もう見る事の出来ないバンド達の音楽を聴いた時に思う事
時が止まったバンド達
歩みを止めたバンド達にも様々な理由があるし、それによってはこのモノクロームな感情にも差がある。
Nirvana - Polly (Live at Reading 1992)
ニルヴァーナで言えば、僕がリスナーとして彼らを認識・理解できる頃にはもうカートはいなくて、時代が近かった・その音楽性の温度故にその熱量を感じられるからこその寂しさという思いでもあった。
ただ世代的にもタイムリーにそのバンドを聴いていて急にそのバンドを失った時の喪失感はまた、途方も無いものだった。
特に最も悲劇的な死という別れはどうしてもロックバンドから無くなる事はなく、そして喪失感とともに’完全にバンドが終わる’という絶望感もついて回る。
2009年に志村正彦を失ったフジファブリックやチェスターを失ったLinkin Parkは僕らの時代の音と言っても過言では無かったし、クリス・コーネルは僕にとって最も偉大なシンガーの1人だった。
僕にとって、このケースで最も象徴的だったのはボーカル、トニー・スライの逝去によって時を止めたNo Use For A Nameだった。
No Use For A Name - Dumb Reminders (Official Video)
パンクバンドのフロントマンそしてソングライターとして、その繊細なポップセンスと心を掴むことの出来る美声は、稀有でありながらストリートパンクのド真ん中で鳴り得た奇蹟のバンド。
本当に文字通りパンクファンの誰からも愛された男の死は、大きな大きな出来事だった。
ついぞ僕は一回もライブを見ることは出来なかったし、もともと稀有で特別だった彼の声は更に特別で尊いものとして聞こえる様になった。
それでも彼を慕うパンクバンド達からトニーへ贈る大きな大きな献杯の輪は、もう見ることが出来ないバンドへの想いの馳せ方として1つの形として心に残った。
もう見れない、という思い
見る事が出来ないという事は、細分化すれば色んなケースが考えられる。
バンドメンバーの死では無くとも、活動休止や解散は付き物だし、もっともっと細かく言えばメジャー的な言葉で言う全盛期を過ぎたとか、拘った人ならばこの瞬間のこの曲の彼らこそ彼らで、音楽性を変えてしまってはもう見る事が出来ないと言っても良いのかもしれない。
例えば2008年Oasisの解散はロックシーンで事件になるような事だったし、近年の日本のロックシーンで言えばHi-STANDARDやELLEGARDENもシーンを揺るがすものだった。
結果的に、だがハイスタもエルレもシーンに戻ってきてくれた。
Hi-STANDARDに関してはNirvanaと同じく世代はズレていたが、1987年生まれの僕らの青春時代でも絶対的な教科書として存在していたし、逆にその復活の2011年のライブに居合わせたことは、僕もハイスタ世代だ!と声を挙げられる喜びとその権利を手にしたような熱を感じることの出来る人生でも最高の瞬間だった。
復活時の熱量は途轍もなく大きいもの、それをライブの場で感じられた事は僕にとっても幸運だった。
たしかにサマソニで少しだけ見たピストルズはおじいちゃんがパジャマ着てる踊ってるみたいだったし(それはそれでパンク!)、後ろ指を刺される様な再結成も少なくはない。
それでも僕らリスナーが待ってしまうのは、これだよこれこれ!と膝頭を打ち、当時のエネルギーを瞬間着火し爆発させる事が出来るのは、彼らだけかもしれないという想いで彼らを聞き繋いでいるからかもしれない。
Oasisであれば兄弟仲は冷え切る一方でも、ノエル・リアムともにそれぞれのバンドのライブで頻繁にOasisの楽曲を披露。
その魅力は確実に永劫性を持ち出しているし、永遠に聞かれるだろうロックの名曲を目の当たりにした事の凄みは途方もなくロマンチックだった。
絶対に再結成を望む、という機運ではない。
それでも彼らが再び同じステージに立った絵を想像するだけで身震いは止まらない。
そうやって静かに想いを馳せる事がリスナーの流儀的にも良い気がしているのだ。
Oasisほどの世界を制したバンドでなくとも、今となっては聴くことが出来ないバンド、というくくりであれば沢山のバンドが僕の心の中では鳴っている。
あの時、あの頃、現役バリバリで鳴っていたバンド。
それを自分だけの秘密めいたものにしたいという気持ち、それと同じくらいこんだけ格好いいんだぜと分かってもらいたい気持ちもある。
寂しい気持ちもあるが、どこかここまで聴き続けた事に対する愛着は計り知れない。
人は30歳を超えると新しい音楽を探さなくなるという。
全くまるでそんな事もないけど、もし僕らの心に絶対量があるのなら、忘れられないバンドはたくさんあるって事なのだ。
もう聞けないって事も、何処かノスタルジックなエッセンスにして聴き続ける事も1つの想いでもあるのだ。
感情の置き所
もう見ることが出来ず、時が止まったバンドは悲しい。
だがそれでも尊いものに出来るだけのカルチャー性もあるのがロックだ。
一番悲しむべきことは忘れられてしまう事だ。
ここまで僕は聴き続けてるんだぜ。