Football soundtrack 1987-音楽とサッカーに想いを馳せる雑記‐

1987年生まれサッカー・音楽(ROCK)好きがサッカー・音楽・映画などについて思いを馳せる日記

【今聴ける究極の洋楽ロックバンド10】ロックミュージックから花束を。今投げつける究極の10バンドとその曲たち

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ロックとは。に答え得る今聞ける究極の10のバンド。

ロックとは?前書き

ロック好きを公称してると困ったことがある。
それはロックとは何か?という質問をされる事だ。
そんなに好きって言うなら答えてみろよ、っていう斜め上から目線で降り注ぐこの質問に、この文を読んでくれているロック好きの方々も、悩まされた事が1回はあるんじゃないだろうか?
もちろん、自分がロック音楽にのめり込む前は、そんな疑問が浮かぶ事もあったし、ロックを知らない人・知りたい人がそういう疑問を持つのは自然な事だ。
知りたくもないのに茶化してくるやつはムカつくけど。
 
だが、である。
全て思いの丈を語るには余裕で2~3日はかかるだろうし、ズバっと感覚的な言葉で言っても余計混乱するだろう。
そもそも音楽というモノの芸術性の高さが、何か答えを出すのがどこか無粋な気もさせる。
それでも永久につきまとう疑問の、何らかのアンサー的方向性を出したいと思うのが、ブログを書いたりしてて思うことの常だった。

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歴史的に、とか音楽的に、とか教科書的な事を言い出したらキリない。
そういう教科書的な事はもちろん大事ではあるが、それよりも今、ロックミュージックが存在してることは事実で、それが鳴っているのが感覚的にわかってる事のほうが大切なのだ。
カフェでもレストランでも居酒屋でもBARでもジムでもTVでも広告でも、流行りの音楽とサブスクリプションの一部として、ごった煮でロック音楽が流される昨今。
でもロックが鳴った瞬間、他とは明らかに違う空気になって、どこか開放的に心に灯が灯る。
ビリっと電流が疾走るようなギターの鳴り音・重く低くても軽やかにステップを踏めるビート・暗闇を切り裂いてくれるようなボーカルの肉声・それが複雑にもシンプルにも混ざり合うバンドアンサンブルの色合い。
そんなロック的な要素を集約して考えていくと、幾つかのバンド達に焦点が当たる事になる。
 
そんなロックミュージックに必要な10の要素を網羅する鉄壁のバンド達に想いを馳せ、集めてみました。
すなわち今この時代に、ユージュアルに心で鳴り続けるBIGなバンド達。
凄すぎる経歴と作品でレジェンド的な立ち位置ながらも、今現役で聞き得る事が出来る、モダンロックバイブル的な定番のバンド達である。
 
ライトとディープをギリギリを撃ち抜く必ず何かの答えが出る10のバンドと楽曲
僕なんてまだまだひよっ子だが、有無を言わさぬロックの一端に触れる記事になってれば幸いだ。
ここ何十年シーンの中心で鳴り続けてきたのは間違いない。
移ろい続けるシーンの中で、一過性の熱狂には決してならなかったド正論。
初心者向けに手取り足取りではない、むしろ投げつけて後は知らん。
Beatles?Nirvana?ベックはポップ?パンクやメタルとの境目は?
あのな、って講釈たれる前に、これ聴いて感想持ってこいって言うのがロック的で、きっと手っ取り早いのだ。
 
 
知らない人はまずここから聴いて欲しいし、知ってる人は少しでも共感いただけると嬉しい。
ココに書いたバンドのファンの人も、もう1度自分の心で鳴るロックと照らし合わせて聴いてみてもらえるともっと嬉しい。
素敵な暇つぶしになれば幸いです。

その他ロックコラムはコチラ❕

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Spotify Play list

 

1.Foo Fighters 1994年~ アメリカ

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ロックとは、鳴らす本人すら底知れぬ力強さを、人間的にフィジカル的にダイナミックに叩きつける音楽である。

1994年、カート・コバーンという余りにも巨星を失い崩壊した、世界最大のグランジバンドNirvanaのドラマーだったデイヴ・グロールが、自らギターを持ち曲を書きボーカルをつとめ、再び立ち上がり0から創り上げた当代最強ロックバンドがフー・ファイターズだ。

Nirvana=ビッグバンを起こし世界を制したバンドのメンバーで、その巨大な成功とそれに反目するパンクな精神を貫いた事、盟友カート・コバーンを亡くしそのバンドが消滅した事、近代ロック史の中でも最大の悲劇の真っ只中にいた慮るにも膨大すぎる経験と、そこから立ち上がった経験。

音楽というものが多少なりとも、それを鳴らす人の人間性が反映されるなら、ロックを通し苦しみも悲しみも知ったデイヴ・グロールだからこそ、本物のロックを鳴らせる説得力が根底にあった。

 

常に明るく笑顔を振りまき豪快なデイヴは、今やロック界の大兄貴であり、最も影響のあるカリスマだ。だが底に人間としての厚みみたいなものは常に醸し出される。

フー・ファイターズのサウンドはまさしくアティチュードそのもので、濃密で厚みのあるメロディーの全てに、ギター・ベース・ドラムそしてボーカルというロックバンドとしてのエナジーが満ちていて、グランジをルーツにしながらオルタナティブにダークに爆発させたハイパーロックサウンドは、間違いなく今'ロックとは?'の1つの正解に近い。

複雑な技術を使ったメロディーやサウンドよりも、肉声と生音の鳴り方をとにかく重視して、魂を揺さぶれる振り幅と強度をとにかく意識した音。

意外なほどシンプルなサウンドデザインには、そういう小細工なしの芯の太さと同時に、フィジカルなものだからこその残酷さとリアルさが滲むのだ。

感情の上澄みの綺麗な部分だけじゃない、もっと腹の底の陰の衝動や深い孤独感みたいな自分が見ないようにしていた弱く暗い部分まで根こそぎ掴まれるようなリアルな重さがあり、それでも陰鬱にならない気骨ある豪快さが前面にあるから無敵感を伴う要因となる。

ポップな甘さはなくともチリチリと常に肌がざわつくような鳴り音をダイナミックに操ったからこそ、フー・ファイターズはこの位置に居る。

今日はこのバンドの曲を聴きたい。今のこの場面には、この曲が合うよね。

そんな音楽の用い方ももちろんあるが、フーファイはいつもそれを凌駕してくる。

「他のどんなバンドでもダメだ!今この瞬間にフーファイターズを聴きたい!」という時折脳内を駆け巡る欲求は、コントロールできない程に膨大にデカく、そういう心から願った時に必ず応えてくれるヒーローが、フーファイなのだ。

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2.Queens Of Stone Age 1997年~ アメリカ

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ロックとは、人間の本質的な暗い部分、時にはどんな表現でも表せない奥底すら照らす音楽である。
ロックミュージックの奥底にある、どこまでも落ちていきそうな陶酔感・暗い闇の本質的な部分を受け継いだストーナーロックをルーツにもつカリスマ、ジョシュ・オムが作ったバンド、クイーンズ・オブ・ストーンエイジ
前述のデイヴ・グロールを始め、数多くのバンドが彼らを崇拝し、あらゆるロックミュージシャンが一緒に音を作りたがるカリスマ性は、彼らが深淵で最も深く歪んだ音をロックとして聞かせてくれる異端の天才性からきている。
 
 
体裁はロックでありながらどんなロックとも異質な暗さと緊迫感、しかし沈鬱にならずに開放的な危ねぇ快感。
ダークでストーミーな圧倒的に鋭い演奏での音の奔流、絶望と希望を同時に感じさせる崩壊的なボーカルは、00年代も20年過ぎようとしている未だ尚、ロックギターとフィジカルだけで会場を支配出来るし、身体の中の淀みと混ざり合う様な危険な音は、他のどの音楽より麻薬的な中毒性も持つ。
聞いていて時に背筋が凍るほどの圧倒的なロックバンドとしての構図と存在感は、冷たいほどにリアリスティックさをもっているし、ロックには欠かせない要素の空間掌握力は突き抜けている。
重なれば重なる程、不穏で獰猛になっていくが、それでも歌として機能する構成美は圧巻のカオスな構成美は、打ちひしがれる美しさがある。
誰よりもオルタナティブで、どのバンドも辿り着けないルートでロック界の頂点に居続けるクイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジ。
どこまでもダークでも、狂騒感と覚醒感というトリッピーな感覚を、これほどまでに感じさせてくれるバンドは他にはいない。
 
 

3.The Raconteurs 2005年~ アメリカ

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ロックとは、音楽家としての力量が畏敬的で、純度を高めた上で圧倒的なものでなくてはならない。
ガレージロックの奇才ジャック・ホワイトと稀代のオルタナメロディーメーカー、ブレンダン・ベンソンを筆頭に、デトロイトのロック仲間達が同窓会的なノリで集まったにも関わらず、それぞれが普通じゃない音楽家たちが集まったスーパーバンドとして知られるラカンターズ
まさに畏敬のバンドだった。
 
アメリカ南部の熱風の様なロックをルーツに、その初期衝動的なプレイとピュアな熱を技術的に結晶化したサウンドは達人の領域。
ジャックのギターとブレンダンの声というキラーコンテンツを中心とし、ラフに叩きつけるようなガレージロックを主としながら、超絶格好いいギターリフにフックがかかりまくるしブルースもアシッドジャズも遊ぶように奏でる。
 
一聴してもわかりにくい技量的な部分が初めて聴いた人でも’すげぇ演奏だ、とんでもねぇ曲だ’って畏怖とわかりやすい圧倒が常に付き纏う、他の誰がやってもニセモノになりそうな掛け合いと演奏、そしてバンドの高次な一体感は、過剰な程に芸術性が高い存在感は感じつつも、途轍もなくキャッチーでありシンプルに聞けてしまうロックの自由さが常に香る。
デトロイトの熱量と怜悧な程のアーティスティックなクールさが、その芸術性を複雑かつシンプルという圧倒的な域に達しているからに他ならない。
圧倒的でありながら、ポピュラリティーも絡め取る、破格の音の奔流。
ラカンターズはそういう意味でロックの真ん中にいるバンドだ。
 
 

4.Oasis 1994年~ イギリス

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ロックとは、最も人々に歌われる歌であるべきだ。

近年で、最もわかりやすくロックの王者として君臨したのはオアシスだった。

ギャラガー兄弟を中心にしたバンドは、挑戦的な意思表示と絶対的な自信、そしてロック愛に溢れるサウンドが絶妙な塩梅で混ざりあい、圧倒的なセールスや数々の伝説と事件、結果として最もオーセンティックかつ近代らしいロックスター像を創り上げた。

 

労働者から貴族まで誰もがいつでも口ずさめるようなビックメロディーは、ポップである事をねじふせ時代のど真ん中で鳴ったアンセムだった。

どんなメロディーでもリアムの声があれば爽快な開放感に満ち溢れていたし、それを込みでバンドサウンドを練り上げたノエルのメロディーメイクはケミストリーを完璧に狙って起こしていた。

 

90sイギリスのブリットポップという狂騒的なカルチャーすら産んだバンドは、その波にも呑み込まれること無く、強烈なカリスマ性と自我を追求する自問自答を繰り返し世界の頂点に居続けた。

時代ですら壊すことの出来なかったバンドは、ついに終わることの無かった兄弟喧嘩によって今は時間を止めてしまっている。

オアシスの分裂は世界的な事件となり、その影響力は拡散し続けるばかり。

もちろんそれぞれが活動を続けロックシーンを引っ張り続けている事は、ロック界にとっても明るいニュースだ。

兄ノエルは王道の技を封印した事で、新たな音楽性に開花しオアシスでは到達していなかった道に足を踏み入れているし、弟リアムはどんなロックサウンドも本物の突き抜けたロックに出来るシンガーとして君臨し続ける。

それぞれが活動してるから、それぞれのライブではまだまだオアシスの曲も聴ける。

99%あり得ない再結成が、ノエルやリアムやその家族やその他のロックスターの発言が情報化され、1分1秒毎にそのパーセンテージがコンマ単位で変動していく事に一喜一憂する世界が、ここ10年のロックの現状である。

その残りの1%に夢を見て日々過ごすのも全く無駄じゃない程、彼らの楽曲の尊さと共に苛烈な存在感を未だに放ち続けている。

 

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5.Muse 1998年~ イギリス

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ロックとは、前衛的な芸術でドラマティックなものでなければならない。

ことミューズにおいては現代ロックアーティストとして、最高峰であり孤高の存在であると言える。

’ロックは芸術たれ!’と叫ぶ、頭でっかち達も心を掴まれて涙して、衝動的なものを求める人もその荘厳なスケールに言葉を失う。

圧倒的な芸術を前にした時に、前身が総毛立つような迫力と同じものが、彼ら3人のロックサウンドにはある。

 

Vo.マシュー・ベラミーのこの世のものとは思えない寓話的な声に、ヘヴィーなベースラインを軸にしてシンセとギターの音色を巧みに織り交ぜた、重厚で幻想的なポップネスを産み出すサウンドは、童話のようでありながら圧倒的でメッセージ性すらあるようなSF映画を観てる様な美しさがある。

世界観に阿らず、テーマを社会批判や危機感を煽るメッセージ的なものとして現実と横断できるリアルな冷たさも持っているのが、ロックとしての肝。

その芸術的で荘厳なロックミュージックは、そのレベルの高さで他のバンドとも一線を画するオルタナティヴなものであると同時に、シビアに叩きつけられる無機質な感触すらある。

マシューの笑顔は、だからこそ柔らかく見えるのかもしれない。

 

6.Arctic Monkeys 2005年~ イギリス

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ロックとは、単純で即興性を持ちながら劇的にスタイリッシュなもので無くてはならない。

ストロークスもリバティーンズもそうだが、それに続いたアークティック・モンキーズの出現により、21世紀最初に訪れたロック界のビッグバン”ガレージロックリバイバル”は未来永劫語り継がれる歴史的な転換点となった。

彗星のような輝きを持って、突如としてロックの歴史に現れたアークティック・モンキーズは、ガレージでどこまでもロックなサウンドで磨き抜かれたオルタナ銀河を創り上げた。

時代の寵児となり、まるでオアシスと入れ替わるかの様に、あっという間にチャートを席巻し決して抜かれることの無かった売上記録を塗り替えていったアクモン。

それがオアシスの時の様に狂騒的な騒ぎがクローズアップされるよりは、本人たちを筆頭にドライにスタイリッシュに広まっていった冷感みたいなものが印象的だった。

無駄を省いたガレージ感覚鋭いラフかつクリアなメロディー、ストリークスやリバティーンズがモダンに炸裂させたロックにおける最小公倍数のマジックを信じ、ミニマルで革新的なフレーズを繰り返す事だけでライブハウスからベースボールスタジアムであろうと完全制圧できる音の響きのレンジを創り上げた。

叩きつけられるようなリフは、それだけで合唱が起きるような狂熱を起こせるもので、シンプルだからこそ、ロックの神秘性を強調させる事件的な音楽性だった。

どこまでも踊れるロックであるグルーヴもモダンなものであり、バチッとまとまる濃縮されたインパクトの強さが強烈。

決まったダンスよりめちゃくちゃなポゴダンスが実は合うところも、実にロックなのだ。

シンプルかつマニアック、という一回り時計の針が回ったような、オルタナロックの本質に触れる近代ロックバンドだ。

 

7.Green Day 1990年~ アメリカ

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ロックとは、世の中に反抗的で、それでも誰もが自己投影できるアイコンであるべきだ。

カリフォルニア州バークレー、ギルマンストリートのアンダーグラウンドなパンクシーンは、セックス・ピストルズのジョニー・ロットンが’ロックが死んだ’と言い放ち爆散させたパンクロックの新しいモデル、すなわちシーンに風穴を開けるビックバンとして90sオルタナティヴロックの中でも大きな注目を集めていた。

その筆頭であり、ストリートを飛び出しインターナショナルにヒットを飛ばしムーブメントを創り上げたのがグリーンデイだった。

 

最短距離で繋いだポップとパンクの融合は常に鋭くエッジを持ちながら、楽しいファニーなもので有り続け、フラストレーションを明快にダイナミックに解き放った3分間の痛快さは世界を変えた。

ティーンの誰もが抱えるネガティヴな感情を明るくキャッチーなパンクサウンドに乗せ、ビリー・マイク・トレの3人それぞれが、リスナーが投影しやすい様に自らアイコンの様に振る舞った事で、彼らは誰にも手が届くヒーローとなった。

ポップ=商業的という批判も跳ね返せたのも、先駆者で有り続ける為の試行錯誤を繰り返し、オルタナティヴに全く新しいロック像を実現し続けてきたからである。

彼らも大人になって民衆を先導するパンククルセイダーとなり、反体制の象徴とも言える金字塔をいくつも創り上げた彼ら、もはやベテランバンドとしての風格もありつつ音楽人としての進化は留まる所を知らない。

それでもいつでもアイコニックで、手が届く位置にいるヒーローでいてくれるからこそ、何年経っても全く同じ様にBasket Caseを歌えるし、時代を越えロックの中心=ティーン達の英雄で有り続けられるのだ。

 

8.Red Hot Chili Peppers  1983年~ アメリカ

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ロックとは、緩急自在な全面性を持っていないといけない。
全世界で1億枚近くの売上を誇るモンスターロックバンド、レッチリのロックはずっと楽しかった。
ハードロックやパンクをルーツとしながら、ファンクやラップとロックを融合したミクスチャーのパイオニアとして、唯一無二で永久不滅の型を創り上げつつ、そのクオリティーでフリーキーに時代を突き抜けてみせた。
 
まるで見えない何かと戦っているようなビートで、漫画みたいにそれを倒してく強靭かつコミカルなパフォーマンス。
甘いグルーヴィーなメロディーを操りながら、原初的な衝動を煽るようなファンクなノリで魅了する、緩急自在さと常に官能的ですらある魅力があった。
 
ペニスソックスみたいなおバカパフォーマンスで保護者の顰蹙を買いつつ笑かせてみれば、圧巻のジャムセッションはゾクッと背筋が凍る空間を作り出す。
バンドの中核を担っていたメンバーの脱退や死など、バンドを巡るドラマが途方もなくロックな物語である事も特徴的で、彼らの空気感には薄っぺらいチャラさみたいなものは1ミリも存在せず、悲しみや絶望を知っているからこその深みとかコクをナチュラルに醸している事も大きい。
シーンのどこにもない音であり続け、ロックアイコンとして甘い夢想を思わせつつも、実は傷だらけだからこそ深みを出せる無敵の存在になったのだ。
 

9.Radiohead  1993年~  イギリス

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ロックとは、近未来的であり時に自らの姿そのものすら破壊する事で前進するものである。

歴史的な名曲’Creep’に代表されるように、前衛的なギターロックミュージックで世界を制したレディオヘッドだったが、彼らの持つ前衛性はロックミュージック全体への懐疑的な想いとして向けられることになる。

ポスト・ロックと呼ばれ’ロックに似た何か’というレベルから、次第にロックそのものを否定し、新しい実験を繰り返した音楽性は何十年かぶりにそのフォーマットを更新した。

 

1997年の'OKコンピューター'でギターロックの変革を見せ、2000年の'Kid A'でギターロックを捨て全く新しいモノを産み出した。

成功と商業主義の酷使からスター的な祭り上げられ方に嫌気がさし、そこまではよくあるストーリーだったが、その後天地をひっくり返す様な冷徹な逆転劇で世界を呑み込んだのだ。

エレクトロニカをベースに据え、根本から音楽のフォーマットを一新し、様々な楽器を駆使し実験音楽の領域から芸術へと昇華させたセンスは、深淵の領域にありながら世界へと波及する影響力を持っていた。

その後はオルタナティヴにロックとの再融合も果たし、メンバーが個々にあらゆる表現形態で音楽を産み出している芸術家集団。

ここまでレディオヘッドの存在と音楽が世界を揺らしたことは間違いないが、それが何なのかは今明確に判断できない。

ロックバンドと呼ぶのも、どこかおこがましいのかもしれない。

それほどまでに近未来的な芸術性をもっている。

 

10.Rolling Stones 1962年~ イギリス

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ロックバンド、とはきっとローリングストーンズの事だ。

ロックとは、演奏と歌だけでなく、見た目だったり、言動だったり、仕草だったり、人を構成する全てで表現できるスタイルであって、鮮やかにセクシーにロックを撒き散らすローリング・ストーンズの面々は、まさしくロックそのものであった。

ロックの始まりを自ら体感した原初からの活動期間の長さは、それだけで圧倒的な年輪が刻まれているのがわかるし、ブルースを基調にしたロックンロールは、オーセンティックであり、でも時代と寝た古臭さよりもヒリヒリとした熱と甘さが未だに漂ってくる。

数多くのロックの名曲と、数多くのロックの名エピソード。

あらゆる軋轢を歌う音楽性だからこそ、摩耗していき短命になるのはロックの運命であると言えるが、彼らの生き様でここまでスターで現役でロックで有り続ける事は奇跡に近い。

きっと、正解はずっと彼らなのだ。

 

 

ロックミュージックから花束を

以上、10つのバンドを個人的な想いも含め羅列してみました。

お楽しみいただけてると幸い。

音楽というものは、ある者にとっちゃゴミで、ある者にとっちゃ宝物だって、この中の誰かが言っていた。

ロックが何か、はそれぞれがそれぞれに持てばいい。

ただそれでも途方もなくロマンチックで美しいロック音楽を、痴がましくも人に勧めようとするのなら、この10のバンドは中心にあるのではないかと思う。

ロックミュージックから花束を。今日もまた誰かに届けば幸いだ。

あなたの10個はどんなバンド?

 

それではまた別の記事で。