Football soundtrack 1987-音楽とサッカーに想いを馳せる雑記‐

1987年生まれサッカー・音楽(ROCK)好きがサッカー・音楽・映画などについて思いを馳せる日記

Nirvanaに想いを馳せる14曲【バンド/ソングレビュー】

広告

4/5 ニルヴァーナに想いを馳せる

僕にとってニルヴァーナは物心ついた時には、もういなかったバンドだ。

f:id:idwcufds:20170404183439j:plain

 
ロックなバンドを生涯聴き続け探し続けようという道を歩むと決めた時、探してる道の途中に、必ずニルヴァーナは存在するのだ。
ふと迷い込んだ寂れた道の交差点にあのスマイルマークの看板がニルヴァーナはこっちと矢印で道を示している。
引き込まれる様にその道に進んだ後、その看板が風に吹かれクルクルと回り何とも寂しい表情の看板に変わっている。
そんな光景を思い浮かべてしまう。
 

f:id:idwcufds:20180406033428j:plain

 
周知の通り1994年4月5日、ボーカル・ギターのカート・コバーンが27才でショットガン自殺した出来事は、歴史の教科書に残るような大きな事件だった。
世界を制し最もポピュラーな音楽となりながら、それと闘いながら最もロックで有り続けようと願ったバンドのフロントマンは、苦悩の末ショットガンを自分の頭に向けた。
当時世界一の勢いで絶頂期を迎えていたバンドの消滅は、全くロックのロの字もなかった7才の僕も何となくニュースで見たのを覚えている程、地球レベルの出来事だったんだろうと予測は出来る。
 
それ以降、'NEVERMIND'を聴き、'BLEACH'を聴き'IN UTERO'を聴き、いとも簡単に時代を超え、心を焦がす感覚を初めて植え付けて、その存在はあっという間に特別なバンドという位置づけになった。
きっと多くの人にとって、そういう位置づけなんだと、ふと思う。というかそういう捉え方が自分にとって最もしっくり来る。

ただ時が止まった偉大なバンドは多くあるが、例えばビートルズとかの様に、遠すぎるものでもない。

ニルヴァーナ好きって言うと、そこはかとなく信者感とミーハー感が出るのはなんでなんだろうか。

それでも僕はニルヴァーナってバンドが好きだ、そう言える様な文章を書こうと思い至った。

4/5はそんな日だ。

 

f:id:idwcufds:20170404185715j:plain

 

ニルヴァーナに想いを馳せて。

 

もう見ることの出来ないバンドに想いを馳せて

www.footballsoundtrack.com

www.footballsoundtrack.com

www.footballsoundtrack.com

www.footballsoundtrack.com

Spotify Playlist

 

数多くの彼らがいた証 もういない事を強く意識した初めてのバンド

f:id:idwcufds:20170404191117j:plain

 
 
裸の赤ちゃんが水中の1ドル札を笑顔で追いかける写真。
必ずと言っていいほどある’NEVERMIND’のアルバムジャケットのプリントTシャツ。
小田急線沿いの古着屋で僕も中学の頃1枚買ったはずだ。今もそうやって中学生がアナログ的に買っていて欲しいなと思う

 

 

'スメルズ・ライク・ティーン・スピリット'が今尚ありとあらゆる場所で鳴らされながら、記念碑的な名曲として名を残す様に、彼らの存在した証は崇高さ・カリスマ性を保ちながら世界中に散らばっている。

だからこそ間口は広く、時代を超えたフォロワーが多い。

 

ボーカルでありギタリストでありソングライティングを全て担っていたカートの自死により、ニルヴァーナはこの世に無く、実際に見る事は叶わない。
その事実を初めて強烈に認識し、打ちのめされ、何故なんだと思った事は、カート・コバーンが初めてだったかもしれない。
カートやニルヴァーナついての文章とか映像は今でも溢れてる。
注目度が高いんだろうし、そのカリスマ性を考えれば普通なのかもしれない。
尊厳を踏みにじり死を暴くような行為は良くないが、その生を僕らで噛みしめるのであればいいと思う。
僕もそういう思いが心を支配したのは、カート・コバーンの遺書を読んだときが初めてだった。
 

f:id:idwcufds:20170404203133j:plain

 
’徐々に色褪せていくなら、燃え尽きた方がいい’
ニール・ヤングのHEY,HEY.MY,MYの一節が度々クローズアップされる、彼・そしてニルヴァーナの生き様でもある遺書。
でもその全文には、音楽への喜びが無くなったこと、喜んでいる振りができない事、感謝と謝罪が書かれていて、そのピュアで清麗とした情熱的な文書は、同時にそれが遺書である事を強く認識させる重みがあり、この人がいないという事が急激に理解できるような、さっきまでフワフワしてたものが一気に常識になる怖さもあって、呆然と涙を流した。
なんとなくでしか知らなかったその消滅までの過程のその本質、それを一纏めにされた肉声はニルヴァーナを特別な存在にさせたし、カートの歌声にその瞬間から得体の知れない畏怖的な愛しさに似た感情を持ったのも覚えている。 

 

 

1980年代のセルアウトし肥大化しビッグビジネスにもなったロックを嫌悪し、ハードコア/インディー/パンクの姿勢に敬意を評し、その鮮烈な才能をラウドに鳴らすことで、カウンターカルチャー的に全世界に共鳴を起こしたニルヴァーナ。
売れてるけど今までと違う、それこそ至高のオルタナティブだったが、数々の軋轢を鳴らしてきたが彼らを、売れてるもの=死ぬべき、という最大の軋轢が襲い、その奇妙な状況な後の悲劇を産んだ。
死をほじくり返す気はないし、悲しい物語として伝わる事は否定しないが、それが彼らの音の温度に繋がる事がわかっただけでも、僕が彼らの音楽を理解する一端になった。

ニルヴァーナの音楽

f:id:idwcufds:20170404204733j:plain

1990年代前半のロック史は彼らの成功による時代と言っても良いが、自分を形成する矜持に殉じたパンク的な生き様が、近代ロックで言えば他に例のない特別な出来事なのは間違いない。
根本的だが、人を惹きつけるその存在感の炎も、元をたどれば彼らの音楽から来ている。
 
ハードコア、ポストパンク、そしてオルタナインディーロック。
それが弾けて混ざったグランジロックと言う時代を作ったニルヴァーナ。
ヘヴィでラウド・コアな暗く重い音をパンク的にピュアに鳴らすそのケミストリーは、暗く鈍い光でも多彩な表情を見せる。
とてつもない質量の炎があると思わせるバンドアンサンブル。
デイヴ・グロールの暴力的でヴァイタルなドラム、ドープで不穏なクリス・ノヴォゼリックのベース、そしてカート・コバーンのギターとボーカルは自在に暴れまわっていた。
シンプルで耳に残るキャッチーなリフを、ラウドに不穏に爆発させる。
スリルとニヒルを伴う暗黒的でハードな疾走感。
心の奥底の柔らかく穏やかな部分に触れる美しい境地。
暗く僕らの頭上すれすれを滑空する様に、ヘヴィな重力で押さえつけられながら飛ぼうとする、重苦しい不自由さもある中のこの上ない爽快感が、彼ら3人からは感じるのだ。
 
限りなく黒に近い色をしながら、一つ一つ確かに違う色をした曲達は、悠に時代を超えられるアイコニックな炎の色彩を持っているし、少し離れてみれば途轍もなく人間らしく暖かく僕らを囲むのだ。
それでいて、彼らが多く語るように、ただ酷い曲を書くようになったら辞め時だとわかるくらいの分別が、自分たちに残っている事を祈るような思いが、彼らの曲の危ういバランスの一旦を担っている。
 

今まずは聴きたいソングレビュー14曲。

ドキュメンタリーの一本でも見ないで、まずは曲を聴いてくれ、と切に願う。
彼は音楽家というかバンドマンなのだ、どのバンドが好きでとか、誰と仲悪くてとか、彼を語る誰かの証言とか、そういうのは少しだけでいいと思う。
その音が今響く事を実感することが何より素晴らしくて、それだけでいい。
そう思わせる14曲、聴きながら読んで頂けると幸い。
1.Blew

1stアルバムのオープニングトラックは、解りやすいくらいダイレクトに攻撃的な曲で彼らの幕開けに相応しかった。

ユニークで不穏なベースラインに、カートの声とシンクロして眩く光るギター。

ベーシックなリズムだからこそ、ダイレクトに燃えるようなグルーヴを感じ、ニルヴァーナのソングトラックの中でも、じっくり焦がされるアンセミックなオープナーとして機能し続けている。

 

2.About A Girl

メランコリックで実にナチュラルなメロディーの、彼らの中でも最も’平熱な’一曲。

聴きやすいとも言えるシンプルなメロウさは、彼らの本質的であると共に実に切なく柔らかいメロディーを奏でる。

淡々とメロディーに自らの身も委ねる様に演奏する彼らのナチュラルな姿は、凄く濃密に映って美しい。

穏やかに膨らんでいくバンドサウンドが優しく漂うようなロックグルーヴを纏う。

 

3.School

ニルヴァーナ随一のハードなリフで構成された強力なキラーナンバー。

同じフレーズを繰り返す中に何度も何度もスリリングな高鳴りがある。

暗く重くしなるギターリフはカート・コバーンだという記名性すら孕む強烈なアイデンティティーで、ユニゾンの様に跳ねるベースリフもぶつかる様に主張するし、デイヴのドラムはパワフルに滑り落ちていく。

パンク的なシンプルさを構成に盛り込んで、すべてのものに中指を立てる様な強烈なフラストレーションを爆発させる叫びは、彼らのルーツ的にも見られる重要な一曲だ。

 

4.Smells Like Teen Spirit
この曲がニルヴァーナを良くしたか悪くしたかは議論が尽きない、彼等最大のアンセムとして史上に残る曲。
単純なリフだけで構成された曲が、ここまで膨大なパワーを持った稀有な例。
難解な公式を解いたロックの答えとして、未来永劫残る事になったアンセムを彼らが導き出したことは、彼らを蝕む一因にもなった。
誰が弾こうが、誰が叩こうが、誰が歌おうが、彼らを超えられない永遠の一曲としてロックとして完成された唯一の曲。
 
5.Breed

最もアグレッシヴでピュアに弾けたパンクチューン。

高速のドラミングから鬱屈した重いを捻り出す様なスリリングな高揚感を煽るギターリフとベースリフ。

疾走しながらうねる滑空するようなサウンドに、ピュアで自傷的なカートのボーカルが凛として揺るがない。

音の衝突の火花を感じ、ダイレクトに心を掴む眩く鈍いニルヴァーナパンクアンセムの一つだ。

 

6.Lithium
彼らの最もポップな部分の凝縮された有名曲。
妖麗なギターのメロディーに淡々と割とクリアな声で歌うカート。
一転サビで荒々しく燃え上がる展開のエモーショナルさもポップバランスを崩さない。
ニヒルに擦れ、どこか達観して歌うカートのダークな部分も、独特の緩さと美しさを持つ。
ポップに堕ちるのではなく、彼らとしてギリギリのバランスのポップネスだからこその燦めきだ。
 
7.Polly

個人的に一番好きなミドルチューン。

流麗で儚げな温度の低いギターの音色は、穏やかでありながら冷たく鋭い。

飾り気のないストレートなリフは、心を捉えた後でも響き続けそのまま底の見えない怖さすら伴う。
シンガーとして究極の自然体で声を出すカートは本当にピュアで深い。
何故だか、彼らがいない事を強烈に意識する、自然体な一曲だ。 

 

8.Stay Away
彼らの中でも最大の疾走感を持ったパンクチューン。
高速で疾るドラミングにコミカルでエッジの効いたベースメロディー。
滑り落ちる様で所々ショートして焦がされる様なギターが胸を抉り、身体を反応させるエッジーなアンセム。
フニャフニャした様なつぶやきから強靭なシャウトを繰り出す狂気的なカートのボーカルは、太陽の様にアツい。
 
9.Aero Zeppelin
B面集的なインセスティサイドの1曲。
エアロスミスとレッドツェッペリンから来るタイトル。
不穏でドープなサウンドがサビを超えて、グライムするアグレッシブな音に変わり、気の触れたかの様に茶化すカートの声に暴力的にギターソロが雷雲の中の雷の様に弾けて広がる。
憧れだったロックスターと一緒に自分達もこき下ろすかの様な苛烈な曲、だからこそ心に残る。

 

10.Serve The Servants
ラストアルバムになったインユーテロのオープニングトラック。
ブルースロックの様な艶っぽい音の重なりに妖しいカートのボーカルが映える様は、揺らめくように掴みづらい。
しかし、こういう肌がざわめく様なメロディーは、得も知れぬ快感になる。
重心を落として下から攻めてくる様な壮大な音の流れに身を任せ、妖しい開放的に襲われる、間違いなくニルヴァーナが変わったと感じる一曲だ。
 
11.Heart-Saped Box
最期のシングルの様な扱いになったナンバー。

奇妙な色の空の別世界に居るような、不安感を煽るメロディーは深くイメージに陶酔できる麻薬的な響き。

カオスをカオスのまま、速度とエネルギーを帯びてくる奇妙なバランスは、めちゃくちゃにしながら心に痺れる何かをいつの間に残している。

ちょっと待てよ、まだまだ言いたいことがあるんだぜ、ってメッセージが今となっては悲痛に響く。

 

12.Rape Me

最大級に問題作で最もピュアな彼らを感じられる、アヴァンギャルドな彼ららしい一曲。

カートの想いを音と詞で形にした苛烈な芸術。

どこかスメルズにも似た必殺のリフ、ノイジーで攻撃的なエナジーをヘヴィーさで無理やり押さえつけた反発の美しさは飛びぬけてる。

過激で苛烈な歌詞も様々な憶測を呼んだ、その事でカートは苦悩したのか、むしろニヒルに笑ってたのか。

 

13.Where Did You Sleep Last Night (MTV Unplugged In New York)

MTVのアンプラグド・ライブで披露した1940年代のブルース・ミュージシャン、レッド・ベリーのカバーソング。

虚無的な感情を紡ぐ乾いて美しいギターの音が、なんとも言えない荒廃的な寂しさを呼ぶ。

その世界にカートの声しかない様な、圧倒的な存在感。

箍が外れたように爆発する声は、この世のものとは思えない程悪魔的で美しい。

 

14.All Apologies

最後のオリジナルアルバムの最後の曲。

色彩豊かで少しサイケ、それを滲ませるくらい眩しく柔らかい音、辞世の句的で、遺書のようなメッセージを優しく語る暖かい声。

この歌を歌い終わった後には、死しか辻褄が合わない様な、悲しく涅槃的な曲になった。

心のどこかピュアで柔らかい部分を感じられて、僕らに降り注ぐ。

 

今、ニルヴァーナと

f:id:idwcufds:20170404210816j:plain

 

カート・コバーンが生きていて、ニルヴァーナがまだあって、みたいな想像は初めて聴いてから10年以上経っても全くできない

既に今あるこれらの曲達が、ロックミュージックの中でも明確な違いを感じ、例え時を経てもその時その時の音楽とは、一線を画したオルタナティブなものであるからなのだろうと思う。

ヴィンテージになったら後は消え去るだけ、それを良しとせず燃え尽きる選択を選んだ事に、起因するのかもしれない。

多分、僕もひょっとしたらまだ解ってないんだろう。

 
いまや勝手に少しの使命感すらある。
ロックを好きなら辿り着くべき場所であり、それは必ず理解できる衝動なのだ。
 
大きすぎて、眩しすぎる。けど歳重ねるにつれてすこしづつ見えたような気もする。
それでも何も知らなかった頃の様に、あっという間に火をつけてくれる。
これがニルヴァーナを聴き続ける理由なんだと、そう思った今年の4/5だった。
 
 それではまた別の記事で。