3年振りのサッカー代表ブラジル戦!親しき強豪国との想い出を1987年生まれ的に振り返る
行きたいリゾートとか、行きたい好きな国とかそう言うのではなく、自分の国に入りこんできてて尚、親しみが持てる国って日本人にとっては意外と少ないんじゃないだろうか。
サッカーやってて知ってるからってのもあるが、僕にとってブラジルは数少ないそんな国だ。
壮大な出稼ぎの為、日本人が海を渡って日系1世が100年前に誕生して以降、友好的な関係になる日本とブラジル。
ブラジルの農業も日本の影響が大きいらしく、歴史・文化的にもポジティブに影響を与えていれているようだ。
世論調査でも、お互い好意的に受け入れ合うという回答がほとんどな、珍しくあまり障壁を感じない国。行くのは危なそうだけど。
そんな国交の関係もあってか、サッカー的に考えると結びつきは更に強い。
一時期は半分くらいブラジル人じゃないかってくらい、Jリーグには数多くの選手が在籍し、日本代表にも多くの帰化選手がいた。
こと、サッカーの文化に関しては、ファンからすれば感謝の意すらある感情が大きい。
日本のサッカーに多くの影響を与え、師匠と弟子の様な関係にも近い。
鹿島に降り立った神様ジーコ、日本人に魂で戦う事を伝えた侍ラモスなどのサッカー界に大きな影響をもたらしたレジェンド達。
ジュビロをチャンピオンチームへと変貌させた鬼軍曹ドゥンガ、いつも優勝していたビスマルク、誰も止められなかったエメルソン、誰もボールを取れなかったワシントン、怪物フッキ、今後何十年も記憶に残る美しいゴールを決めた王子レオナルドなど、Jリーグの歴史に残る超強力助っ人。
呂比須ワグナーや三都主アレサンドロや田中マルクス闘莉王など、未だに馴染み深い帰化した代表戦士達も想い出深い。
もちろん海外の他の国の選手も思い出深いが、量とインパクトでブラジルは常にナンバーワンだった。
いとも簡単にボールを操り、ずる賢くて、美しくて、独特のリズムで根本から違っている。
強烈な憧れは、僕ら世代のサッカーファンには最早刷り込みの様に存在する。
そんなブラジルとの代表戦はいつも特別だ。
いつまで経っても世界ナンバーワンクラスでいるブラジル。
好意的なだけに親善試合でも何度も実現しているし、ブラジルが強い分、国際大会でもかち合う事もある。
いつだって肩を借りてきた、もう一歩まで迫った事もある。
その一つ一つの試合で凄く記憶に残っているシーンがある。
なぜかカナリア色のユニフォームとサムライブルーは良く映えるのだ。
自分の記憶を呼び起こし、過去のブラジル戦に想いを馳せ、次のブラジル戦にどう想いを馳せればいいのかそれを考えてみる。
素敵な暇つぶしになれば幸い。
1996年7月22日 アトランタオリンピック グループリーグ第1戦 1−0勝利
A代表での対戦成績は2分9敗で一度も勝利をおさめていないが、唯一白星を得たのが「マイアミの奇跡」と呼ばれるアトランタ五輪での1試合。
Jリーグも発展し、日本の中でサッカーが大きくなる中、この勝利は当時小学校低学年の僕でも覚えているくらいの大騒ぎだった。
まだまだサッカーやり始めた頃の拙い想い出。
それでもサッカーファンとなった後年、語り継がれた伝説を見ると、死ぬ気でブラジルを倒そうと、チームとしての狙いが明確であったことにも気づき感慨深かった。
キャプテンは前園、ワントップに城、若き中田ヒデの攻撃陣。キーパーは川口、松田もDFラインに名を連ねる若き黄金世代の世界経験の舞台。
ブラジルは怪物ロナウド、リバウド、ベベット、ロベカル、ジーダとバロンドール候補者に名を連ねてもなんらおかしくないタレントを擁し、彼らもまた黄金世代だった。
神が舞い降りた様な川口のビッグセーブとDF陣の奮起と、唯一の弱点をついた路木のクロスから伊東テルのゴール。
CBとGKの間という狙いがあった事は当時はもちろん知らなかったし、非公開のブラジルの練習を金網をよじ登って見たという様な、チーム全体のスカウティングの努力という逸話も聞き、逆に今、その勝利がその後には繋がらなかった事が残念でならなかった。
守備と攻撃のバランスを巡り、チームは分裂し、不協和音のままのプレーでグループリーグ敗退となりアメリカの地を去った。
大きな才能を、最高に発揮しての勝利ではなかったが、結局その後も活かせなかった事を考えると、この世代のハイライトとなってしまった事が、少し寂しさも感じさせる勝利だった。
2000年9月20日 シドニーオリンピック グループリーグ第3戦 0ー1敗戦
むしろもっと記憶が鮮明なのは4年後のシドニーオリンピック。
予備予選の時からアジアを蹂躙していて、そこからじっと追っかけ続けた最強世代。
最終的なメンバーも怪我の小野がいないだけで、煌びやかに輝くメンバーだった。
最も上手かった世代。
本番のシドニーでも南アフリカ・スロバキアに連勝し、3戦目のブラジル戦を迎える。
組み合わせと結果の妙で、2連勝したにもかかわらず未だに決勝トーナメント進出が決まらない状況でのブラジル戦。ブラジル側からしても勝たないと決勝トーナメントへ進めない。
中田の出場停止もあり、俊輔がトップ下というのも痺れた。
ロナウジーニョや当時世界最高の若手だったアレックスを擁したブラジルは、最強世代の日本相手でも、試合運びの面で余裕を見せた。
序盤の失点から、上手に試合を運ばれ敗戦。
トップ下の俊輔は試合から締め出され、ボールを支配しても攻めあぐねるだけの時間。スコア以上の差、ブラジル=攻撃力で結ばれていたが全体的な狡猾さとかを目の当たりにした試合だった。
結果決勝トーナメントには進むが、アメリカ戦ロスタイムに追いつかれた後のPK戦で中田が唯一の失敗を喫し一回戦で敗退。
史上最強のワクワク感があってメダルは絶対取れると信じて疑わなかったし、可能性も十分見れた。
だが、それでも届かないのかもしれないという可能性も見せられた。優勝はブラジルでも、アメリカでもなくエトー擁するカメルーンだった大会。
アメリカ戦でも2度リードして、追いつかれPK戦敗け。疲労で足が止まり、不運なPK判定もあった。が、それが勝負であり、あっけなく終わった最強チームに、そういう教訓も覚えた。
そんな後味の悪さはブラジル戦の肩透かしから始まっていたのかもしれない。
【後編に続きます】