4年に一度負けられないアツい季節 アジア杯に想いを馳せる
2019年1月9日のトルクメニスタン戦で日本代表のアジア杯2019は幕を開ける。
森保監督の元、サッカー日本代表はここまでの親善試合では過去最高峰の結果と内容で船出を切った。
森保ジャパン最初の大舞台、アジアカップでも大きく前向きな期待がかかりまくり絶対優勝の一言が掲げられている。
4年に一度の絶対に負けられない大会。毎回アジアカップはそうなのだ。
あんまり海外とリンクしている生活を送っていない僕にとって、普段自分をあまりアジア人だ、と感じることはない。
裕福な島国の勘違い特有の日本人意識という方が大きいんだろうと思う。
そんな極東の島国のサッカーファンの余裕で上から目線で見てるつもりでも、いつの間にか手に汗握るどころか苛烈な死闘になっていてアジアの難しさを感じるのがアジア杯の常だった。
最早戦力的に優位とかそんな物は吹っ飛び、どっちが勝つかわからないという試合の連続で、世界に誇る日本サッカーもナンバー1になることは難しく、それでも優勝してきた日本代表は誇らしく感じるのだ。
そんなアジア杯の日本代表の想い出を振り返る備忘録的企画。
まずは’史上最高の王者’とAFCのレリーフにも刻まれた2000年レバノン大会の日本代表の闘いを振り返りたい。
知らない人も多いハズ、知ってる人は素敵な思い出巡りに、アジア杯を楽しむ1つの肴になれば幸いです。
それではお付き合いください。
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大会背景と日本代表メンバー
時は1999年から2000年。
日本サッカーは史上最も難儀で苛烈な代表監督、赤鬼トルシエの下で黄金時代を迎えつつあった。
中田英寿というパイオニアを先頭に中村俊輔や小野伸二、稲本潤一、高原直泰、柳沢敦、松田直樹らの黄金世代の台頭と、自国開催のW杯を控えたそんな一世一代のビックウェーブをこのままトルシエで大丈夫?という期待と不安の入り混じった時期だった。
ワールドユースを準優勝し、シドニー五輪で更に強度を上げメダル確実と言われた超世界クラスのメンバー。五輪こそベスト8に終わったがその強さは本物だった。
ぶっ飛んだ監督トルシエと歯車の合わなかったフル代表も、同じ年のハッサン2世杯でフランスと引き分け、キリンカップの優勝辺りから風向きが変わる。
トルシエ解任からのベンゲル監督就任という構想が流れたこともあり、トルシエジャパンは追い風を受けて加速していく。
徐々に五輪を終えた黄金世代組と融合を進め、トルシエの戦術も具現化してきた所、この年負け無しでアジア杯へと向かう事が出来、相応の期待とともにレバノン入りした。
守護神はオールバック時代の川口能活。 第2・3GKには高桑大二朗と下田崇のベテランが固める。
代名詞でもあるフラット3は中央にキャプテンの森岡隆三、右に松田直樹、左はベテランの服部年宏。この3人はコンディション不良がない限り大会通して基本的に固定でスタメンだった。
既にフラット3は戦術としては完成の域にあって、東京ヴェルディ時代の中澤佑二もサブに控えていた。
中盤の要には10番をつけた名波浩が君臨。
不動のボランチの位置で司令塔としてだけでなく長く代表でプレーするベテランとして若い世代を自由にプレーさせる様なコンダクター・バランサーとしてチームの指揮を取っていた。
ボランチの相方を組む稲本潤一も、左サイドの中村俊輔も名波のバランス感覚によって大いに活かされ、ダイナミックにポジションチェンジを行いどこからでも攻撃の始まる魅惑的な中盤を作り上げていた。
右サイドでは五輪世代ながら玄人のように落ち着き払ってプレーする明神智和が不動のチョイス。
トップ下はASローマで時のイタリアの王、トッティとポジションを争っていた中田英寿を招集できず、1.5列目でボールに常に絡み続ける事ができる森島寛晃がスタメンに名を連ねていた。
シドニー五輪を大怪我で棒に振った天才・小野伸二、奥大介や望月重良など日本の長所を全面に活かすバックアッパーも充実していた。
2トップは高原直泰・柳沢敦・西澤明訓の3人からがファーストチョイス。
歴代の日本代表FWの中でも屈指の技術を持った3人に加え、当時のJリーグで飛ぶ鳥を落とす勢いだった北嶋もメンバー入りしていた。
日韓W杯を控え、アジアサッカーの先頭を走る日本と韓国両国の戦力に注目が集まるが、開催国は中東のレバノン。
紛争地域のイメージも強く、環境整備の問題も懸念されていたが素晴らしい大会運営で大きなトラブルは無かった。
'中東の笛'というもう一つの懸念も少なからず表面化したかもしれないが、この大会の優勝チームの強さ・存在感の前にかすれてしまった感じの印象が強い。
それほどまでに日本代表は強かった。
激闘録 グループリーグ
全参加国が12チームだった為、4チームの3グループに分けてグループリーグを行い、1,2位は自動的に決勝トーナメント、3位は成績上位2チームが決勝トーナメントへと進めるレギュレーション。
日本はサウジアラビア、カタール、ウズベキスタンと同グループに入った。
特に初戦の前回優勝国サウジアラビアは日本と同じく優勝候補とされ、両国の初戦の入り方は大会全体としても大きな注目ポイントだった。
比較的グループリーグは突破しやすいシステムであり、再び決勝トーナメントで当たる可能性もあり、手の内を隠すという戦い方もあった。
だが日本代表はまるで王者の様な闘い方で真っ向から前回王者を叩きのめした。
Lebanon 2000 ( vs Saudi Arabia )
縦パスを積極的に入れ、テンポ良くゴール前まで繋ぐショートパスを回し、かと思えば裏に抜ける高原・柳沢に名波・俊輔・稲本からドンピシャりのロングフィードが出まくる。
球際勝負でもFW陣は強靭なポストプレーとテクニックでマイボールを増やし、DF陣も身体を入れ替えボールを奪いきり時にはプロフェッショナルなファウルも駆使し危機を未然に防ぐ、フィジカル的にも技術的にも圧倒していた。
カウンターの形から最後は中村俊輔のアーリークロスが鮮やかに虹をかけDFの背後を取ると、森島がヘディングで落とし柳沢が押し込み先制。
俊輔のFKのこぼれ球を体を張って奪った名波からの名波らしいアウトサイドのスルーパスを高原がニア上に蹴り込む。
この試合で多く見られた素早いリスタートから名波のスルーパスがPA左を破り、突破した柳沢の折り返しを再び名波が走り込み左足で蹴り込む。
終了間際には自陣でクリーンにボールを奪い名波につなぎ前を向くと、前掛かりにハーフウェーまでラインを上げていたサウジの裏を取った交代出場の小野が冷静にキーパーとの1v1を制しダメ押し。
終了間際にミスから失点するが圧倒的な攻撃力の高さを見せ、終始チャンスを作り続けた日本代表は誇らしいほどに強かった。
俊輔のサイドの守備、3バックのサイドのスペースなど弱点ももちろんあったが、それを露呈するスキも無いほどボコボコに攻めまくった事でアジアを凌駕していったのだ。
サウジはこの試合後、監督を変更する決断をし大会中に生まれ変わり再び決勝で相まみえることになる。
2戦目のウズベキスタンでも攻撃陣は爆発。
面白い程にパスを繋ぎまくり、長短組み合わせた自在の攻撃で圧倒。
いきなり獲得したPKを外すものの、その後は多彩な形を尽くシュート・決定的なクロスに結びつけ文字通りボコボコにする。
西澤と高原が共にハットトリックを決めるなど8得点の圧勝。
早々に決勝トーナメント行きを決め、3戦目のカタール戦は選手を温存する事も出来た。
グループリーグで日本の闘い方の中でとくに大きな存在を放ったのは名波だった。
泥臭いプレーも厭わず、身体を投げ出して守備をしたかと思えば、左足一本から繰り出される七色のパスをピッチの各所に散らし、攻撃のスタート箇所に変化をつけ続けた。
何よりも的確なのはポジショニングで、ディレイの守備の場合もきっちりと最初の壁になり、攻撃の際には中村俊輔や稲本の自由を引き出す的確なサポート、左サイドを嫌い続けた若き日の中村も名波浩がいるならやってもいいと言わしめた。
アジアのお家芸でもある速攻逆襲でサイドのスペースを付かれたくないフラット3の守備の最初の防波堤として、黄金の攻撃陣の最も大きな歯車としてチームを動かし続けた。
俊輔のプレースキックやアーリークロス・フィードの精度、稲本の飛び出しや展開のダイナミックさ、高原・西澤の決定力、森島のボール回収能力、明神の献身性、3バックの統率と個々のデュエルの強さなど、個人戦術の高さはアジアレベルを遥かに超えていたしその融合が名波浩を中心に上手く作用し多彩な攻撃になってピッチで具現化していったのだ。
この盤石な勝ち方でグループを突破した事こそ、実はこの後の闘いを考えると何よりも大きかった。
自分たちのアイディアで相手を翻弄出来ている手応えを常に感じ、相手の攻撃を受けても多彩な攻撃を続けていれば、それが勝ちに繋がる。
そういう攻め勝つ闘いに対する自信をチームの勢いと結びつけることが出来たグループリーグの1・2戦は大きかった。
3戦目のカタール戦もメンバーを変更し、オプションを試すことも出来たのも大きかった。
明神のボランチ、望月の起用など、ここで試す事が出来た。これが後に大きな財産になる。
結果的には13得点3失点という圧巻の成績でグループリーグを突破し決勝トーナメントへと駒を進めたのだった。
激闘録 決勝トーナメント
ノックアウトステージ、最初の相手はイラク。
ホームとも言える中東のチームとしてイランと同じグループを2位で勝ち上がってきた。
日本は入り方が悪く2つのクリアミスを突かれ4分に失点を許す。
それでも本当の試合の勢いは日本にあった。
すぐに俊輔のFKから伝説となった名波のゴールが生まれる。
PA右サイドの角辺りのFK。俊輔らしい鋭く曲がるボールで、中の選手が飛び込みつつ少しでも触ればゴールに転がり込むという得意な形。
それを警戒するイラクがエリア内ゴールに飛び込む選手に総出でついていった所、俊輔はペナルティーのアーク付近でチップ気味に柔らかいボールを送る。そこにぽつんと飛び込んだ名波がインサイドで豪快にボレー。
そのアイディアとそれを実現に結び付けられる技術。
あっさりと決まった超絶的なゴール、そこには人1人分くらいしかないスペースにシュートの速さで空中のボールをダイレクトで決める名波の技術、ギリギリまで中へ上げると思わせつつチップ気味ながら最高のタイミングと高さでボールを送った俊輔の技術。
グループリーグでのゴールラッシュによる自信。得点慣れ、バリエーションの豊かさの象徴的なアイディアゴールだった。
その後もすぐさま高原のゴールで逆転し、名波の芸術的なループも決まり、後半には明神の豪快なミドルでダメ押し。
終わってみれば4-1で盤石の勝利。
先制点を取られた後も動揺せず、変わらず自在な攻撃を構築できる頼もしさは、落ち着き払い自信に溢れる強者のそれだった。
準決勝は知将として名を馳せるミルティノビッチ監督率いる中国戦。
ここまで戦ってきたチームの守備とは違い、組織的で連動した守備を構築する欧州的なチームとして勝ち上がってきた。
この試合目立った俊輔の大きなサイドチェンジ気味のクロスから折り返しでオウンゴールによる先制点を挙げるが、徐々に圧力を増す中国の攻撃陣に逆転される。
しかし決して攻め急ぐ事無く、スピーディーさを的確に増した攻撃でジワジワとチャンスを作る。
その漲る自信あふれる空気、スタミナ的にバテ連動してきた守備にほころびの見え始めた中国DF陣の姿も相まって、悲壮感はほぼ無かった。
俊輔のFKがポストに当たった跳ね返りを西澤が飛び込み同点。
再三チャンスを作った俊輔の左足からついに大きなゴールが生まれた。
そして2トップの崩しから空けたスペースに走り込んだ明神の気迫のミドルで決勝点。
その後も守りに入る事無く追加点狙いにバカスカシュートを打つ日本は爽快だった。
相手の時間帯にノラせてしまい逆転、そこからの再逆転。
ここまで経験していない展開の、ラフでタフな打ち合いも制した。
荒くなった試合の代償で稲本が出場停止になってしまうが、日本らしい攻めきる勝ち方で決勝まで来た。
ノックアウトステージという負けたら終わりの世界で、いくら魅力的な闘いをしていても負けてしまえばきっと何も残らない。
そんな瀬戸際の決意みたいな物も見えてきて、凄みを増したように思えた。
決勝の舞台。相手は再びサウジ。
観客はほぼサウジのファンというアウェー状態だ。
機能不全に陥った日本戦から監督を変更、システムも変えたサウジは別のチームの様だった。
ベスト8、準決ともに一点差でクウェート、韓国という実力国を倒し、本来の戦い方を取り戻した紛れもない前回優勝国の姿だった。
日本は出場停止の稲本のボランチのポジションに明神をスライドさせ、右サイドには望月重良を起用した。
サウジはシンプルにロングボールをフラット3の裏に放り込む戦法を徹底してきた。
会場の雰囲気もあり浮足立った最初のミスが森岡のエリア内でのファウルでサウジが前半10分足らずでPKを獲得。
しかしそれを外すサウジ。運は完全に日本にあった。
明神のバランス感覚によって、名波がより自由になった中盤から徐々にペースを取り戻す。
全く生まれ変わったサウジ、日本はベースは変えずグループリーグとは1つギアを上げた姿のぶつかり合いは見応えあったが、勝負を分けたがこの大会長所として貫き続けたセットプレーだった。
FWがしっかりと身体を張りFKを獲得する。左サイドの深い位置からでも俊輔なら何かが起こせるボールを蹴れるはずだ。
高速スライダーの様なボールはニアに飛び込んだ高原・西澤の頭上を越えてから鋭く曲がって落ち、2トップの裏にスッと走り込んだ望月重良のスライディングボレーで流し込み値千金の先制点を奪った。
このゴールがA代表初ゴールとなった望月重良は、カタール戦以来の先発出場でヒーローとなることが出来た。
しかしまだ試合は終わらない。
後半、選手交代も功を奏し息を吹き返したサウジ。日本の左サイドを突き完璧に試合を支配する。
今大会初めてと言っていいほど守勢に回ったが川口を中心に必死に跳ね返す。
DFもエリア内にはブロックを作って侵入させない、ミドルシュートもゾーンに入った川口能活が掻き出し続ける。
死闘の45分間。精神力・集中力を問われる境地になっても、力強さは日本にあった。
相手のミスもあった、が幸運だけにはしたくない、それだけの正しい実力が日本にはあったと思いたいのだ。
試合終了のホイッスルの後、前のめりに崩れ落ちた川口の姿がこの死闘ぶりを物語っていた。
1-0の勝利。総力戦による薄氷の勝利は、まさしく総合力として日本が優勝に相応しい姿を見せてくれたベストバウトだった。
史上最高の優勝国
圧倒的な攻撃力による多彩な攻撃サッカーは強いだけでない魅惑的な見栄えで史上最強のチャンピオンとして君臨した日本。
大会MVPには名波が選ばれ、最優秀DFには森岡、ベストイレブンには中村俊輔と高原も選出された。
攻撃的なサッカーはアジアを飛び越え世界レベルだと評されたが、不安を露呈したフラット3はその後、サンドニの地でフランスに粉々にされる事になる。
その後、この攻撃サッカーのベースと守備戦術のバランスを取った姿がトルシエジャパンの完成形として、6月の勝利の歌につながっていくのだ。
日本サッカーの歴史の中にも、僕らの心にも大きく刻まれているアジア杯2000の優勝。
凄え強くてカッコイイチームがあったんだ!
そうお伽話の様に言い伝えたいチーム。
史上最強のチームがレバノンの地で魅せた攻撃サッカーは、いつまでも僕らの憧れなのだ。