普通じゃなかった2018年
今年って平成何年だっけ?
西暦と元号を2つ使う国だからこそ、誰もが30年で1度は言ったであろうワードを僕言ったことがない。
1987年生まれで昭和62年の僕は、自分の年齢がいつも平成と一緒だった。
僕は10月生まれなので誕生日から年末の2ヶ月位だけ僕の方が年上で、その度に師走を意識したものだ。
今年って平成何年だっけ?というワードを口にしない事が僕の自慢でもあり、僕の普通だった。
西暦2018年平成30年。
12月も末になってようやく本気を出した冬、こんなに寒かったっけ?と毎年の如く浮かんでる想いごと、足元から氷漬けにする。
実に忙しい年末年始、なんだ暖けぇじゃん、と衣替えを放ったらかしていたそのツケがくる。
『災』の字で締めくくられた昨年。
こんな重要な年に、そんなネガティブな1文字はいかがなもんかとケチも付いたが、個人的な1年としてもネガティブなのかもしれない混乱したまま終わるちょっと普通じゃない1年だった。
平成が最後で、W杯が凄くて、エルレが戻ってきて、Oasisの両名が来日し、夏は超ド級に暑かった。
尋常じゃない太陽にどこか甘えて、体と一緒に自分のマインドもフラついてしまった気がする。
人生の中でもトップクラスに楽しい事がおきて、それを上回る様に怒りが通り過ぎても消化できないくらいムカつく事が起きる。
そんな乱高下の1年で何度めかの頭痛の中、自分の世界を大きく変えてみようと思うと、不思議と脳内はクリアになる今日このごろ。
きっと頃合いだ。
音楽はきっと、自分が聴くタイミングや環境で心身への染み込み方が変わる。
こういう普通じゃないコンディションの時こそ、心を大きく揺さぶったり、深く深く奥まで染み落ちていくのだ。
平成とほぼ同い年の僕もいつかこの世を去る事になる。
その時に思い出したくなるように生きよう。
きっとそういう節目みたいな年になるんだと思った。
普通だった平成が終わる事は全然なんて事ないと思ってた。
それでも人生のタイミング的・節目的な事もあり全然普通じゃない年だった。
身体はまだ全然動く、でも頭が老いて来てる。そんなノエルの言葉が刺さる。
普通な人間になるのは別に構わない。
でも偽物のワナビーどもにはなりたくない。
デクスターのニヒルでタフなメッセージで燃料を注いで自分を変えるのだ。
多分世の中は好きな人嫌いな人同じ人数で出来てんだろう。
嫌いな人を排除しても別の誰かが現れたりするんだ。
嫌いな人を排除しても別の誰かが現れたりするんだ。
どうしようもないし、どうにかする気も起きない冷え切った人間関係に疲弊してしまう。
つまらない人間に時間を割くのを一回止めるか、はっきりとぶっ飛ばしてやる他ないのだ。
怒りを置いて1年振り返ってみれば変わらず素晴らしい年だったじゃないか。
Oasis両名のステージを1ヶ月間の間に両方目撃し、行けてはないがエルレ復活に沸き、ロシアW杯は上手に批判する言葉を探していた頭でっかちになり忘れかけていたサッカーファンのとしての心を揺さぶってくれた。
すべての音楽を呑み込む最強のギターアルバムでロックを再び静かに爆発させたジャック・ホワイトは'お前らの思い通りの俺には絶対ならない'と宣言した。
その言葉を胸に秘め、少しでもその領域に近づいた生き方をしたい。
きっとこうやって僕は、音楽に背を押されていき続ける。
それはきっと幸せな僕の普通だ。
皆様明けましておめでとうございます。
今年も当ブログを宜しくお願い致します。