史上最も美しいパンクバンド、No Use For A Nameに想いを馳せて
What a Beautiful song ever!!
物事の美しさってのは、人によって違いがある。
どっからどこまでっていう範囲も人それぞれだし、どうカテゴライズするかの角度でも違ってくる。
音楽にとってもそう。だから音楽ファンは面白い。
時に、自分にとって'これは一生モノだ'と、普遍的に成りえる確信を持てる、余りにも美しい曲に出会う事がある。
美しい曲と思い浮かべてどんな曲を思い浮かべるか、というかどういう曲を美しいと言い胸に刻んで生きて行きたいか。と言い換えていいはずだ。
今日触れるこのバンドの曲は、僕みたいな何かとやり切れない人間には本当に途方もない程ロマンチックで美しい。
No Use For A Nameは美しいパンクロックバンドだった。
スケートパンク/ポップパンクシーンの中心的バンドで、1990年代から今の今までキッズのカリスマであり続けたストリートの伝説的なパンクロックバンド、な事は改めて触れる事ではないかもしれない。
フロントマン、トニー・スライの死によって2012年にその時間は止まってしまったが、それでもその評価は、賞賛を惜しまず語り継ぐ者の多さにも比例して登り続けている。
その間口は広い。
初めてパンクロックに触れる人が聞こうが、玄人パンクファンが聞こうが、バンドサウンドの美しさに心を奪われ続けて来た。
初めて名前を見たって人も、死ぬ程見てきた人も、是非聴きながらこのレビューを読んでいただけると幸い。
彼らを知ってる人、彼らの名前を見て、聴きたくなったらちょっと疲れてるサインだぜ。俺と一緒だ。今すぐ聴いてくれ。
No Use For A Nameに想いを馳せて。
- 史上最も美しいパンクバンド、No Use For A Nameに想いを馳せて
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- メロディックパンクの真髄 名曲’Soulmate’
- ノー・ユース・フォー・ア・ネームというバンド
- 音楽 グッドメロディーとグッドスピリット
- 今聴きたいNo Use For A Nameの10曲 画像クリックで動画再生
- 寂しいけど、彼らはいつもそばに
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メロディックパンクの真髄 名曲’Soulmate’

やっぱりカッコいい。これを見てキャップを後ろに被る事に憧れた。
知る人ぞ知るバンドの、言わずと知れた名曲枠、彼らの'Soulmate'を聴いた時、全てがカチッとハマる快感に包まれると同時に、いかにこの曲がグッドメロディのパンクソングとしてスキが無いかを思い知らされる。
一瞬で高揚感に染め上げられる突き抜けたギターリフ中心のパンクメロディー。
ラフでナチュラルでも自由で透き通ったトニーの歌声。そのすぐ後ろでシャープに刻まれるビートとギターの応酬。
混ざり合って1つになるバンドサウンドのレンジはコンパクトで、両手広げたくらいの程よい抱擁感。
僕らの為の曲だ、と恋に落ちた様な電撃。言ってる事わけわからんが、こういう女を好きになりたい。
宇宙まで引き合いにだして死ぬ程辛くしたやつじゃなく、じゃあもう違うもん食べろよってくらい甘口でもない、ホントの美味いカレーみたいな。
ありそうで、シーンのどこにも無い音なんだろう。
怒りや反骨といったノイズを発するパンクを、それをメロディーに乗せ危うくもバランスを発揮した稀有な例。
ストイックな男らしい格好良さ、でも行き過ぎなコアじゃない。
抜群でロマンチックなメロディックさ、でも全く媚びちゃいない。
そういう目には見えないバランスを強靭に感じさせるメロディーとサウンド、不足も過分もない絶対的な信頼感をキッズから得た、これをメロディックパンクと言うんだろ。
ノー・ユース・フォー・ア・ネームというバンド
思えばメロディックなパンクであっても、1994年Green Day'ドゥーキー'The Offspring'スプリンター'以降、ストリートからメジャーの世界へ飛び出したポップパンクバンド達とも一線を画していた。
そんなインディーな感触が彼らのド真ん中にあると、今聴いていても思う。
パンク処カリフォルニア、サンノゼで結成されたのは1987年と大分古い。
「現在使われておりません」的な俗語のジョークのバンド名。
元々は1990年以前の時代を反映した、アングラなハードコア色の強いサウンドだった。
数々の盟友と共に過ごす事になる生涯の古巣、パンクレーベルの老舗Fat wreck chordsと契約したのは1992年。
メンバーチェンジも多かったが、ボーカルのトニー、ドラムのローリーのオリジナルメンバーに加え、現Foo Fightersのクリス・シフレットをギターに、マット・リドルをベースに迎え、オルタナティブな化学反応を起こしたバンドサウンドはハードコアの枠を超えていく。
1995年、4thアルバムが大きく評価を変える事になる。先述の’Soulmate’もこのアルバム。
元祖カリフォルニアパンクのDescendents直系なメロディックなパンクメロディー。
無骨で不器用なのに、信じられないほどメロディックでコアなアツさもある。
脈々と受け継がれているメロディーの良さ、それをノーユースらしさとして音から滲ませ、元来からのパンクファンにとっても嬉しいものであった。
その後は、その必殺のメロディックさを軸に、凄みと厚みが深まった演奏とパフォーマンス、トニーの美しい声で、1990年代後半から2000年代を代表するパンクバンドとなる。
飛行機嫌いというのもあったりで、あまり日本に来なかったりと、大きくインディーから飛び出しての活動はなかったが、それでも数々のパンクフェスのヘッドライナー級のバンドとしてパフォーマンスを続け、そのカリスマ性はメロコア魂を持った日本人にも深く愛されてきた。
何よりも凄いのが、この界隈の音楽を聴いている人を広範囲で見渡してみても、ほぼ批判されてる所を聞いた事がない、ということ。
トニーの死後も数多くのバンドが追悼の意を示し、世界各国のライブハウスで彼らの曲がカバーされた。
それをリアルタイムで見ていたけど、リスペクトと哀しみの波が大きなうねりになっていき、世界中とつながっていて包み込まれる感覚があった。
キッズからパンキッシュなギャル、パンクおじさんまで、みんなもれなく好きなバンドの1つだし、何か別格というか聖域の類いの様な絶対的な信頼感がある。
時代性やトレンドといった火のつくタイミングこそあれど、信頼できるメロディーと自分達だけに向けて歌ってくれているんだというユースアンセム特有の絆みたいなものが、キッズ達のフェイバリットになり、それは時を止めてより強くなった。
音楽 グッドメロディーとグッドスピリット
映画とか、はたまた活字の世界の物語でも、絵画とか彫刻とか造形の芸術でも、自然の景色でも、或いは人間だって、もちろん音楽だってそう。
それを本当に美しいと感じる時は、5感を通してその奥の感性に触れ、魂に共鳴する瞬間がある。
概ねそう言う時は胸の奥の方が熱くなって締め付けられて、溢れる様に涙が出て来たり溢れる様な喜びに笑顔を抑えられなくなる。
それが人を対象にしてるなら恋ってそう言うことだ。多分。
そしてそれは何度その瞬間が訪れてもイイもの。
理屈をすっとばし僕らを感情で一杯にする。
そういう瞬間を美しいと感じたいし、あんまり安売りしたくない言葉でもある。
こと音楽にとってもそうであって、従ってノーユースは美しいバンドなのだ。
ただ音が綺麗なだけではない、音楽としてパンクとしてストリートカルチャーとして僕らの心を掴み、揺らしてきた。
彼らの凄さの本質はそのバランスにある。
決してどっち付かずの中途半端とは違う。でもそう言われる危険性を孕みながらも、その微妙で絶妙な音を付ける圧倒的なセンス。
それがカリスマの所以の一つなのだ。
グッドメロディーの絶対的な信頼感を壊さず、加速度を自在に操ったスピード感は、より心にひっかかるフックとなる。
ラウドさよりもメロディックさが前面に出て、それでもブレーキなんか無くて、緩急自在にエッジを立てて疾ってゆくパンクサウンドを作り上げる演奏。
やっぱり際立つのはそのメロディーラインの美しさ。虹の様に爽快感にあふれて、あっという間に目を奪う。
何色にも色を変え、水彩画のように綺麗で、油絵のように鮮烈な感触、それを同時に感じさせる。
今まで味わった様で味わったことのない、絶妙で最適なバランスの「これだ!」と膝を打ちたくなる感じ。
その中で脈打つ実にメロコア的なキラーフレーズの数々が、キッズの心を掴んで離さないのである。

そのスピリットもロマンティックな理想主義ってわけではない。
しっかりと現実を見据え、彼らの立場からのメッセージがあるから切なく響く。
全て好意的に変えれる感触の音のバランスと、ストリートなスタイル。
そしてそのアイコンになるのは、ボーカルのトニー・スライの透き通る声だ。
混じりっけなし、ではないストリートな声だから、クリアで心に良く響く声。
全国ネットのオーディションを勝ち抜いた声、それよりもこっちの街で一番上手い悪ガキの声に誇りを感じ、美しいと言いたい。 そんな僕らを救う声。
力がこもるシーンの歌声も、ギラついたパワーよりも、儚い哀愁が前に来てヒリヒリと染みる。
深いのだ、最初聞いた時より2回目、3回目に信頼をおける柔らかく味のある声とも言える。
そういういくつかのミラクルなバランスが、インスタントに身近なヒーローのカリスマ性となりノーユースを構成していたのだ。
今聴きたいNo Use For A Nameの10曲 画像クリックで動画再生
1.Soulmate

彼らと言えば、の代表曲と言っていいし、メロディックなパンクが世界にあり続ける限り必ず鳴り続けるストリートパンクアンセム。
メロディックなパンクチューンの黄金比を見出し、ソリッドなパンクスタイルを究極にナチュラルに聴きやすく届けた名曲。
ノイズに掻き消されないポップで透き通ったメロディーの強さ、爽やかさを一片も損なわないビートとアレンジの協調具合、そこにトニーの声でかけがえのない大切なものになるというドラマティックなサウンドデザインは芸術的。
パンクとポップの矛盾をついた理想の完成形は、同時にいつまでも聴ける僕らのバイブルにもなる。
2.Dumb Reminders

眼の前が嬉しさで一杯に染まる類の、永久不滅のメロディックなパンク。
ものの数秒で、聴いてるこっちのテンションを沸点まで上がるストレートでなアンセミックギターリフ。
ダイナミックに振り回されるメロディーを一体に纏めるバンドのバランス感覚が見事で、キャッチーなアンセムセンスが爆発している。
シャープな音の中、丸みを帯びたトニーの美声が切なさを巻き上げ置いてきた、心の大切な物を歌う、このセンチメンタルさはノーユースの肝だ。
3.Let Me Down

アコースティックなギター先行の弾き語りで幕を開ける、冒頭の1分間のトニーの声は世界で1番美しい。
堰を切ったように弾ける鮮やかなバンドサウンドも、その美しさの尾を引くからこそケタ違いの鮮烈さ。
さり気なく重なるコーラスの哀愁に鳥肌が立つし、緩急も重なりも音色の綾もメロディックハードコアの美しさをあらゆる方法で結晶化した圧巻の1曲だった。
止めどなく涙が溢れ、抑えがたく胸震わされる。そんな崩れ落ちそうな哀愁と並走するパンクサウンドに、僕らは何度だって救われるのだ。
4.International You Day

印象的なドラミングの時点で地鳴りのような歓声必須のメロコアキラーチューン。
ストイックで漢らしい焦燥感を煽るパンクギターリフはパンク史に名を残す名リフだし、メランコリックなバンドサウンドと、涙をにじませ頬を緩ませるメロディーが、その鋭さにほんの少しの優しさを+する。
誇張する事なく、極めてナチュラルにラブソングを。
いつ訪れるかはわからないけど、ふと聴いた時に泪が止まらなくなる、僕らを決壊させる音だ。
5.Friends Of The Enemy
ベースラインに導かれて、拳を突きあげたくなるパンクギターを聴いた瞬間に、何かに勝った気がする。
センチメンタルなフックを随所に作りながら、大ぶりのパンクグルーヴを刻むバンドサウンドに何度も拳を突き上げ、そりゃ笑顔になるだろうってエネルギーの炸裂するメロコアソング。
グラインドするグルーヴの中でも、徹頭徹尾、優しい語口のトニーの声はあまりにも自然に心に染みる。
6.For Fiona

ソフトな抱擁感に包まれたメロディックパンクチューン。
どこか遠い所から届いた音の様なロマンチックさ、そして透明感。
何処までも広がる地平線が溶ける青い空、太陽光線に照らされた光の煌めきみたく限りない青の表現は抜群にうまい。
トニーの子供の事を歌った様だ、そう聞くと一段と優しげに聞こえる。
7.I Want To Be Wrong

終始爆走のメロコアパンク。
豪雨の様に押し寄せるメランコリックなギターサウンドが、無骨にストイックに、そしてロマンチックに響く。
目映いメロディーの熱唱、それに相応しいメロディックハードコアのキラーフレーズ。
上り詰め霧散して行く様なギターの掛け合いは熟練のパンクロックだ。
8.Biggest Lie

こちらも野太い弾丸メロコアソング。
ノイズ多めでも突っ走るラウドな音に、咆哮の様なトニーのボーカルは、それでも美しいのだ。
スパイスの効いた攻撃的な彼らの一面を感じるアグレッシヴなパンクソングこそ、彼らのバランスの妙を感じさせる。
9.Why Doesn't Anybody Like Me?

まずタイトルにやられたし、泣きそうな内容を逆にコントラストで浮かび上げる爽快なメロディーに掴まれた。
鮮やかな歌モノでありつつ、ミドルテンポでセンチメンタルを加速させるパンクグルーヴがささくれた心に刺さりまくる。
切なすぎるメッセージに壊れそうな心に、暖かくドライヴするギターリフはどこか安心感すらあって、不安定で揺れ動く心で聴くからこそリンクする。
決して逃げられない、目に見えない闘いを表現できるからこそ彼らは天才だったし、誰もが救われているのだ。
10.Chasing Rainbows

最後は希望に満ちたメロディックパンク。
前を向くのに相応しい、逸る気持ちを抑えきれない様な蒼い音。
駆け出したくなるようなダイナミックに刻まれるメロ、虹を掛けるかのようなギターの高鳴りは、僕らの心に直接呼応する。
必ず前向きにしてくれる、彼らとの信頼関係が力強い肯定性になって帰ってくる。
いつだって僕らを勇気付けるヒーローの声はここにあるのだ。
寂しいけど、彼らはいつもそばに
美しいモノで人の心は動く。
絶対的な確信感。揺るぎない信頼感。そこから沸き上がる全ての活力になる清涼な情熱。
思い込みの勘違いでも一瞬でもそういう気にさせる瞬間が間違いなくこの音楽にはある。
それさえ広まって作用すればもう少しいい世界になるはずだ、とさえ思える。
当然の様に、時間が過ぎても彼らは変わらないのだ。
いつ聞いてもいいな、と思える自信とそうありたいという願望。
そう思えなかったらきっと僕が変わってしまったからだ。
変わらないモノに無性に会いたくなる時がある。
そういう時にいつだって変わらない、速くメロディックなキラーチューンは途方も無い程美しく感じるのだ。
いつ訪れるかはわからないけど、ふと聴いた時に泪が止まらなくなる。
僕らを決壊させる音、そして決意させる音だ。
何で死んじまったんだ、一度も見てないのに。
寂しいけど虹になったノーユースはいつだって見上げる事が出来る。
不思議なことに見たくなった時に虹がかかってるもんだ。
下見て俯いて歩いてる時は、下を向いちまうだけの理由があるからだ。
だからそれを上回る空を見上げる様な理由がいるんだと思う。
僕にとって上を向く理由はノーユースに他ならない時が凄く多いのだ。
もう絶対に届かない虹みたいな遠さ、それでも輝いてるのはこの目に耳にはっきりと届く。
知らない人は知ってくれると幸い、聴いた事ある人も今すぐ聴いてくれ。
きっと永遠にカッコいいバンド。それがNo Use For A Nameだ。