Football soundtrack 1987-音楽とサッカーに想いを馳せる雑記‐

1987年生まれサッカー・音楽(ROCK)好きがサッカー・音楽・映画などについて思いを馳せる日記

【オアシス】映画’Oasis:Supersonic’を観てきた【レビュー】

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世界最高のバンドOasisのドキュメンタリー映画を観てきた

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年明けの1/5。前の日まで暖かったのに急に寒かった。

そんな日にオアシスのドキュメンタリー映画”Oasis:Supersonic”を観てきた。

前回想いを馳せて、見たい見たいと思っていたところ、たまたま都合がついて見に行く事が出来たのだ。

 

www.footballsoundtrack.com

 

www.footballsoundtrack.com

 

少し早めについて映画館のフカフカした椅子で待っていると、ロビーみたいなところにオアシスの写真がたくさん飾ってあった。

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オアシスを聴きながら写真を撮りつつ、テンションが徐々に上がってくる。

こじんまりしたオシャレな映画館だったから余計にオアシスが前面に出てていい雰囲気。

都会のど真ん中なんだけど世間と隔絶してて、オアシスがいっぱいのいい映画館。

そこで僕はOasis:Supersonicを観てきた。

 

レビュー

Oasis:Supersonicは90年代まぎれもなく世界最大のバンドだったオアシスの結成から1997年、伝説となった25万人動員のネブワースライブまでを、オアシス本人達・その家族達・そのスタッフ達の証言と彼らの音源を中心に振り返るドキュメンタリー。

まさにその前振り通り、期待通りに進む展開の映画だったし、なにしろオアシスの物語だ。

一つ一つのエピソードがおもしろくないわけがないし、最小限コンパクトな色付けだけだった事が、よりスムーズに見れた要因でもあった。

 

映画はストーリーに沿って、場面ごとに証言が重なっていく展開が続く。

曲も全編ではないけど、語られているストーリーの場面とシンクロする様にカットされていた。
曲に圧倒されながら、音を聞きその歌詞を見てると不思議とシンクロしてくるあたりオアシスの楽曲の良さを感じるし、ハチャメチャな日常から拾い集めたものが歌になってる事に素直に納得してしまう。
所々、才能に圧倒される場面もあった。
ノエルが一回だけ弾いて聞かせて後はテレビでサッカーを見に行く。一回だけ聴いたリアムはオアシスのボーカルとして完璧な歌唱でワンテイクで歌を入れ、「サッカー見ていいか?」と一言。こういう映像はドキュメンタリー映画の良さがつまっていた。
 
他にもLive foreverが出来た時や、Some Might Sayの爆発力を語るシーンなどオアシスの才気に触れるシーンが多いのも嬉しい場面だった。

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何も持っていなかったデビュー前から契約までのエピソード、父親の問題、不遜すぎる兄弟、日本公演、アメリカ公演、アルバムレコーディング、明らかに調子に乗ったレッテルを貼られる、企業との戦い、ドラムの問題、ベースの問題、ドラッグ、ノエル失踪、リアムの喉。。。
数々語られてきた彼らのエピソードだが、それをヒストリーでおっかけると、トラブルが無かった時期はないという事がよりわかる。
 
最高にハイな気分から、次の瞬間にはどん底まで落ちる事件が起こる。
バンドを解散する他に解決を見いだせないトラブルの数日後には、世界最高の圧巻のライブを見せつける。
無数の導火線が敷き詰められた床の上で、寝ころびながらタバコとドラッグに火をつけ、火事になりそうな所を転がってる瓶の酒で消すみたいな生活。
音楽的にも世間体的にも順風満帆ではないが、何を言われても’ほっといてくれ’と背を向けず、堂々と’俺たちは世界最高だ。わかるか?’と戦い続けてきた。
ただ時に限界に近づいた場面の描写に、急に胸を締め付けられた時もあった。
ノエルがアメリカにて狂っていくバンドに耐え切れず失踪する中、Talk Tonightを作り上げたエピソード。
喉を壊したリアムとWonderwallのエピソード。
所々に入る彼らのお互いのコメントにいたわりは1ミリもないが、バンドの舵を取り続け責任をどこかで背負い続けたノエルの兄らしさ、歌を失う怖さに孤独感を口にするリアムの弟らしさに、ホッとするような人間らしさを感じるし、またそれが元のめちゃくちゃな日常に戻るキーになるのはいつもオアシスの音楽という事に勝手に嬉しさすら感じるのだ。

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全篇通して正論は決して言っていない。言ってたのはお母さんくらい。
ロックンロールなんてのは正論を言った奴の負けだ。
今はSNSを通してアーディストがどれだけ上手い事を粋に言うかみたいな世界だけど、この時代は もっと苛烈で鮮烈で美しくもあった。
ただ彼らの音楽こそが正しかった。
 
ノエルが終始キーワードの様に’結局残るのは曲だけ’と言う。
ノエルもリアムもバンドの化学反応を信じていた 。
本当に世界最高になれると、悪態をつきながら手ごたえを感じていたのだ。
Wonderwallをノエルから渡され伸びやかに歌うリアムを、横でギター弾きつつ眺めるノエルの顔には、眉間に皺がよりながらも頬は緩んでいた。
あの瞬間にこそ、彼らの本質が隠れていると思えるし、それを感じれたことは本当にファン冥利につきるのだ。
 
寒い中、オアシスを聴きながら帰る。
冷たい風も肩で切って歩けるのは、僕がリアムの真似をして歩いているからだ。
Oasis:Supersonic。いい映画でした。