Football soundtrack 1987-音楽とサッカーに想いを馳せる雑記‐

1987年生まれサッカー・音楽(ROCK)好きがサッカー・音楽・映画などについて思いを馳せる日記

【忘れたくない選手】スコールズに想いを馳せて-小さな中盤の巨人-

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プレミアの申し子は、全時代的なダイナモとして時代に君臨した

サッカー日本代表を取り巻く雰囲気がいつになくヤバかった記憶に新しいハリルジャパン時代。

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見所もあったけど、悲観的な意見を言う評論家達がスタンダードで聴いてる方も最もしっくりきてしまう悲しき代表監督。

その矛先は戦い方の方向性にまで飛び火し、日本サッカーの弱点のハードさにばかり言及し、長所である中盤のクリエイティビティを置き去りにしていると言う風潮にまで至っている。

デュエルを勝利しながら、クリエティブに”創れる”選手。

そんな選手がいてくれたら。。。そんな妄想論にまでなってきていたロシアW杯前。

監督更迭からのベスト16という結果は記憶に新しいが、そう言う空想は張り巡らせていくと楽しい。

僕の頭に浮かんだ選手が、ハリルジャパンにいれば、監督がそのままでもきっと決勝トーナメント進出なんて余裕だ。

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170cmに満たない身体ながらプレミアリーグでナンバー1のMFとして時代を席巻した名プレーヤーは、パワーもテクニックも備えた万能で絶対的な選手だった。

すごいスケール感。

きっと50年前でも50年後でも、どのチームの中盤に君臨できる小さな巨人を賞賛する声はとどまらない。

本日はポール・スコールズに想いを馳せる。

 

これまでの選手レビューはコチラ!

www.footballsoundtrack.com

 

スコールズのフットボール人生

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1986年、アレックス・ファーガソンの監督就任を機に近代最強とまで言われたマンチェスター・ユナイテッドの歴史は大きく動いた。

強烈なタレントを使いこなし、同時に若手の育成もテーマに掲げ、その理想的な融合は1990年代以降ビッグクラブのロールモデルとなり、マンUは過去最高の黄金期を迎えた。

特に10代から目をかけ、花開いた若手たちは「ファーガソンの雛鳥たち」と名付けられ、イングランドのみならず世界を代表する選手となっていった。

スコールズもその一人で、偶然か必然か全員ポジションがかぶる事なく、それぞれの力を相乗させるとんでもないユニットだった。

 


Paul Scholes I Top 10 Goals I Manchester United

 

1974年にマンチェスターで生まれたスコールズは、14歳の時には既にファーガソンが就任していたマンUの練習に参加していた。

既にマンUでポジションを獲得していたディヴィット・ベッカムライアン・ギグスの一年後、FAユースカップで頭角を現しトップでメンバー入りを果たす。

1990年中期に入るにあたり、雛鳥たちが徐々に精悍とした青年になり、マンUも世代交代を進める事になった。

それまでエースだったマーク・ヒューズやエリック・カントナが徐々に出場機会を失い、スコールズは前線で起用される事になる。

デビュー当時こそ着々と得点を重ねていったが、徐々にマークが厳しくなると、小柄なスコールズは徐々に疲弊して成績も下降する。

そこでファーガソンは、彼をセンターハーフへとコンバートした。

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後にコンバートの名人としても名を残す様に、雛鳥たちがポジションが被らなかったのも、彼のやりくりのうまさもあるのかもしれない。

アイルランド伝説の闘将ロイ・キーンとともに、或いは入れ替わりで中盤の底に位置し、そのワイルドでダイナミックなプレーで、マンUの心臓として君臨し、チームは更なる高みへと登る。

1999年のトレブル(プレミアリーグ・FAカップ・チャンピオンズリーグ制覇)を始め、1990年以降世界最高のリーグとなったプレミアリーグを10回以上制覇。

小柄な上にそれを上回る闘争心で、怪我や累積警告も絶えず、フル稼働したとは言えなかったがそれでも歴代4位の650試合以上に出場した鉄人。

もちろんイングランド代表でも活躍していたが、マンUでの生活を優先し早めに代表引退を決意。それほどまでにマンチェスターユナイテッドに捧げたフットボール人生だった。

2011年に一度引退を表明。コーチとして留まるが、その半年後には現役復帰して周囲を驚かせる。

そのまま変わらぬパフォーマンスを見せ、2013年までプレーし再び引退。

現在はイングランドでズバッと言う解説者として活躍しているらしい。

なんとも説得力がある解説者だ。彼に走ってない戦ってないと言われる選手は、彼と比べられたら酷だろうとすら思う。

 

スコールズのプレー


Paul Scholes - The Best Central Midfielder Ever

 

イングランドのセンターハーフは伝統的なシステムにより、実に多岐にわたる能力が求められるが、ポール・スコールズにはその全てが詰まっていた。
敏捷性も、頑丈さも、タフネスも、その小さい身体に搭載されていた。
170cmに満たないフィジカルでもバネでコンタクトを跳ね返す。
デュエルを避ける俊敏性も、闘えるパワーも勇気も持っていた。
退場すら厭わずに戦うスピリットが彼のフィジカルの源泉で、ピッチ外の性格はシャイではあったが反面ものすごい闘争心を持っていた。
センターハーフという位置付けで広大なスペースを管理する超人だったのだ。
簡単に攻守を分けられないセンターハーフには、どちらの能力も、そしてそのバランス感覚も求められるが、それら全てを体現していたと言っていい。
現代最高峰のブスケッツとかモドリッチとかトニ・クロースとかのピッチ中央での試合の存在感は、全てスコールズの動きに重なって見える。
 
もちろんプレーエリアの広さはその身1つでは維持できない。
広大で最も人の動き入れ替わりが激しいポジションでは、サッカーの上手さが問われる。
抜群のバランス感覚で予測してポジションに入り、ボールを受けた後の判断が俊敏で正確。
いざ前へボールを運べると判断すれば、とてつもない推進力であっという間に危険なバイタルエリアを通り越しボックス近辺まで運ばれてしまう。
そして彼の真髄はそのパワフルでワイルドなキックにある。
ミドルパス、ミドルシュートは彼の特徴でもあり、なんとか推進を止めようとブロックを作るDFの頭の上を超す、超弾道高性能なキックがオーバーラップした選手の足元にピタリと届く。
さらには獰猛なほどゴールへの意識が高く、エリア外から目の覚める様なミドルシュートは数知れず決めてきた。
糸を引く様な軌道は豪快の一言であり、彼自身も敢えてこぼれ球を狙っている様なポジションにいて、やっとの思いでベッカムやギグスのクロスを跳ね返したと思ったら、いつの間にかそこにいるスコールズの足元へ吸い寄せられ、悪魔の様なシュートが襲う。
そんな光景がこのころのマンUは日常茶飯事だった。
 
小さくシャイでも、巨人の様な存在感で、まさに君臨し続けた鉄人は、プレミアのサッカーとは、マンUのサッカーとは、それが何かをずっと体現し続けたレジェンドだった。
 

悠久タイムレスな超人選手 

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サッカー選手がどんどんとアスリート化する今でも、きっとスコールズの様な選手は世界のトップレベルに出続けるはずだ。

戦いの部分はもちろん肯定しつつ、勇気を保ち続けるだけの技術・アイディアがあった。

きっとどれが欠けても世界トップには行けないのだ。

彼を見て、今のフットボール界は学ぶものも多いはず。

100年後のサッカーでも、その本質が変わっていない限りきっと彼は活躍できるだろう。

それほどまでに、フットボールの真髄を体現した、小さくて偉大な巨人だったのだ。

 

【Football soundtrack theme Paul Scholes

Kula Shaker ’Grateful When You're Dead / Jerry Was There’


Kula Shaker - Grateful When You're Dead