ブラウン管の向こうから届く絶妙な映画たち 後編
あらすじと概要は前編で!
ショコラの見どころ❶ アクセントの強い描写
舞台はフランスらしい美しい気品はあるが、少し寂れた閉鎖的な村。
そのにヴィアンヌとアヌークの母娘が、真っ赤なフード付きのマントで現れる。
冒頭のそんなシーンから、今後の一筋縄では行かなそうな展開を思わせる描写が、静かな音楽とともに鮮烈に描かれる。
そんな唐突なくらいのギャップの強いアクセントのついた描写が多い映画だった。
登場人物のアクションや、表情でストーリーの動きを強調する鮮やかな演技。
シリアスな中に時に効果的にコミカルさを取り入れながら、一つのキーワードである排他的な村、と言う描写は特に細かく、バーの男がジプシーに言い放つケモノはお断りだと言うセリフだったり、カロリーヌの指先や、犬の顔まで細部まで描かれる。
その描写を溶かすように、多くの肝となるシーンで現れるのがチョコレートだ。
チョコレートで人々が幸せになる、と言う描写だけでなく、実際に食すシーンに重みがあることで、コントラストが浮かび上がるのだ。
カトリックとの対比で描かれるチョコレートの背徳感が濃く描かれ、特にアルマンドのパーティーのシーンでは、七面鳥にチョコレートをかける描写がスローになり、圧巻の食事シーンだった。
最後の砦のレノ伯爵のショーウィンドーのシーンは物議を醸しているシーン。
狂気的で妙にコミカルで、一見映画にそぐわないようなイメージもあるけど、ここまで振り切らないとラストシーンにはふさわしくないし、ヴィアンヌの秘密にすると言う言葉で全てが綺麗に収まった。
ショコラ見どころ❷ キャラクターとセリフ
ちょっとくすみがかったテーマだけに、映画自体もそうなってしまいがちだが、それをさせないのはポップな登場人物のキャラクターとセリフのバランスがいいからだと思った。
主人公のヴィアンヌの爛漫さ奔放さと言う積極性、ジョセフィーヌはショコラに最も救われたキャラクターとして徐々に存在感を増していく、アヌークやリュックの子供達も可愛らしく味をだすし、常連たちも、それぞれの問題を抱えながらショコラで時を過ごすのが自然と馴染むし、ルーも絶妙な存在感だ。シャイな初老の男性が飼っている犬ですらいい。
敵役でもあったカロリーヌやレノ伯爵やセルジュの保守的ぶりも見事だった。
でもやはり最も重い存在だったのは、アルマンドだったと思う。
カトリックにも、自分の健康にも縛られず、抗ってきた奔放な人生だったんだろう。
そこにやってきたショコラの心意気を気に入ったことで、ストーリーにも大きく影響を及ぼした。
一言一言が厚みがあるし、鮮やかに心にストンと落ちる。
無邪気にリュックと喋るシーンや、スパンと決まる嫌味だったり、幅広くも映画を彩っていた。
お堅いのは嫌いさ、とかかっこよく言う。孫リュックの書いてきたアルマンドの肖像画に”若く書いてくれたね、やり手だよ”と言ったり。
村への起爆剤への意味を込めて、疲弊したヴィアンヌにパーティーを提案するシーンでも、ヴィアンヌが諭そうとするが”黙って聞くんだ。お願いだよ”と、遮ってさらに諭す。
”I’m not partial to big, sloppy good-byes”彼女の最後のセリフとなった言葉も、彼女らしく物語を加速させたのだった。
ショコラ見どころ③ ストーリーの展開
閉鎖的でカトリックの保守的な村に、ショコラ売りの母娘が訪れ、村を変えていくストーリー。
大まかに言えばそんなストーリーだが、そこに前述の癖のあるキャラクターがコントラストを加えて、うまく物語を加速させていく。
ただそのキャラクターの魔法の力だけによって、ストーリーは大団円を迎えるわけではない。
軋轢を解くような楽しいシーンの裏には、それを妬む者がいる。
それが新しい軋轢を生むし、大きな事件も悲しい別れもある。
そう言う痛みが教訓になって、ショコラの存在を認め、一人一人が目を開いていくのだ。
ラストシーンの清々しさは、今までになく、全てを見てきた上で、納得の清々しさがあってすごくよかった。
ブラウン管の向こうからのショコラの香り
ブラウン管の向こうから届く映画は本当に絶妙だ。
名前は知っているが、見たことはない。
なんとなく避けていたり、自分から見に行ったりはしなかった作品たち。
今回も良かった。チョコレート食べたい。
これからも、番組表とにらめっこしながら、いい映画を探そうと思うのだ。
それではまた別の記事で。