今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」備忘録と雑記として日記の様なもの2
慌ただしい3連休だった。仕事もそれなりに繁盛して忙しく、疲れてもいた。
そんな連休最終日、都会の真ん中で午前中を過ごしたら厳戒態勢で物々しい。
トランプ大統領が来るらしい。
割と忙しい3連休を過ごして来たってのに、通りに立ってる警察の方々はもっと忙しそうで、僕の外にも大きな大きな世界があって、知らない間にそれは回ってるんだなって思い、虚しさ反面無理やりやる気を奮い立たせて、もう半日に向けギアを入れる。
仕事を終えて、送別会へと向かう。最後の3連休のイベントだ。
以前にもブログに書いたこともあるけど、割と出入りの激しい職場で、コンパクトな身内だけの送別会は多いのだ。
そこでも涙の場面はあったけど、今回もそうで、そこにいる自分が、どうしようもなく俯瞰的なことに気づく。
一人一人別れを惜しみながら一言ずつ、ほぼ泣きながら喋る。
今回見送られる奴も僕より若いし、見送る奴らもみんな若い。
立場的に最後に喋るし、ぼーっとそれを見ている。
泣きはしない。
僕自身他にも関わってる仕事が多く、あまり関わっていない部分で彼がすごく慕われていたのは感じたし、僕への感謝も十分すぎるほどしてくれた、僕自身もすごくやりやすく感謝はしていた。
当然、やれるだけの労いをして、やれるだけのアドバイスをしたけど、でもどこか偉い人みたいに俯瞰的に見てしまい、その場だけ送別を惜しむという場には、自分だけ沿っていない様な気がした。
年齢の差、とか、雰囲気の差、とかあるだろうけど、もうちょい入り込んだほうがいいのか。
でもそれが不自然だと思うから、きっと僕は落ち着いて見ていたかったんだと思う。
きっと、それなりに彼の心には、僕の姿から伝えられたことはあったはず。
帰り道、Weezerを聴きながら”The World Has Turned And Left Me Here”に想いを馳せる。
Weezer-The World Has Turned And Left Me Here
僕を置いて回っている世界もあるのだ。
トランプしかり、若者しかり。
僕には僕の世界もあるけど、どこかでそれは交わるのだ。
その交差点に違和感はあっても、きっとそれを受け入れて僕の世界観なりの歩き方をするのが、いいんじゃないかと多分そう思う。
キラキラしたポップネスに乗せて、壮大な憂鬱を軽やかに歌うリバースの声に、そんな事を思った。
きっと僕が泣く場所は他にある。
畳み掛ける様にシャッフルはGreen Dayの”Boulevard Of Broken Dreams”を流す。
Green Day: "Boulevard Of Broken Dreams" - [Official Video]
僕の影だけ、僕の後ろをついて来る。
ちょっとだけ染みるそんな歌詞も、心の底に何かナチュラルに着地する感覚があって悪くない気持ちだ。
歩きながらニュースを見てるとトランプはゴルフをしていたらしい。
呑気なもんだ、と一人前の大人の様に吐き捨てて家に帰る。
こうやって僕の世界は回っていく。今日の音楽は割と寂し目だけど、それもいいのだ。
Walking Like A Man / the HIATUS
それではまた別の記事で。