ブラウン管の向こうから届く絶妙な映画たち
映画を観る。
映画館ではなく、家で。
レンタルDVDでもオンデマンドもなく、テレビ放送で。
テレ東の午後を始め、BSで深夜やってるのを撮っといて後で見たり、金曜ロードショーとかを撮り貯めたり。
ブラウン管の向こうから届く絶妙な映画たちのレビュー第3弾。
今回は2007年公開の映画「最高の人生の見つけ方」を見た。
某レンタルビデオショップでアルバイトしていた学生時代に新作としてドカッと入ってきたのを覚えている。
ただ当時は、人生の終わりをテーマにしたハートフルストーリーと言う触れ込みにピンとくる事がなく、見ていなかった。
当時見ていなくて10年後の今、見て良かったと思えた。こんな感想の映画、多分いくらでもあるんだろうな。
ブラウン管の向こうから届く映画と音楽に想いを馳せてその3。
前回、前々回はこちら!
映画概要
公開は2007年でちょうど10年前だ。
監督はロブ・ライナー。
「スタンド・バイ・ミー」の監督といえば誰もが頷く存在だ。
長年、映画界にいる巨匠の、同じく長年映画界にいる超ベテランとタッグを組んだ映画。
主役のエドワードを演じるのは、名優ジャック・ニコルソン。
快演から怪演まで幅広くこなすアカデミー賞の常連の殿堂入りの大俳優だ。
NBA好きな僕としてはレイカーズの中継で御目に掛かる方が多い。
偏屈ながら温かみのある人柄の演技、この映画でもこれ以上ないハマり役と言っていい。
相方役というかもう一人の主人公カーターにはこちらも名優モーガン・フリーマン。
名作には必ず彼がいる、親戚のおじさんの顔より頻繁に見てる。多分史上最高の脇役。
彼らしい役処で彼らしい演技をいくつも見せてくれた。
こ
この二人が中心に物語は進む。
交わることのない二人の人生が、最期の最期に交わった。
そこからこの映画のストーリーは始まる。
物語の幕開けはモーガン・フリーマンのナレーションで始まる。
この声がまた渋い。
そのあらすじ
冒頭
人生の意味とは何か。そんなナレーションから物語は始まる。
自動車整備工場で働く初老の男性カーター(モーガン・フリーマン)はこの道45年の大ベテランで、博識でクイズ好きな穏やかで落ち着いた老人だ。
職場の若者にクイズを出されて遊んでいるところに、一本の電話がかかってくる。
健康診断の結果、ガンを発症している事が判明。
近隣の大病院へと入院することになる。
シーンは切り替わって裁判所のシーン。
どうやら大実業家を相手取っての裁判中。が、当の本人は全く意に介せず興味なさげ。
白髪でニヒルな笑顔を見せる初老の男性エドワード(ジャック・ニコルソン)は、相手に回すとめんどくさそうで怖そうな老人だ。
自身が経営する病院に関する裁判中だったエドワードだが、その裁判中に吐血し、自分の病院に入院することになる。
病室での出会い
シーンは病室のシーン。ここで初めて二人が交わる。
エドワードが緊急手術後、入院する病室は二人部屋で、秘書がエドワードのコーヒーセットなどをテキパキとセットする。
先にいたカーターを見て「あんなミイラみたいなやつと一緒にいれるか」と言うが、元はと言えば裁判でも突っ込まれていたエドワードの合理主義な施策の「病室はいかなる場合を持っても二人部屋」と言う発言が元になっている、それで自分だけ一人だと印象が最悪だ、と秘書のトーマス(ショーン・ヘイズ)にたしなめられる。
カーターからしても第一印象は最悪だった。カーターの元にやってくるたくさんのお見舞いの家族からしても、変な人ね、みたいな感じ。
それに対してもエドワードは皮肉を言ったりとする。
それでも同じ部屋、同じ病状・境遇に置かれた二人は徐々に共感し、互いに興味を持ち、会話をするようになる。
今までの人生を話したり、生活の事を話したりと、徐々にお互いを理解し、一緒に病院を歩いたり、カードして遊ぶ仲良しになる。
ある日、メジャーリーグを観て毒づきながらエドワードがカーターに話しかけると、カーターは忙しそうに一枚の黄色い容姿のペンを走らせていた。
the Bucket Listと書かれた紙、それは何だ?とエドワードに聞かれても何でもないよとあしらう。
あまり会話にならず、メジャーリーグに毒づいていると主治医がエドワードの元に。
エドワードに余命が半年、持って一年だと伝える。
「先生、テレビが見えんよ」と彼を追い払い、心配するカーターに背を向けて神妙な表情で目を閉じようとする。
その向こうで心配そうなカーター。
だが、すぐにカーターにも余命が告げられる。カーターも、半年。
ショックに打ちひしがれたカーターはthe Bucket Listをクシャクシャにし床に捨てる。
ようやくこちらを向いたエドワードに、カーターは一言「カードでもするか」エドワードは「その言葉を待っていた」と返す。
the Bucket List
翌日、トーマスに起こされたエドワードは、トマスが拾った紙に興味を示し、それを読む。
マスタングを運転する、とか荘厳な景色を見る、とか箇条書きにされたメモ。
起きてきたカーターに尋ねるが、カーターは恥ずかしそうに返せとしか言わない。
そこはしつこいエドワード、聞き出すと、それは軽い気持ちで書き出した「死ぬまでにやりたいことのリスト」だと判明する。
元々悪巧みが得意そうなエドワードがノッてきて、お前のだけじゃ面白くないと自分の思うリストをどんどん書き足していく。
世界一の美女とキスをするとか、タトゥーを彫るとか。
今更我々に意味はないと、カーターはたしなめるが、エドワードは今だからこそ意味があると、これは’機会’だと引かない。
やがて触発されてきたカーターは、妻と大喧嘩をしてまで、家族を残し、エドワードと旅に出る事を選ぶのだ。
二人の旅
スカイダイビングに始まり、エドワードがタトゥーを彫ったり、二人でマスタングに乗ったりと、思いっきりやりたい事をやる。
エドワードは惜しまず資産を出し自家用ジェットを用意、カーターも心残りを振り切るように楽しむ。
世界各国を周り、価値観や宗教観を皮肉とウィットな議論で話し、お互いを深く理解し、尊敬しもっと踏み込んだ悩みを打ち明ける。
エドワードは一人だけいる娘と、自身のやり過ぎた行いによって疎遠になっていた。
カーターもいつの間にか、いい夫といい父親になっていて、妻を手放したくないと言う気持ちがなくなっていた。
フランスの夜、急に吐血するカーター。
現実が一気に押し寄せてきたところで、エドワードにカーターの妻から「夫を返してくれ」と電話がある。
そろそろ帰るか、とエドワードが提案するが、カーターは拒否する。
ライオンを見に行ったりと旅を続け、ピラミッドを一望しながら、死生観について語る二人。
「天国には門があり、門番の天使に二つの質問をされる」とカーターは言う。
「人生の喜びを見つけたか?」「人に喜びを与えたか?」と。
人に喜びを与えたか?と聞かれ考えたこともないと答えるエドワード。
二人が二人とも、相手のためにという気持ちが芽生え出した。
タージマハルを経て、エベレストを目指しヒマラヤまでやってきたが、吹雪のため山は見えない。
半年後にならないと、吹雪は止まないそうだ。
つまり二人は見れない可能性が高い。旅の終わりも感じつつ、香港へと向かう。
バーで飲むカーターの元に、一人の女性が近づく。
話は弾み、部屋へ来ないかと誘われるが、妻への思いを思い出したカーターは断る。
浮気をしたことがないというカーターに「浮気をする」とリストに書いたエドワードが話しをつけたのか、それでも思い立ったカーターは旅をやめ家族の元へ帰る決心した事をエドワードに告げる。
それを聞いたエドワードはどこか満足そうで寂しげだった。
アメリカへ 唐突な別れ
アメリカへと帰ってきた二人。
寂しさと旅の疲れが半分半分で表情に出る。
空港から秘書の運転で向かうが、道がいつもと違う。
エドワードが問うと、秘書は事故の為迂回していると答える。
ある家の前で、止まる。そこはエドワードの娘の家だった。
カーターの計らいだったのだが、エドワードは家を尋ねることを頑なに拒否。
激高したエドワードは、「こんな旅しなければよかった」と吐き捨て二人を降ろし、自分だけ車で帰ってしまう。
大きなしこりを残してしまって二人の度は終わる。
自宅へ戻ったカーターを待っていたのは、妻バージニアを始め愛する家族だった。
一方エドワードを待つものは一人としていなかった。
久しぶりの団欒の食事で幸せを確かめたカーターは、家族が寝静まった後、妻とのひと時を過ごそうとするが、寝室で意識を失い倒れてしまう。
ガンが脳に転移したのだった。
退屈な日常に戻ったエドワード。
会社の会議も上の空だ。
そこに秘書から電話が来て、カーターが倒れたことを知る。
緊急手術、エドワードがかけつける。
カーターは寝ていた。付き添っていた妻バージニアから、カーターからの手紙を渡される。
目を覚ましたカーター。エドワードが調子はどうだ?と聞くと皮肉で返す。
少し元気が出た様だ。
そこでエドワードの好きなコーヒー「コピ・ルアク」の話になる。
実は高級コーヒーのコピ・ルアクはジャコウネコに一度食べさせ、そこ消化液で熟成させ取り出す、つまりは猫の糞から取り出しているとカーターが言う。
二人は大笑いし、カーターはリストの泣くほど笑い転げるを線を引いて消す。
そしてカーターはリストを、まだ終わっていないとエドワードへ託す。
「一人じゃ無理だ。」というエドワードだが、「君に任せた」とカーターは言う。
笑顔で受け渡すカーターと笑顔で受け取るエドワード。
これが二人が最後に交わした会話だった。
カーターからの手紙を読んだエドワードは、娘に会いに行く。
すると孫娘がいて、エドワードの頬にキスをする。
「世界一の美女にキスをされる」に線を引いたのだ。
カーターは手術を受けるが、そのまま帰らぬ人になる。
エドワードはカーターの葬儀の弔事で、赤の他人だった我々はお互いを幸せにしたと誇り高く語るのだ。
その後、エドワードも死去。
シーンは二人が登れなかったエベレスト。
秘書のトーマスは景色のいい場所へと登る。
小さな祠にはカーターの遺灰の入ったナッツ缶。
そこへエドワードの遺灰のナッツ缶を並べるようにいれ、最後の項目に線を引いたリストを彼らの間におく。
トーマスが見上げたエベレストの景色は、見たこともない荘厳の絶景だった。
感想
ストーリーの展開が急なのもあって、一気に見れた映画だった。
設定に無理がある、とか、あり得ないストーリーだ、とかいう声もあるみたいだが、無粋だと思う。
この二人(とトーマス)だからこそ出来る旅、その展開も合間の会話も全て魅力的なものだった。
会話と心情 二人の名優を存分に
ひとつの会話を切り取っても、画になるし、さらに台詞回しがニクい。
そのウィットさにやられて、もうニヤニヤしっぱなしで見ていたと思う。
くしゃっとした笑顔、吊り上がった眉毛、悩ましげな俯く表情、子供みたいにおどけた顔、眩しそうな顔、激怒した震える表情。
それら全てがその1シーンを彩る。そこだけ静止画にしても伝わりそうな表現力。
一番最初のカーターが電話を受けた顔から、衝撃的だった。
二人は時折、議論を交わすが、それが白熱しないのだ。
あっという間にどちらかが交わし、もう一方もズシっとした一言でオチをつける。
ニヤリと微笑み合い、また歩きだす。
境遇は違えど、長く長く生きてきた二人の優しい火花の飛ばし合いが楽しい。
そういう台詞回しと表情が合わさった瞬間は、観てる人を惹き付けるし、きっと忘れない名言になるんだろうなと思った。
個人的にはトーマスのセリフが好き。
「君の様な優秀な人間はいないと言いたいが嘘はつけない」とエドワードが言えば、
「あなたは寛大な方だと言いたいですが嘘はつけません」と返す。
「じゃあフェアだな」とエドワードも返す。
ニマニマがとまらない。これぞウィットだ。
大人のマイフレンドフォーエバー
昔マイフレンドフォーエバーという映画を見た。信じられないくらい号泣した映画。
この映画の場合は、病気の少年と、隣に住んでいる青年の話だったが、旅をしたり、途中悪ふざけをしたりと、展開はすごく似ているなと思った。
最高の人生の見つけ方はそれの大人版。
ジョークも子供っぽいものから大人的な物に変わったり、背負ってるものが大きかったり。
そういう大人の深み、より死が理解できている所からの、反動のコメディセンスがたまらなく暖かいものに見えたのだ。
死を考える事は人間誰だってあるはずだ。
今考えただけでも、途方もない闇が胸を締め付ける感覚がある。
だからこういうストーリーは必要なんだと思うのである。
ブラウン管から届いた映画、死ぬまでにいくつ会えるだろうか。
ジョンメイヤーの曲も最高でした。
それではまた次の映画で。