Football soundtrack 1987-音楽とサッカーに想いを馳せる雑記‐

1987年生まれサッカー・音楽(ROCK)好きがサッカー・音楽・映画などについて思いを馳せる日記

【忘れたくない選手】ベッカムに想いを馳せて-かつてなくセクシーなフットボールスター-

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デヴィット・ベッカムに想いを馳せる

グティの事について書いた時に触れたが、サッカーがうまい奴は顔がイイってのが世の常だ。
グティの場合もそうだったが、彼のようにサッカーが上手く、且つとんでもなくカッコいい奴。という天が二物を与えたという印象を持つ選手はフットボール界には存在する。
特にこれから触れる人のカッコよさ具合は、史上にも残る傑出したものだった。

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やっぱり赤いマンUのユニフォームが似合う。
逆にハリウッドのトップスターが凄くサッカーが上手いんだってよ、ってくらいの風格のカッコよさとセレブリティオーラ。
そこで更に凄いのが、ルックスの良いサッカー選手という印象だけに留まらない事。
 
ホモサピエンス史上1番カッコいいんじゃないかというルックスだけでなく、そのフットボーラーとしての実力、特に’ボールを蹴る’という事に関しては、地球上で1番上手かった。
 
二物を与えられたからこその、ビッグスケールのフットボール人生だったし、ドラマチックに色々な事が起こったが、ベッカムはそのキックフォームのようにずっとベッカムで有り続けたのが凄い。
今回はピッチを超えた影響力をもった時代を代表するフットボールスターに想いを馳せる。
ディヴィット・ベッカムに想いを馳せて。
素敵な暇つぶしになれば幸い。
 
 

引退劇の影響に見るかつてない存在感

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まず想いを馳せて思い出したのは、ベッカムの引退の時。
 
最後のチームはビッグ・マネーが流入して来た当初の時代のパリ・サンジェルマンだった。
現役最終試合で終了間際に交代を告げられた時の溢れ出す大粒の涙は、セレブな彼を少しでも妬んだりルックスが良い事を斜めに見ていた捻くれたファンの心すら洗い流すような美しいものだった。
そのニュースが流れた時、日本でも大きな騒ぎになったし、何よりも日本でのベッカムフィーバーを知っていた海外の人たちが日本人の反応を気にしているという感じだった。
 
当時実は、サッカー業界の端くれで仕事をしていたただの一般人の僕の元に、あのロイター通信からインタビューの依頼がきた。
必死に一生懸命答えて、編集された動画が送られてきたけど、海外のVTRっぽい本格的な作りにビビる。
本物のロイターだからそりゃそうなんだけど、全世界に流れたと思うとビビる出来事ではあった。
数々の忘れたくない選手の引退を見たけど、ここまで話題になっていることを実感したのはベッカム以外にはいなかった。
 
日韓ワールドカップでの所謂’ベッカムフィーバー’は記憶に新しいし、彼のフットボール人生でも大きなハイライトだった。
キャーキャーだけ言ってる女どもに、どこか戸惑い気味にも、それをしっかりと受け止めるスターだったベッカム。
ただ女慣れ・言われ慣れしているだけでなく、フットボーラーとして豊かな才能を持ち天国と地獄を経験したからこその、憂いのあるキリッとした表情にも感じられて、僕らサッカー小僧の記憶にもがっちり残っている。
 
 

ベッカムのキャリアの天国と地獄

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1975年生まれのベッカムは、母国イングランドでサッカー選手を夢見る少年として成長していく。
 
少年期から卓越したテクニックで全国区のサッカープレイヤーだったベッカムは、17歳の時いよいよ練習生契約でマンチェスター・ユナイテッドへと入団を果たす。
レンタル移籍なども経験し、マンU呼び戻された20歳の彼は、恩師サー・アレックス・ファーガソン監督のもと、レギュラーに固定される事になる。
 
ファーガソンによる20歳前後の若手を重用しレギュラーポジションを与える改革のキープレーヤーとなり、’ファーガソンの雛鳥達’と呼ばれネビル兄弟やフィル兄弟、そしてスコールズやギグスとともに、赤い悪魔の一時代を築くことになる。
 
最初に背負ったのは10番だったが、キング・カントナの引退に伴い、マンUでは10番の何倍も価値のある栄光の7番を引き継いだ。
 
端正で気品すら感じる顔立ちと美しいブロンドの髪をなびかせ、真っ赤なユニフォームを纏った新しい王子ベッカムは正当な王位と手に入れ、右サイドからのクロスと正確なキックセンスで数多くのゴールを演出し、国民たちはマンチェスターのみならずイングランドは未来を感じずにはいられなかった。
 
 
国民の誰もが母国復活を夢見た1998年フランスW杯。
順当に選出されたベッカムもヤングイングランドの一員として、3戦目でフリーキックを沈めるなど決勝トーナメント進出に貢献する。
 
ベスト16の相手は歴史的な対立もあった宿敵アルゼンチン。
ワンダーボーイ、マイケル・オーウェンのセンセーショナルなゴールもあったが試合は均衡する。
当時のアルゼンチンはバティストゥータがいてクラウディオ・ロペスがいてオルテガがいたが、キャプテンマークを巻き誰よりも相手チームを苦しめたのは闘士ディエゴ・シメオネだった。
特にボールの出処であるベッカムに対する狡猾で激しいマークで、ベッカムは試合序盤から’消され’フラストレーションを溜めていく。
何回目かの強烈なファウルの後、ついに集中を乱したベッカムは、2-2の試合中盤という戦況を最も左右しかねない時間帯にも関わらず、プレーが止まっている時に倒れ込んだままシメオネをかかとで蹴って報復し、目の前にいた主審は悪質な報復行為としてレッドカードをベッカムに提示するほかなかった。
 
 
目を潤ませるベッカムが足早にピッチを去る。
その光景はショッキングであったが、この退場をきっかけに敗退したイングランド国内で起こるベッカムへのバッシングは、異常なほど過熱を見せた。

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愚か者のレッテルを貼られた24歳の若者に、容赦なく浴びせられるブーイングとバッシングは、彼の容姿やスタイルからへの反動もこもったかのように苛烈を極めその熱は中々冷めやらなかった。
 
マンUでは翌年トリブル(CL・プレミアリーグ・FAカップの三冠)達成の中心となって活躍するなど、輝きを取り戻していたにも関わらず、代表では変わらずブーイングの対象になり罵詈雑言はもはや暴力に近かった。
 
時期的にもスパイス・ガールズのヴィクトリアとの結婚により、彼がエンターテイメント界でもスターになった事で、あらゆる妬みと羨みを代表のユニフォームを着ている彼にぶつけている様だった。

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どん底に近い現状でもイングランド代表としてマンUの主役としてプレーを続けたベッカムは、パフォーマンスの継続性と不屈の勝負強さを手に入れていた。
坊主頭になったベッカムのそのプレーには経験値という凄みが滲み出て、明らかに批判を呑み込んだ強さのあるプレーに感化されるようにブーイングは収まっていき、2002年日韓ワールドカップを狙うイングランド代表の主将に任命される。
 
欧州予選で苦戦したイングランドだったが、負ければ敗退のギリシャ戦で1点ビハインドの後半ロスタイム、ベッカムが直接FKを沈め見事予選を突破。
ベッカムは3年がかりで批判を賞賛へと、ようやく変えることが出来た。
 
そして前述の日本でのフィーバー。
W杯以降一年くらいはベッカムみたい!とか〇〇のベッカムと言う言葉は、イケメンをほめたたえる神聖な言葉となった。
思えばイケメンという言葉もこの辺りから定着した言葉なんじゃないかと思う。
一歩歩けば黄色い声があがる異常な女子の熱気と、「あいつらサッカー知らないくせに」の男子の嫉妬が絡まる不思議列島と化した日本で、ベッカムは因縁のアルゼンチン戦を迎える。
 
前シーズンの終了間際に大怪我を負ったベッカムだったが、不屈の精神で何とかW杯に間に合わせた。
シメオネとも握手を交わし、PKのチャンスにド真ん中に蹴り込む魂を見せつけ、1-1と引き分けたものの個人としては過去の精算に成功。
その後ブラジルに敗れベスト8で敗退するも、地獄とその呪縛を自ら断ち切ったベッカムは確実にW杯史にも名前を残すこととなった。
 

スターの職人的プレー

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昨今のコンプライアンス旋風はフットボール界にも吹き荒れており、昔のフットボールスターは、もう少し破天荒が許されていた様に感じる事もしばしばだ。
ジョージ・ベストマラドーナや、ガスコインなど、ロックスターの様な振る舞いで世間を騒がせていたが、いつしかフットボーラーはより紳士となり、メディアはスターの振る舞いを監視する様になっていった。
ベッカムは、その風貌での注目度も高いことから重要参考人として常に報道が先行していた。
 
不倫がどうだ、とか。退場がわざとだ、とか。ファーガソンへの態度が悪い、とか。
スターの宿命として、数々の活躍と栄光と同じくらいの噂話が常にまとわりついていた。
払拭する程のプレーを見せても、インタビューで聞かれるのはファッションの事だったり。
素晴らしいプレーの秘密よりも、ベッキンガム宮殿の秘密の方が大きく取り上げられる。
フットボールスターの範疇を超えた振る舞いにも気を配る必要もあった。
それでもベッカムが偉大なフットボリスタだったのは、真摯に直向きにプレーし続けたに他ならない。
 

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ピッチ上のベッカムから感じるのは、スターの華やかさはもちろんなのだが、それよりも熟練の職人の様な洗練され研磨された動きに目がいく。
そのキックは、技術面でも芸術面でも唯一無二で最高峰の結晶だった。
 
大鷲が獲物を捉えた時の様な、大きく腕を広げた誰にも真似できない独特のフォーム。
これがまた格好いいし彼特有のもので、ファンや子供達の羨望を大いに増やした。
レーザーの様なストレートの高速フィードも、ボールに意思がある様な変化を見せるカーブをかけたクロスも、全く同じフォームから繰り出される。
柔軟な股関節でインサイドの面を大きく広げ、身体から最も遠くでスウィートスポットを作るキックは、最も真似をするべき精度だが、誰にも真似の出来ない職人の技巧だった。
 
 
そしてその精度と、それによって初めて実現する高次元のアイディア
代名詞と言われるFKだったり、光速のサイドチェンジ、ピンポイントに点で合わせられるアーリークロス。
ボールの速度、軌道が自在なだけに、あらゆる場面でピンポイントに目標に到達できる。
座標さえ打ち込めば確実に到達する高精度のシステム、初めて見た人からすれば機械みたいだし、サッカーを知っている人からすればその職人的技巧の事実に惚れ惚れするのだ。
 
引退間際になっても、その技術だけは彼を裏切らない。
ベテランになってからも、ビッグクラブが次々とローンを申し込んだのは、決してプロモーションだけの意味ではないはずだ。
おそらく今でもそのダイナミックなフォームが実現する半径1メートルのスペースと、鷹の目をもって狙いを定める1秒少しの時間があれば世界一のクロスを上げれるはず。そう思えてならないほど、特殊な技能だった。
合成?って話題になった下のビーチでの超絶技巧動画も、正直ホントに入ってるんじゃないかと思ってしまう。
彼だからこそ、ホントに入っていても全くおかしくない。それは彼のプレーを知っている人ならそう思うはずだ。カリフォルニアスタイルが似合いすぎ。
 

スターとしてのフットボール人生

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ベッカムは近年で間違いなくNo.1の影響力を持つビッグなスターだった。
フットボールを越えコマーシャルな存在としても、最終的にフットボールへ帰結し多大な貢献をした事は、日本のフィーバーを見てもわかる。
巨大な力が蠢くフットボールの世界でもしっかりとスターとして自己演出しながら、その才能を遺憾なく発揮したプレー。
その両立こそ本当にベッカムが評価されるべき部分だ。
ちょっとしたスキャンダルが倍々になるスターの世界でボロボロになっても、右脚から繰り出す放物線は愚直なまでに美しいままだった。
ただただフットボールを楽しむわけにはいかなった。若い自分も周りもそうさせてくれなかったのだ。最後の涙はそれも詰まったものだ。
ディヴィット・ベッカム。カッコいい生き様だった。
 

【Football soundtrack theme David Beckham

Ash ’Burn Baby Burn’


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