【イニエスタ】Jリーグに大物外国人選手がやってくる!移籍シーズンの風物詩をまとめてみた!
毎年毎年、季節の風物詩は乙なもんだ。
春には桜、夏には星、秋には満月、冬には雪。それで十分酒は上手い。
比古清十郎はそう言っていた。なるほどと思ったド名言。
桜に、星、満月や雪のように厳かなものではないが、サッカー界が今タイムリーに盛り上がっている話題も風物詩みたいなものだ。
あのイニエスタが日本に来るかもしれない。
そういう見出しには色んな工夫を凝らした根拠がいっぱいあって、本当に来そうな気が掻き立てられつつも、こういうニュースの久々感に胸が湧いている懐かしさみたいなものある。
年に一回、オフシーズンに届く風物詩的急報にサッカーファンは湧いたりヤキモキしたりがっかりしたりと賑わうのだ。
何故かって考えた時、Jリーグには過去大物選手がいた光景が確かにあって、超大物選手が来るかもってニュースに僕らファンが浪漫を感じているからに他ならないのだ。
ボジョレー・ヌーボーみたいなもんかもしれない。今回の噂は10年に1度の豊作だ。
比古清十郎はこうも言っていた。
それでも不味いんなら、それは自分自身の何かが病んでいる証だ。
疑ってかかってどうせ来ないんでしょって玄人気味のポジションより、この噂とロマンを楽しもうと思った。
そこで今回はJリーグと大物外国人選手の歴史を振り返ってみました。
素敵な暇つぶしになれば幸い。
それでは行きます。
Jリーグに来なかった大物の噂
かつても今回のイニエスタの様なタイミングで、多くの大物選手のJリーグ移籍の噂が立ってきた。
それぞれがそれぞれ根拠があったし、実際に来た大物達ももちろん凄いんだが、それ以上にドでかい夢を見れる噂ばかり。
思いつくままに振り返ってみる。
1.ロベルト・バッジョ
Jリーグの夜明け時代には既に世界の頂点にいたバッジョ。
Jリーグバブル時代から獲得の噂は立っていたが、2002年以降代表から一線を引くとその噂は加熱。
膝の怪我に悩まされていた時から日本の宗教の教えに感銘を受けたという噂、本人もJOMOカップの外国人選抜チームで出場したりと、要因は多いように見えた。
結局はブレシアを最後のチームに選び、最後のファンタジアはブレシア・イタリアに取って物凄く大きな財産となった。
日本でそれが見れていたかもしれないと思うと惜しいし、ただ1人の選手であってもその国のサッカーに影響を与える可能性があるという浪漫も十分に感じた。
2.カフー
W杯優勝メンバーであり長らくキャプテンを務め不動の右サイドバックだったカフーは契約で揉めた1人だ。
ローマと横浜Fマリノスとのクラブ間では早々と合意が決まったと公式の発表までしていたが、ミランからのオファーによって歯車は狂い出す。
結局は世界トップレベルのチームのミランが32歳だった大ベテランへオファーを出したという男気に負け、カフーはマリノスとの契約を断りミランへと移籍した。
それからも一線級の活躍を続けたことを考えると、ミランの’強奪’は正しい判断だったと言える。
CAFU overlapping runs compilation(Remake) - christinayan
3.リバウド
ブラジル代表の伝説的レフティーのリバウドは何度も噂が立っては消えていった。
2002年のW杯以降、その苛烈な性格と天才肌のプレースタイルから安住のクラブは中々見つからず、それ故世界中のクラブがその才能を獲得するチャンスがあった。
黄金期のヴェルディを始め、数々の強豪クラブが何度も狙ったが結局は来日せず。
バロンドールにまで至った才能をJリーグと日本は捕まえきれる何かが足りなかった。
4.バティストゥータ
98年W杯、日本戦でゴールを決め記念すべき日本サッカー最初のW杯での失点となった当時のアルゼンチン代表のFWバティストゥータ。
フィオレンティーナから涙のローマへ移籍後も世界最高の点取り屋として数多くのゴールを決めてスクデットも獲得し、キャリアの終焉を前にイタリアから離れる事を決断。
その際にマリノスやアントラーズがオファーを出したという報道があった。
ローマでは中田英寿ともプレーしておりその関係性もあって上手くことが運ぶかとも思われたが、結局は中東へ移籍しそのまま引退となった。
決して技術的ではないその豪快なゴールセンスは、日本人とは明らかに違う才能なだけに学べることも多かったはず。こちらも惜しい。
ガブリエル・バティストゥータ(Gabriel Omar Batistuta)
5.デルピエロ
ロベルト・バッジョに続きイタリアの10番と日本は相性が良く、デルピエロも来日の噂があった。
激動だったデルピエロのフットボール人生には幾度か転機になりそうな場面もあった。
ユーベのバンディエラとして役目を終え、何度もクラブやスペシャルマッチで来日し震災の復興支援試合にも出場の経験もあるほどの親日家なデルピエロがインタビューでも、日本でキャリアを終える考えもある、と発現したことからヒートアップしたが、結局はオーストラリアとインドという更なるチャレンジを選んだ。
いくら歳をとって大ベテランになろうが見たいタイプの選手の1人だった。
6.トッティ
イタリア最後のファンタジスタ、トッティもキャリア晩年に大きな噂となった。
ローマ一筋でレアルからのオファーも蹴り続けたイタリアの王様トッティに、日本の首都クラブ東京ヴェルディがオファーを出した。
引退後のフロント入りを希望するローマだったが、社長自らオファーを明言し、本人も現役を希望していたことから話は水面下で進んでいるかに思われた。
結局は金銭面で合わず、トッティは現役引退を表明しローマのフロント入り。
ファンからすれば無理をしてでもとってほしい、ファンタジスタであった。
7.ネドヴェド
ユベントスの黄金期を支えたチェコの心臓ネドヴェドもFC東京からの噂があった。
ユーベとの契約が切れる晩年に首都クラブとして目玉を探していたFC東京が高額のオファーを出した様だ。
だが結局はユベントスが1年契約で最後の花道を用意し残留しそのまま引退。
底なしのスタミナのダイナミックなプレーはけっして衰えておらず、存分に日本では活躍のチャンスがあったはずなだけにこちらも残念。
Pavel Nedved ᴴᴰ ● Goals and Skills ● 1991 — 2009
Jリーグに来てJリーグを変えた大物達
続いては来日しその名に恥じぬ大きな活躍を果たし、クラブを超え日本サッカー自体に大きな影響を与えたレジェンド達を集めてみる。
1.ストイコビッチ
まずはレジェンド、ドラガン・ストイコビッチ。
現役の代表10番でありフランスリーグの強豪であるマルセイユでも中心選手として活躍するファンタジスタだったが、祖国の紛争そしてリーグの八百長騒動に巻き込まれ、希望を胸にグランパスに来日。
元は半年の予定だったが恩師アーセン・ベンゲルの監督就任により日本に骨を埋める事になる。
蝶のように舞うドリブルと切れ味鋭いキックフェイント、鮮やかなパスセンスとその技術の高さ、雨中のリフティングドリブルや審判へのレッドカードなど。
鮮やかなプレースタイルと強烈なプロ意識は名古屋をあっという間に変えていき、Jリーグの伝説的な場面も数多く創り、レジェンドとして君臨した本物のスターだった。
監督としてもグランパスの指揮を取り、革靴でファンタジックなゴールも決めたりとサービス精神は変わらずだった。
日本がもらったものは計り知れないし、いつか代表の監督をと思っているファンも少ない最も愛された外国人選手だった。
横浜F・マリノスvs名古屋グランパス・ストイコビッチ監督ボレーシュート
2.ドゥンガ
ブラジル代表のキャプテンはかつてJリーガーだった。
鬼軍曹と呼ばれたドゥンガは94年のW杯制覇後、95年にオフト監督の外国人補強戦略の一環でジュビロ磐田に入団。
その他の選手が役目を終えて帰っていく中、ドゥンガはチームに残り続けチームメイトに危機感を植え付ける鬼軍曹で有り続けた。
王国ブラジルで酸いも甘いも経験してきたキャプテンに逆らえるものは誰もおらず、何よりそれが正しい勝者のメンタリティーである事が次第にチームを変えていった。
怒鳴りまくられた選手たちはやがてアジア歴代最高と呼ばれる程のチームに成熟した。
未だにジュビロ磐田の栄光はJリーグの歴史でも輝いていて、その礎を作ったのは現役ブラジル代表キャプテンだと思うと納得がいく。
3.サンパイオ
現役のセレソンは横浜にもいた。
フリューゲルスで不動のボランチとして君臨したサンパイオもまた日本サッカーに多くのものをもたらした。
ボランチという最も世界基準が遠いポジションで山口素弘とタッグを組み、中盤を支配しその世界レベルの高さを存分に魅せつけた。
テクニックもサッカーヴィジョンも高く、ブラジル式のボランチを肌で感じられた事は日本サッカーの発展に繋がったはずである。
フリューゲルスの消滅とともにサンパイオも去ったが、再び来日しレイソルとサンフレッチェに在籍。
サンフレッチェでは昇格に貢献するなど最後まで日本と関係の近いレジェンドだった。
4.エムボマ
Jリーグ黎明期にアフリカンパワーの恐ろしさをまざまざと魅せつけたレジェンド、パトリック・エムボマ。
ガンバには1シーズンしか在籍していないことが信じられないほどのインパクトを残し、ありえない位置ありえない体制から次々とゴールを決め結果も28試合25得点と恐ろしい成績を残した。
日本人が世界で戦う上で決定的に足りなくなるフィジカル面での怖さをJリーグで存分に植え付け、世界基準の強さを思い知ることが出来た。
2002年のW杯キャンプ地騒動でまたメディアに顔を出し、その後はヴェルディやヴィッセルにも在籍し、ファンにも愛されたレジェンドだった。
5.ジーコ
今Jリーグがある礎を作ったブラジル代表のレジェンド、ジーコ。
ブラジル代表での伝説的な活躍に留まらず、晩年サッカー未開の地日本で新たなレジェンドになった。
技術や精神面のみならず環境やクラブの在り方までジーコが元になり、日本サッカーは大きく発展していった。
後に日本代表監督になった姿はどの外国人監督よりも未だに様になっていたと心から思う。
結果は出なくとも数々の名勝負はファンの心を熱くさせる魅力あるサッカーをやっていた。
大物サッカー選手の浪漫飛行
以上ご覧いただきありがとうございます。
数多くの噂が立ってきたJリーグ、その内結実した移籍は数多くのファンに結果以上に夢を与えてきた。
どうしても日本の力だけで殻を破れない閉塞感の中、Jリーグ・日本サッカーの殻を破ってくれるのはこういうレジェンドの力なのかもしれないのだ。
これからもW杯以降、今ある噂以外にもいろんな噂が立つかもしれない。
そこに浪漫を感じながら、歴史に想いを馳せるのもファンの酒の飲み方なのである。
それではまた別の記事で。