた様な燦めきも雄大な大地はしかと受け止め、再び新たな流星を空に流していく。
そんなロマンチックな光景すら浮かぶ、オーストラリアのロック。
これからも是非、注目していきたい。
それではまた別の記事で。
曲の中の歌詞に、他のバンドの名前が、単語として出て来る事がある。
こういう曲のジャンルに、誰か格好いい名前をつけて欲しい。
聞いてて分かるとドキッと心が躍り、その関係性にゾクゾクしてくる音楽ファン悶絶の瞬間。
彼らも、あの彼らを聴いてたのか。
大体想像通りのバンド名が出てくると、感動の電流が流れじわーっと胸に幸福感が広がる。
バンド名というワードだけで音楽ファンにとっては一般的なワードより多くの情報量を詰めることが出来るし、’ロックバンド’という単語が何よりもロマンのあるモノなのだ。
横の繋がり、縦の憧れ、たまにディスり、彼らもあの時聴いてたあのバンド、単純に強い意味を込めた単語として使用する、色んな形で出て来る。
曲の中にバンド名が出て来る、それだけでスペシャルに鳴るロックソングの11選。
今回は歌詞も覚えてて、思い入れのある曲を1987年生まれロック好き的にピックアップしました。
きっとまだまだあるはずなので、見つけ次第追記していきます。
音楽ファン垂涎の浪漫飛行コラム。
素敵な暇つぶしになれば幸いです。
永遠のポップパンクアイドルSimple Planの1stの最後の曲に収録され彼らのライフアンセムになったナンバー。
'This is Who I Am and This Is What I Like.GC,SUM and BLINK and Mxpx Rock'n My Room.'とキャッチーでロールなリフに載せて、その瞬間は冒頭から訪れる。
「これが僕の好きなモノ、グッドシャーロットにサム41にブリンク182にMXPXが僕の部屋でなるのさ。」
と、憧れのポップパンクバンド達の名前が、小気味よく畳み込まれる。
彼らより少しだけ先輩のポップパンク旋風のド真ん中にいたヒーロー達。
それが鳴り続ける暮らしを選ぶのだ。
親や教師が眉をひそめる事に気を配って、その部屋から出る、ライブハウスに行かなくなるっていうあんたらの言う成長はクソだ。
ポップなパンクの蒼いエネルギーが純度100%でキャッチーに鳴り、シンプルプランならではのファニーな朗らかさが満点、それを相乗して加速させるパワーワードのバンド達には、’そんな生活最高だよな’って途轍もない説得力が有るのだ。
今度はMXPXからSimple Planへ向けて。
'When Face To Face destroyed our van Our freezing balls, crossed Canada with Simple Plan Or stealing third, from Bad Religions dressing room''とメロコアパンク神バッド・レリジョンの名前も出てくる。
クラウドファンディングで制作費を募り実現した、2018年のモダンなパンクアルバムに入った一曲。
彼ららしい爽やかなスケートサウンドのMXPX版これが俺の生きる道。
リフとビートとボーカルが箒星の様に火花引きつつ流れていき、ナチュラルに枯れた良いムードがポップになりすぎずどこまでもリアルで、ほんの少しだけ立ち止まり振り返る事の出来るベテランならでは味わいすらある。
こんなに年取ってちょっと弱音が溢れそうだけど、 でも今これだけ爽やかに高らかに宣言できるポップパンクライフストーリーは間違いなく本物で、絶対に自分たちだけじゃ出来なかった。
数多くのバンドがきっといるはず、もちろんシンプルプランとの関係性は飛び抜けて良くても、このお互いたくさんの年を過ごしたタイミングで名前が出てくる事は両バンドのファンとしては嬉しいし、どこか上のGrow Upに対するお返しみたいな想像までしてしまう。
Green Day - Amy [Unofficial Video]
27才の若さでこの世を去った稀代の歌姫Amy Winehouseへ捧げるグリーンデイのバラッド。
ポツリポツリと鳴るアシッドで艷やかなギターメロディーに優しく抱きしめる様で大きな愛情に溢れる声。
パンクシンガーの攻撃性を脱いだナチュラルな姿、これぞビリー・アームストロングのシンガーとしての本領だ。
'Amy Don't You Go.I Want You Around'
グリーンデイより年下の後輩シンガーでありながら、その死に大きなショックを受け自らの公式サイトにいち早くこのリリックを載せた。
圧倒的な存在感の清涼な歌声を持っていつつ、パンクな姿勢でオルタナティブな存在だったエイミーと、パンクなアイコンでありながら稀代のロックシンガーであるビリーは、どこかシンパシーのある存在だったのかもしれない。
そう思わせるには十分な程優しいし、純粋な音楽家同士の愛が華麗なレトリックで彩られ降り注ぐ音は心に残る。
Weezerのソングライター、リバース・クォモに影響を与えたハートソング「心の歌」を自伝的に振り返った1曲。
指の滑る音まで暖かく聞こえるギターのしらべに乗せた全キャリアにおいて最高のアコースティックバラッド。
穏やかなレイドバックからパワーポップビートを帯びてついに彼らの曲がハートソングとなるのだ。
アバからアイアンメイデン、ジューダスプリースト、プリンスにマイケルに、ニルヴァーナと幅広くボーダーなど無い音楽愛に満ちた名前達。
焚火の前でCDラック眺めてるような、優しくオーガニックな浮遊感はリバースのメロディーセンスが冴えるし、徐々に熱を帯びるハードなサウンドも彼らの真骨頂的で、音的にもライフストーリーを彩るよう。
'Michael Jackson's in the mirror' 'Had a baby on it, he was naked on it'
「マイケル・ジャクソンは鏡の中に」「そこには裸の赤ん坊が映っていて」
こういうリバースらしい奥ゆかしい表現も凄く好き。
アメリカを代表するポップロックバンド、Bowling For Soupの代表作となったキラーチューン。
もともとは同年代に活躍したちょっと先輩のSR-71というバンドの曲で、その曲の世界観に心を打たれたカバーを頼み込んで了承をもらったらしい。
デビーという名のしがない主婦を主人公に、彼女が1985年に青春時代を懐かしみ現実を嘆く姿を明快でちょっと切ないポップパンクサウンドに乗せる。
ブルース・スプリングスティーンにマドンナやニルヴァーナがMTVを席巻する少し前の時代。
U2にブロンディーにワム!にモトリー・クルーと、アメリカン・ロックの当時がわかるストーリーも僕らの知らない世界。
もう途轍もなく良いポップメロディーセンスと鮮やかにザラつくギター、そこにストーリーの相乗効果でセピアな色彩が信じられないほど鮮やかに広がり、それこそパーソナルな想いも投影し涙が出てくる様なエモーションが迸る名曲。
NOFX - I'm So Sorry Tony - with Lyrics
最もパンクを貫く現役最強パンクバンドNOFXが贈るNo Use For A Nameのボーカルで2012年急死したトニースライへの献歌。
’お前より凄いソングライターにあったことない’
’トニーの悪口を言ってる奴にあったこと無いよ。アイツが作った歌みたいだろ?’
いつも吐き捨てる様な中指立てまくりのリリックとは違う、本当に真っ直ぐで純情な友情は、社会のはみ出し者のパンクス同士だからこそ美しい何かがある。
ファット・マイクの涙も枯れた様な語りから、まるでNUFNの様な爽やかなポップパンクサウンドに乗せて、トニーへ届けと歌う。
残された子供達への描写や、自分も怖くなったって赤裸々な言葉、更には最後にもっと話したかったという後悔の念で、I'm Sorryという言葉になっている。
そういうマジな思いを言葉にするのも、パンクスならでは。
ELLEGAREDENのボーカルでありソングライターの細美武士が敬愛してやまない、Weezerのボーカルギター、リバース・クォモへ捧げたショートチューン。
事ある毎にWeezer愛を語る細美にとって、最高級のリスペクトを結晶にしたこの歌は、クォモやウィーザーというワードこそ出てこないものの、ファンであれば心から頷ける鮮やかなトラック。
泣き虫ロックだ、弱虫だ、と言われてるけど、それは唯一無二で貴方だけしか持ち得ないめちゃめちゃ素敵なマインドだ。
ファンとして、そしてミュージシャンとなった時、ますます深まる愛を曝け出したメッセージ。
王道なんか無くてもいい、と教えてくれたのはWeezerであり細美武士だったのだ。
ざらつくギターと呆気にとられるほどのポップさ、Weezerっぽいパワーポップサウンドを凝縮したサウンドデザインも素敵。
誰もがうっとりするサーフロック・バンド、シュガー・レイの夏にピッタリのレイドチューン。
Run DMCだったり、Culture Club,The Crash,Men Without Hatsといったレジェンドの名前が出てくる。
海沿いの道路に車を停めて、夕日を眺めて、その車から流れてくる美しいロック達。
あの夏の情景というテーマで歌わせれば、シュガー・レイは多分歴代最強かもしれない。
あらゆる人のパーソナルな情景にもリンクする、鮮やかなソングライティングは圧巻。
上のボウリング・フォー・スープの'1985'の原曲を作った、SR-71のナンバー。
'1985'でもそうだったけど、あの頃に強烈な想い出を残してきた、という郷愁的・懐古的なテーマが得意なバンドなのだ。
まさしくガンズ・アンド・ローゼスのアクセル・ローズがタイトルになっていて、80年代に黄金期を迎えていた歌の主人公が、”アクセルはどこへ行った?”と、取り残された現状を嘆き、そして強がる一曲。
The VinesとThe White Stripesについていけない、というワードも出てくる。気付いたら僕もそんな事言ってるかもしれない。
そんなセンチメンタルさを絶妙に倍増させるメロディーワークが伝えていきたい一曲。
日本のロック界を震撼させた、シンガーソングライター椎名林檎という存在を、歴史に刻みつけた最強の1曲。
ベンジーことBLANKEY JET CITYのボーカル/ギター、浅井健一が登場する。
どこまでも赤裸々で容赦のないワードの飛ぶ椎名林檎的シティロック、その象徴となる’そしたらベンジー、あたしをグレッチでぶって’というワード。
どこまでも淫靡でリアルで、衝撃的でロック的な愛情が、色んな人の目を覚まさせた「誰か」の歴史を動かし続ける驚異的な一曲だと思う。
日本の誇るシンガー・ソングライター、斉藤和義の古き良きレトロな名曲。
ビートルズの名前が、怠惰で冴えない生活の対比、TVの中という憧れの先で出て来る。
「おじさんは言う。あの頃は良かったな。解る気もするけど、タイムマシンはない」
多分死ぬまで後100回くらいは思いそうな事、ズバッと鮮やかに言ってくれるじゃないか。
胸を締め付けつつ、爽やかに感情を煽る、斉藤和義の声は日本のシンガーとして後世に残したい。
きっと、恐れ多くて、リスペクトが強すぎて、そのバンド名を使えないって事もあるだろう。
まとめながらそんな事も思った。
ただ、ここに出てくるバンド達も、並々ならぬ思いをそれぞれ言葉と音にしている。
それが僕らの耳にも、さり気なく届いた時、こっちも並々ならぬ幸福感で満たされるのだ。
それではまた、別の記事で。
1.Dive
気怠く重いグランジーなベースから、ノイズが漏れ広がる様な重いアンダーグラウンドなサウンドが、この妖しいアルバムの冒頭を飾るにはぴったり。
ライブでも度々演奏される準オリジナルなナンバーで、一曲目に持ってきたことからも彼らの記名性が高い事が伺える。
重く鈍い音に絡みつかれながら露悪的に叫ぶ重苦しい高揚感はNirvanaならではだ。
2.Been A Son
Nirvana - Been A Son (Live at Reading 1992)
爽やかですらあるアッパーなグランジロックナンバー。
一転して重みを取っ払って、ナチュラルにキャッチーに膨らむバンドサウンドは心地よく穏やか。
でもどこか空虚で、ライトな感触が逆にシニカルに響くNirvanaの切り口は重く画期的。
3.Turnaround(Devo cover)
アメリカのニューウェーヴバンド、デーヴォのカバーソング。
ニューウェーヴパンクっぽい混じりけのあるシンプルなラインの音に、ざらついたカートの声がアイコニックに映される。
どこかオートマティックな打ち込みの様な虚無性が中毒的な名カバー。
原曲はコチラ。
4.Son Of A Gun(The Vaselines cover)
スコットランドのオルタナティブロックバンド、彼らが心から敬愛するヴァセリンズのカバー。
このカバーによりヴァセリンズの評価が高まるきっかけともなったらしい。
穏やかながら濃密な原曲の良さを、パンク的なアプローチで昇華した見事なカバー。
童謡の様にキャッチーで晴れやかなポップさが、広範囲に広がるグライムなサウンドに乗っかる、見通しのイイ良曲。
原曲はコチラ。
5.(New Wave) Polly
2nd'Nevermind'の傑作ミドルナンバー、Pollyのセルカバーバージョン。
より鮮明になった音の彩度は正にニューウェーヴの妙技。
もちろん名曲の良曲度はずば抜けているが奇妙な相性の良さを感じさせどこか心に残り続ける良い変換。
6.Aero Zeppelin
エアロスミスとレッドツェッペリンをもじった、不穏で粗暴な一曲。
妖しく暗闇を滑空するようなサウンドと、破壊的なドラミングにバラバラにされた様なギターメロディー、どこを切り取ってもダークな攻撃性に満ちてるエゲツなさ。
カートのボーカルの熱量も凄まじく、毒々しさの中に爽快さすらある。
ヘヴィなスモッグの様な重いサウンドの奥に、憧れのバンドへの羨望や疑問、自己嫌悪とか怒りが渦巻いている激しいエモーショナルの濃縮された一曲。
7.Aneurysm
Nirvana - Aneurysm (Live at Reading 1992)
スメルズのシングルのB面曲だった隠れた名曲。
ライブでもよく演奏する変幻自在のグランジナンバー。
轟くような音から、アクセルを加減しながら緩急をつけて襲ってくる、ささくれ立ったギザギザの音の塊に圧倒される快感。
コーラスの不穏さも、暗く重いメロディーも、轟音のサウンドも、カートの雄叫びも、最後の曲にしてニルヴァーナらしい一曲。
Beat Me Outta Meの連発はバカ格好いい。
ニルヴァーナらしいBサイド集
以上いかがでしたでしょうか?
好きだけど簡単には理解出来ない、究極的に厄介な魅力をもつニルヴァーナを、さらにごった煮にして詰め合わせにしたインセスティサイド。
辻褄を合わせる様に有るものを詰め込んで作られたこのアルバムは、だからこそナチュラルにルーツを感じられたり、ロックへの憧憬を感じられたり、異端な狂気を感じられたりする、逆にニルヴァーナらしいものになった。
是非知らない方・敬遠していた人も聞いてみて欲しい。
本日はここまで。
それではまた別の記事で。
歩みを止めたバンド達にも様々な理由があるし、それによってはこのモノクロームな感情にも差がある。
Nirvana - Polly (Live at Reading 1992)
ニルヴァーナで言えば、僕がリスナーとして彼らを認識・理解できる頃にはもうカートはいなくて、時代が近かった・その音楽性の温度故にその熱量を感じられるからこその寂しさという思いでもあった。
ただ世代的にもタイムリーにそのバンドを聴いていて急にそのバンドを失った時の喪失感はまた、途方も無いものだった。
特に最も悲劇的な死という別れはどうしてもロックバンドから無くなる事はなく、そして喪失感とともに’完全にバンドが終わる’という絶望感もついて回る。
2009年に志村正彦を失ったフジファブリックやチェスターを失ったLinkin Parkは僕らの時代の音と言っても過言では無かったし、クリス・コーネルは僕にとって最も偉大なシンガーの1人だった。
僕にとって、このケースで最も象徴的だったのはボーカル、トニー・スライの逝去によって時を止めたNo Use For A Nameだった。
No Use For A Name - Dumb Reminders (Official Video)
パンクバンドのフロントマンそしてソングライターとして、その繊細なポップセンスと心を掴むことの出来る美声は、稀有でありながらストリートパンクのド真ん中で鳴り得た奇蹟のバンド。
本当に文字通りパンクファンの誰からも愛された男の死は、大きな大きな出来事だった。
ついぞ僕は一回もライブを見ることは出来なかったし、もともと稀有で特別だった彼の声は更に特別で尊いものとして聞こえる様になった。
それでも彼を慕うパンクバンド達からトニーへ贈る大きな大きな献杯の輪は、もう見ることが出来ないバンドへの想いの馳せ方として1つの形として心に残った。
見る事が出来ないという事は、細分化すれば色んなケースが考えられる。
バンドメンバーの死では無くとも、活動休止や解散は付き物だし、もっともっと細かく言えばメジャー的な言葉で言う全盛期を過ぎたとか、拘った人ならばこの瞬間のこの曲の彼らこそ彼らで、音楽性を変えてしまってはもう見る事が出来ないと言っても良いのかもしれない。
例えば2008年Oasisの解散はロックシーンで事件になるような事だったし、近年の日本のロックシーンで言えばHi-STANDARDやELLEGARDENもシーンを揺るがすものだった。
結果的に、だがハイスタもエルレもシーンに戻ってきてくれた。
Hi-STANDARDに関してはNirvanaと同じく世代はズレていたが、1987年生まれの僕らの青春時代でも絶対的な教科書として存在していたし、逆にその復活の2011年のライブに居合わせたことは、僕もハイスタ世代だ!と声を挙げられる喜びとその権利を手にしたような熱を感じることの出来る人生でも最高の瞬間だった。
復活時の熱量は途轍もなく大きいもの、それをライブの場で感じられた事は僕にとっても幸運だった。
たしかにサマソニで少しだけ見たピストルズはおじいちゃんがパジャマ着てる踊ってるみたいだったし(それはそれでパンク!)、後ろ指を刺される様な再結成も少なくはない。
それでも僕らリスナーが待ってしまうのは、これだよこれこれ!と膝頭を打ち、当時のエネルギーを瞬間着火し爆発させる事が出来るのは、彼らだけかもしれないという想いで彼らを聞き繋いでいるからかもしれない。
Oasisであれば兄弟仲は冷え切る一方でも、ノエル・リアムともにそれぞれのバンドのライブで頻繁にOasisの楽曲を披露。
その魅力は確実に永劫性を持ち出しているし、永遠に聞かれるだろうロックの名曲を目の当たりにした事の凄みは途方もなくロマンチックだった。
絶対に再結成を望む、という機運ではない。
それでも彼らが再び同じステージに立った絵を想像するだけで身震いは止まらない。
そうやって静かに想いを馳せる事がリスナーの流儀的にも良い気がしているのだ。
Oasisほどの世界を制したバンドでなくとも、今となっては聴くことが出来ないバンド、というくくりであれば沢山のバンドが僕の心の中では鳴っている。
あの時、あの頃、現役バリバリで鳴っていたバンド。
それを自分だけの秘密めいたものにしたいという気持ち、それと同じくらいこんだけ格好いいんだぜと分かってもらいたい気持ちもある。
寂しい気持ちもあるが、どこかここまで聴き続けた事に対する愛着は計り知れない。
人は30歳を超えると新しい音楽を探さなくなるという。
全くまるでそんな事もないけど、もし僕らの心に絶対量があるのなら、忘れられないバンドはたくさんあるって事なのだ。
もう聞けないって事も、何処かノスタルジックなエッセンスにして聴き続ける事も1つの想いでもあるのだ。
もう見ることが出来ず、時が止まったバンドは悲しい。
だがそれでも尊いものに出来るだけのカルチャー性もあるのがロックだ。
一番悲しむべきことは忘れられてしまう事だ。
ここまで僕は聴き続けてるんだぜ。
お気に入りの’何か’が出来ると、しばらくそれだけしかいらなくて、それが手元にあるってだけで身体も心も軽くなる事ってありませんか?
その’何か’が、ちょっと世間の流行りとかメインストリームからズレていても、めちゃめちゃ好きなら気にしない方だ僕は。
'I Don't Care 'bout That'なのだ。
ずっとWeezerを胸に生きたいと、そう決めた。
たとえばフェイバリットバンドを10個言えって言われれば、その時々でいくつかは変わるだろう。
でもこのバンドの名前だけは必ず言うはず。ずっときっと1番に。
2019.11.19 リライト
無人島に持っていくアルバムシリーズ4。
音楽友達と良く酒飲みながら話すネタ、無人島に持っていくならどのアルバムを持っていく?という話題。
例えばそこにはサブスクリプションも存在しないとしたら。
誰もが認める歴史的名盤を持っていくのも正解だけど、何か人に言って「おっ」と思わせるアルバムが良い。
無人島でもそういうヤツで居たいのだ。
おもしろかったので記事にしました。のその4。
今回はELLEGARDENの1stフルアルバム'Don't Trust Anyone But Us'をレビューします。
身近なラフさを思い切り感じられる爽快感、陽性で乾いた良質オルタナティヴロックが、ハイセンスでハイエナジーで叩きつけられた最初の1枚。
初期のエルレのイノセントな正義感は、どの1枚も上回れないと今でも思う。
あの時のあふれるエヴァーグリーンの魅力がつまった「俺はこういう音楽を聞きたくてここまで生きてきた」な稲妻は、生涯忘れることは出来ない。
無人島に行く時に、いつまでもこの1枚を最初にバッグに入れたい。
本日はELLEGARDEN 'Don't Trust Anyone But Us'に想いを馳せる。
素敵な暇つぶしになれば幸い。
一年に何回か急にELLEGARDENを聴き込みたくなる。
the Hiatusでも、MONOEYESでもなく、WeezerでもGreen DayでもYellowcardでもNew Found Gloryでもなくエルレを聴きたい、そんな衝動があって、それは僕の中で地球上の僕の知っているどのバンドよりも大きいものだ。
自分の世代の中心で鳴り、当時からきっと一生このバンドは心の真ん中にいるんだろうって確信。
1987年生まれの僕にとってそれはELLEGARDENというバンドだったし、四季折々とかメンタルのコンディションとかで色々聴きたい曲も変わってくるが、そういう時に急に耳に蘇るメロディーは、概ねこのアルバムの音だった。
2002年4月発売されたインディーレーベルからの彼ら最初のフルアルバム。
1999年に結成されたエルレガーデンは、自主製作のアルバムと、ミニアルバム・シングルを経て2002年このアルバムを発表した。
その後も行き急ぐかのように曲を作り続け、ライブバンドとして強靭なプライドを行動に移し、時代のロックヒーローとなった彼らの最初のアルバム。
耳の早いわけではなかった僕は発売当初から聴いていたわけではなかった。
それでも今耳に残るこの一枚は、レトロ感を吹き飛ばし、全く色褪せずにタイムレスに輝く類の1枚だった。
1stらしいラフさとクリアなサウンドがせめぎ合うエルレらしさが濃縮された今やヴィンテージな魅力。
もちろん少し復活してくれた2019年の今、ライブでも主力の曲も多い彼らの中でも定番のアルバムではある。
ただ大きく主張したいのは、初期衝動でありつつも、アルバム通して持っているオルタナティヴな雰囲気は確実に新しい景色を運んできたアルバムで、その時点でエルレの原点としての音楽性が確立されている完成度という事を言いたいのである。
後にも先にも彼らくらいだった。
今まで聞いたことが無くて、ここまで今でも自分の中で聴ける音の輝きを保ち続けている。
きっと僕が喉から手が出るほど憧れて欲しかったものがこの1stアルバムに詰まっていたのだ。
ポップに染まり切らずロックという表現行為の一端を成し、尚且つ永遠の青さを持ったオルタナティブなメロディー。
アルバムの随所に感じるどれを取ってもストレートでキャッチーながら、ロック的に心臓を掴まれる貫通力を持った衝動的なメロディックサウンド。
カリフォルニアの風通しの良さ、日本詩の素朴さ、ミドルチューンの艶やかさ、その全て断トツの聴きやすさでも、仰け反る様なエネルギッシュさを持っていた。
中性的で流麗な発音を持ち且つパワフルでもあるアイコニックな細美の声はバンドサウンドの中央に位置して、自然に共振しオルタナティヴに変化して聞こえてくる。
断トツにクリアで聞きやすい英詞、暖かい日本詞どちらにおいても甘美さと力強さをもった声は、いつの間にか心を囚われる魅力に溢れているし彼のカリスマ性の一端を担っているのはこの頃から明らかだった。
歌以外の部分では言いたい事を言ってくれるパンクなスタンス、それと上手くコントラストとなる部分絶妙なナイーブ感も親近感をより身近で感じさせてくれる。
ギターロックとパワーポップ、そしてパンク的な要素が混在したサウンドもストレートな造りながらただ疾走するだけでない高次なロック性もあった。
メロコア的なビートもあれば、それだけで価値のあるギター中心のバンドの音色みたいなものが、エルレガーデンの中心であったことはその後から見ても明らかだった。
その後、バンドが大きくなっても、その核になる部分には、ラフで青いこの頃の想いを添えていた、そう思わせる初期衝動的なルーツであり、ある部分では完成されていた彼らのサウンドのスタイリッシュなパワーを感じる一枚が、このアルバムなのだ。
少しくもり空のオルタナティブなグルーヴ感と跳ね回るザラついたギターサウンド融合は明快なエルレのサウンドプロダクト。
そのセピア色の最中でも吹き抜けるような爽快感、この絶妙なバランスの風合いがこのアルバムを彩る。
クールかつ痛快な細美の声の後ろで自由に駆け回るギターサウンドが、ぶつかり合わず一体感を持って包むような感触こそ、完成度を物語る心に残るオープナー。
自分の好きな事、という彼らがどこまでも追い求めるテーマはエルレ版サウンド・オブ・ミュージックの始まりに相応しかった。
今や幻の初期の名ラブソング。
雪の夜の光景が目に浮かぶような、美しい寓話的なロマンチックさとエモーショナルに満ちた手一杯の歌詞。
ちょっと照れくさい様が、彼らを紐解く上で重要な一曲だし、ここまで甘いストレートなメッセージは超貴重な一面でもある。
必殺のミドルチューンの中でも彼ら屈指の一曲。後期までライブで良く歌われた。
暗い空高く舞い上がる憂いのギターが美しく荘厳で、シンボリックな優しい音は大きな時計塔の鐘みたいに耳を惹く。
切ない郷愁が滲み出るギターロックバラードはシンプルな構成ながら没入感が凄い。
この洋楽的な魅力も初期の彼らの良さでもある。
彼らの1stシングル。
カリフォルニアにでもいるかの様な、陽性の柔らかい風合い。
キャッチーな音の裏に、確実に型破りな個性をはらんでいる事を伺わせる、ダイナミックなスケール。
こんな曲有ればいいなと、自分が描いていた世界が鮮やかに描き出される、衝撃的な一曲だった。
実は2ndシングル。
日本詞の美しいバラード。ここまでの直球のバラードはサンタクロースと並び今となっては珍しい。
とてもパーソナルな歌詞の描く光景に胸が暖かくなる。
’包み紙がちょっとちゃっちいんだよね’は好き。
オルタナティブなムードの日本詞のパワーポップ。
独特な言い回しが次第にバンドサウンドに押されていく、モノアイズやハイエイタスにも通ずる展開。
オーソドックスながらなんの変哲もない曲にならない、少しひねくれたオルタナティヴな魅力。
それはこの頃から変わらない。
個人的にこのアルバムではこの曲を思い出すキラーチューン。
鳴り響く場所を全て高原の様な爽快さで満たせる半面、早回しのアメリカの街角の映像を見ている様な詩世界。
学校のチャイムの様なギターリフから走り出して、コンパクトにライトに歌心が冴えるキャッチーな聴き心地。
クリーンなトーンとエッジーなグッドメロディーのコントラストは、ストレートながら最上級のニュートラルさ。
彼らの代表曲にも数えられる日本語詞の名曲。
リフもサウンドもメロディーも総力戦のこれぞというエルレのギターロック。
渦巻く旋風が晴れやかに霧散するような展開、少しゴリゴリ進む力強さと本来のメロディーの良さが眩しく広がるのだ。
後味の笑顔は保証されてる揺るがない彼らのキラーチューンである。
メロウでダークなロックバラードの鉄板曲。これもいつまでもライブの定番だった。
曲も声も、暗闇でもがくような、光を渇望するシナリオが容易に浮かぶ、陶酔感のあるトリッピーなサウンド。
どこまでも陰に入るからこそエモーショナルになる叫びがノイジーで美しく広がる。
アコースティックが煌めくセンチメンタルなキラーチューン。
グルーヴィーなリフレインに、サビで訪れる跳ね上がるアンセム的瞬間がスムーズに入れ替わる。
ギター一本だとしてもエモーショナルで美しいメロディーを、何倍も表情豊かにするバンド・サウンドが眩しい。
本編ラストトラック。
心を打ち砕かれ突き刺さる様に痛い崩壊感のある音。
突如として燃え上がった感情も、改めて魅せつけられるような声と音の衝突に何度目かのスリリングさを覚える。
これで本編終わりの扱いなのでブランク含め25分くらいあるのも良い想い出。
太くしなるギターリフが特徴的なシークレットナンバー。
この曲はギターの生形が作った。
歌うように響くギター音色が染み渡る、ラストに最適な一曲。
僕がわき目も振らず熱中時代を過ごしたELLEGARDENの曲はきっと永遠に聴くんだと思う。
一年に何回か聴きたくなると言ったが、聴いている時の感情を円グラフにすると、年毎に懐かしい気持ちってのは微増してくる。
音はタイムレスに変わらないが、僕が歳とっていくのが、なんとなくわかる。
それも乙でいいんだが、やっぱり寂しさってのは出てくるんだ。
きっと戻ってくる、彼らは。
彼らの本質に近いと感じるこのアルバムの曲を聞くと、その想いを大切にしたくなる。
色褪せず今でもオルタナティヴに響く反面、これがそのまま更新されると、更に見たこともない光景が広がっているんじゃないか。
そういう思いが毎年めぐりながら、変わらない彼らの風を感じながら、想いを馳せるのもいいんじゃないかと思うのだ。
それではまた別の記事で。
2008年の活動休止前、最後のシングルとなったのが2006年の'Salamander'。そのカップリング曲に'Lately'とともに入っていたのがこの'Alternative Plans'だった。
Altenativeという言葉は訳すと凄く難しい。
「代わりとなる・(今までにない)新しい・慣習的方法を取らない。」というニュアンス。
Alternative Plansは「今と違う代わりの選択肢」という意味になる。
ロック・ミュージック的にもオルタナティブ・ロックという大きな括りでこの言葉は使われてて、もちろんエルレもオルタナロックバンドと言えるだろうし、このタイトルもそんな部分からインスパイアされたものもあるかもしれない。
少なくとも僕らロックリスナーにもピンときやすいワードだった。
その後、最後のオリジナルアルバムとなったのが2006年の'ELEVEN FIRE CRACKERS'にも再録して収録されたアルバムの曲ながら凄く大切な一曲。
このアルバムのツアーのライブDVDのエンドクレジットの曲にも使われていたり、今思えばどこか時計の針を止めかけていたバンド活動を照らし合わせて見ると、余計ドラマチックにオルタナティブという言葉が目を引く。
オルタナティブなプランが何を歌ったものなのか、には邪推も含め色んなことが想像できるし、それが聞き手のパーソナルな状況に重なり響くのも名曲の条件でもあるのだ。
実際のオリジナル・アルバムのエルレ最後の曲は'Marie'だったが、どこか彼らの時代のラストトラックの様なイメージも勝手にもってしまう憂いと切なさを孕んだ爽快さがあって、どこかELLEGARDENのサウンドが彼ららしく色濃く結実した感もあった。
'Salamander'のカップリングの初録版の方よりも、再録したアルバムVerの方が僕は好き。