ブラウン管の向こうから届く絶妙な映画たち 後篇 内容をかみ砕く
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感想 伏線と描写とキャラクター
ストーリーの構成は大体一部二部構成に近い。
ハーバード大学でのFacebook黎明期、そしてカリフォルニアでのFacebookの完成。
物語前半の学生のアイディアが、物語後半で次第に時代を代表する様な会社になる。
その中でラストの聴聞会のシーンが挿入されつつフラッシュバック式に振り返りながら物語が進んで行く。
それが一人一人の感情を整理しながら見る事が出来て凄く入ってきやすい。
フラッシュバック前に粋なキーワードみたいなモノも出てくるし、限りなくドキュメンタリーの作りに近いフィクションの映画になっている。
ストーリー自体も起伏あって波乱万丈で見ごたえあるんだが、その描写の仕方と更には音楽、そして登場人物のキャラクターも魅力的で、その感情の絡み合い・セリフもとても見ごたえがあった。アクションでもないのに目が離せない。
少しキーワードに沿って振り返る。
音楽
ナインインチネイルズのトレント・レズナーとサウンドプロデューサーのアッティンカス・ロスというディヴィット・フィンチャー監督と関わりの強い二人が監修する。
常にどこか暗く切迫感のある音楽、ある程度シーンに合わせて夜らしかったり中国っぽかったりとテイストはあるものの、重く暗いその雰囲気は変わらない。
暗さを基調にしたフィンチャー映画には欠かせない音。
デジタルで冷たく、無機質で塗りつぶされた不安になるような音楽は、一枚カーテンを挟んでみているような存在感すらあるし、それが色味を引き立たせてクセになるのだ。
キングクリムゾンのエイドリアンブリューがギターで参加していたりするらしい。
ちなみにフィンチャーはナインインチネイルズの名曲名PVの’Only’の監督もしている。
マーク
ジェシー・アイゼンバーグはこの年のアカデミー賞主演男優賞を受賞する事になるほどのハマり役。
理屈っぽく、卑屈で、ナード。
数々のセリフでその性格を自然に印象付ける。
エドゥアルドにカリフォルニアに行く事とギリギリまで行ってなくて「カリフォルニアに行くっていつ決めた!?」と言われ、「それって実際に決めた時間?」と答える。
聴聞員に数字を叩きつけられた時も、「待って!計算してみる。オッケー、同じ数字だ。続けて」と言ってみる。
彼らしいユーモアともとれなくないけど、ほとんどの人は腹を立てるであろう口ぶり。
イライラを隠さずコミュニケーションを円滑にしようとしないその不全ぶりは、見てるこっちが「あぁ...」となってしまう。
僕は悪人じゃない、という言うシーンがあるが実際にはそうではないと思う。
ラストシーンで優しそうな弁護士のお姉さんに言われた「あなたはサイテーな人間じゃないけど、サイテーな人間に見えてしまっている」という言葉が端的に表している。
それに似た言葉を冒頭で浴びせた元彼女エリカの存在も彼にとっては大きい。
どことなく弁護士のお姉さんとタイプも似ている。
最後のシーンでそれで思い出したようにエリカに友達申請を送るマークは、全世界の男性の心を打った。
物語の途中、The Facebookを立ち上げた直後くらい、いい感じになった女の子とバーのトイレになだれ込むシーンの後、そのバーにいたエリカと再開するシーンがある。
友達大勢で食事をしているエリカに、女の子と良い事をした後だからか気を大きくしていとも簡単に話しかけ、The Facebookを知っているか?と聴くと、知らないと一蹴されブログに悪口を書いた事を罵倒され、もう一蹴される。
これも男が必ず一回はやる失敗だ。
エリカにしろ最後の弁護士のお姉さんにしろ、最終的には女性が男性を鮮やかに言い表す、そして切り捨てるという構成は、この本質がナードなストーリーには欠かせなくて痛快であり頷かざるを得ない。
男同士で何億ドルという話をしていても、失った女の子の心は取り戻せないのだ。
エドゥアルド
マークの親友であり、Facebookの共同創設者。
これらは物語が進む事で全て過去のものとなる、物語の重要なキーパーソンだ。
ファイナルクラブの誘いも来る程、社交的で頼りがいもあるが、より他の登場人物よりも常識的に描かれていた。
一夜だけの関係かと思いきや、しっかりその後女の子とガールフレンドにしてるし何かとマメな男だ。
キツイ出張の後、その彼女にFacebookの交際ステータスがなぜ恋人ありになっていないのかを疑われ、「やり方を知らない!」と答えるシーン。
またFacebookあるあるの一つだと思うが、彼はCFOだ。そんなわけないでしょ!と突っ込まれ、買って帰ってきたプレゼントのスカーフも「私がスカーフ付けているのを見たこと有る?」と燃やされるという散々な目に合う。
それでも知らないというのが、マークそしてショーン、Facebookとの関係が希薄になり危うくなっている事を表しているが、それでも過去の繋がりをマークを信じ、必死になってFacebookの為に働くが、結果不意打ちの様に決別する。
最後の聴聞会のシーンでも、自分から誘っておいて切られるという悔しさ、常識を外れたクールな者に成りきれなかった哀しさが入り混じる表情が、こちらもやりきれない気分になってくる。
そこでもマークは相変わらずだ。それでもお互い気まずそうに体の向きを向き合わせず、一瞬言い合った後はすぐに身体の向きを変える辺りに、もうどうしようもない感情の決裂が描写されていると思う。
エドゥアルドを語る上で大きな存在なのが、ショーンだ。
マークにも多大な影響を与えているが、自分の居場所を取られ、その存在を無い事にさせられたエドゥアルドは最も影響を受けている。
過去ナップスターの騒動でキレ者というイメージを植え付けたのをそのままに、人たらしっぷりをジャスティン・ティンバーレイクが大きめに演じているのがハマる。
彼のアイディアにみんな腹を立てて、それだけ注目を集める。
その才能と行動力でFacebookにも目をつけ、その可能性を広げるアドバイザー的役割から大株主となり、エドゥアルドの居場所を会社から排除した。
もちろんマークが決定したことでもあるし、エドゥアルドが反乱を起こし口座を凍結しサーバーをダウンさせようとした経緯、そしてショーンが見つけてきた新しい大口スポンサーへの株の割り振り、色々な事が重なった。
それでもショーンの存在がエドゥアルドとマークの関係の崩壊を早め大きいものにしたのは間違いない。
それでも最後、エドゥアルドがマークを訴える事を決断した決別のシーン。
株のパーセンテージが大幅に下がった事を弁護士に告げられ、そのままマークのパソコンをぶっ壊し、言い合いになったシーン。
ショーンが口を挟んでさらにエドゥアルドを苛立たせようと、過去のファイナルクラブの無茶振り絡みのスキャンダルの話を穿り返そうとする。
そこのエドゥアルドはカッコよかった。「お前の側にいるといい気分だよ、ショーン。強くなった気がする。」
結局ショーンも、パーティーでハメを外し過ぎて薬物でつかまりFacebookを追われる事になってしまった。
そしてマークは一人になり失望、訴訟を抱える事になってしまい物語は収束の結末へと向かう。
それでもFacebookは続くのである。
まとめ クールだという事 繋がりの話
一世一代の巨大なアイディアとなったFacebookの渦中、そこにあるキーワードは常に、何がクールか、という事だった。
ショーンがヴィクトリアシークレットを引き合いに出し、まだ成長途中で会社を売った事をこき下ろす。
パーティーを23時で終わるのか?マスを14匹釣って喜んでていいのか?
言葉巧みに、そう見えるが確かに言いたい事はわかる。
当たったスポットライトが眩しすぎて次にどこまで進むのか、どこまで行っていいのかもわからない。
怖くなるところで、アクセルを踏むかブレーキを踏むかどちらかの選択をいつの間にか強いられている。
クールであるためには、どうあるべきなのかを常に考えていたマーク。
そしてそのスピードが速すぎたが故にエドゥアルドの繋がりを絶ってしまった。
思えばやっていることはフェイスマッシュと変わらない。
行き過ぎて彼女に言い過ぎて手痛く別れる、そしてその悶々とした気持ちをクールなものにと変換して作ったのがフェイスマッシュだった。
反骨心というか妬みというか、そういう反動で生まれた初期衝動のフェイスマッシュはまだ粗く女の子の評価を落としたが、それをバネにしたのがFacebookという側面もある。
劇中のマークは妬みとかフェイスマッシュの挽回とかを否定したが、もっとクールな事をやりたい、そしてその渦中に居たい。
そういう願望は、そのシーンでのマークの表情は、聴聞会の表情とは違う晴れやかなものだった。
結局はそのスピードが速すぎて自分で顧みる事が出来ないまま、Facebookは進んでしまい、一つの友情を失い、それを過去の恋愛に思い出さされるという結末へと向かっていったのだ。
Facebookはなくならないし、全て解決可能な問題。それでも何かを亡くしたという喪失感は晴れずに物語は終わりを迎える。眉間にしわ寄せて憮然とするマークがさびしそうに見える。
判決によってエドゥアルドに支払う6億という金。
「あなたにとっては、スピード違反の罰金みたいなものでしょ」と、弁護士のお姉さんの最後のクールなセリフが、この映画の急所を突くような痛快なもので心に残っている。
ソーシャルネットワーク、やっぱりいい映画でした。