Football soundtrack 1987-音楽とサッカーに想いを馳せる雑記‐

1987年生まれサッカー・音楽(ROCK)好きがサッカー・音楽・映画などについて思いを馳せる日記

【忘れたくない選手】ロナウジーニョに想いを馳せて-ヘテロドックスなプレイヤー-

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サッカー界きっての異端プレイヤー、ロナウジーニョに想いを馳せて

とある歴史雑誌で戦国時代最強鉄砲傭兵集団頭目雑賀孫市の特集を読む機会があった。

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圧倒的な鉄砲傭兵集団としての技術、数々のトリッキーな策により天下人織田信長を翻弄し続け、何度も勝ち続け、ついには戦う事を諦めさせた凄い人。
それを端的に表したヘテロドックス(オーソドックスの対義語。異端とか異説の)というキーワードを見た時に、サッカー界の異端児ロナウジーニョをダブらせてしまい心躍った。

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その超絶技巧をもってサッカー界を翻弄し続けたロナウジーニョ。
エラシコにシザースにトゥーキックにノールックにオーバーヘッドにシャペウに…......。
まさにヘテロドックス。
そしてそれはフットボールにおいて本質的な楽しさに触れる正しさに溢れたプレーだった。
数々の伝説的な選手に肩を並べるプレーヤーでありながら、その伝説の中でも異端な存在だった彼のプレーは、到底忘れることなど出来ないのだ。
ロナウジーニョに想いを馳せて。
 

そのサッカー人生

1980年ブラジルの陽気な港町ポルト・アグレで生まれたロナウジーニョ。

兄のロベルトもグレミオのサッカー選手で、そのプロ契約により生活がガラッと変わった成功体験を幼少期にしていて、本人も自然とサッカー選手に憧れる生活だったようだ。

多人種が過ごす活気のある港町で’ガウショ(カウボーイ)’と呼ばれ、ストリートで技を磨き犬相手にもシャペウをかましまくり、当時からその才能は只事ではないと街では評判だったようだ。

兄も在籍した名門グレミオの下部組織から18歳の時にトップデビューし、当時のブラジル代表キャプテン鬼軍曹ドゥンガを裏エラシコで躱し大きな話題となった。


ロナウジーニョがドゥンガを抜いたフェイント スロー動画 スーパーテクニック

世代別ブラジル代表でも存在感を発揮しゴールを重ね、応酬からの熱視線は高まり2001年にはフランス・リーグアンのパリ・サンジェルマンへと移籍を果たす。

今でこそ金満クラブの印象が強いが当時は伝統ある古豪の1つという位置づけだった。

初年度から爆発力のある活躍を見せ、若手という位置づけから途中出場も多かったが低迷中のクラブで一際輝いてみせたロナウジーニョ。

まだまだパリでの夜遊びがクローズアップされるなど、スターの位置を不動にしたわけではなかったが、時折見せる5人抜きなど歴代でも異端なプレーにパリのファンは「これはとんでもない選手なんではないのか」とざわめいていた。


Ronaldinho(ロナウジーニョ) - 6人抜きドリブル

 

順当に代表にも選ばれ続け99年のコパアメリカも制し、迎えた初めてのW杯は2002年日韓共催のW杯だった。

ベッカムに湧く日本のファンの前で怪物ロナウド・左足の化物リバウドと3トップを組み魅惑的なコンビネーションを披露。

背番号は11番で、偉大な先輩2人のプレーと共鳴するように自由にプレー。

得点こそ2点でロナウド(8点)リバウド(5点)に満たなかったがここでも異端者としての才能を見せつけた。

特に準々決勝のイングランド戦での名手GKシーマンの意表を付き頭上を抜いたロングFKと、鮮やかなシザースによる突破からのアシストで全得点に絡んだ。

間違いなく優勝を果たしたブラジルの欠かせない選手となり世界にそのプレーのずば抜けっぷりを見せつけたW杯となった。


Ronaldinho - World Cup 2002 Compilation

 

その後、クラブに戻った時には数々ビッククラブからのオファーがロナウジーニョの手元には届いていた。

最終的にはマンチェスター・ユナイテッドとバルセロナの一騎打ちになったロナウジーニョ獲得合戦は、バルセロナに軍配があがり、ここからロナウジーニョは更に伝説的な存在へと上り詰めていくのだ。

 

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加入した2003年こそ怪我もあり中々フィットしなかったが、ライカールト監督から自由を与えられたロナウジーニョは次第にその才能を開花させる事になる。
レアルの銀河系時代に後塵を拝していたバルセロナにおいてシャビやプジョルなどのカンテラの宝石達と共に圧倒的なスターが必要だった。そのポジションにロナウジーニョは難なくハマって異次元のプレーを毎試合の様に魅せる。
毎試合キャプテン翼のダイジェストを見ているかのようなド派手なプレー、この時代の日本のサッカー番組のヨーロッパサッカーのダイジェスト映像は全て彼にジャックされていたと言っていい。
実働で言えば3年間と長くはない在籍でもバルセロナのロナウジーニョは僕らが目の当たりにした伝説だった。
レアルのファンもスタンディングオベーションを贈ったクラシコでの独力突破からの2点やCLのチェルシー戦でのトーキック、オーバーヘッドのスーパーゴールなど歴史に残るシーンも数多く、そのプレーシーンはとにかく多彩で何よりも圧倒的なスキルによってサッカーの自由を謳歌していてとにかく楽しそうだった。
リーガ・エスパニョーラを2連覇、CLも制しFIFA最優秀選手賞とバロンドールも受賞し、彼らの最盛期とともにバルセロナは復活を果たした。
その後は怪我に悩まされ、稀代の後輩メッシに後を託しロナウジーニョは闘いの舞台をセリエAへと移す事になる。
カンテラの宝石たちが羽ばたいていくには絶対的に足りていなかった経験、それをロナウジーニョは盟友のエトーやジュリ、デコと共に圧倒的な実力でバルセロナを引き上げもたらしたのだ。

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2008年ACミランへと移籍したロナウジーニョに向けられたイタリアファンの目は当初は懐疑的なものだった。
セリエの守備的な戦術には合わない、全盛期を過ぎた選手だ。
2006年ドイツW杯でのブラジルの全く噛み合わなかった出来も相まってその評価は最悪だったと言っていい。
確かに年齢も重ね徐々に怪我が表面化してきたロナウジーニョは、バルセロナの時ほどの強烈な輝きをいきなり放つことは無かった。
それでも徐々に左サイドで不動の存在感を発揮するまでになる。
バルセロナ時代の様に左サイドのロナウジーニョに預けることでチーム全体にイマジネーションが伝搬し数々のチャンスを創造する彼にしか出来ないゲームメイクで攻撃力で他を圧倒したのだ。
ミランにいた3年間、バルセロナほどの衝撃は残せなかったものの彼らしさの輝きは未だ世界最高峰である事を見せつけた、とても印象深い3年間だった。
 
その後は何よりも自由にプレーすることを望み、母国ブラジルへと帰国。
フラメンゴとアトレチコ・ミネイロに在籍し、アトレチコでは南米王者も経験。
トップレベルの環境では無くなったが、時はYoutube時代に入り時折彼のスーパープレーがブラジルから全世界を駆け巡り、全世界を感嘆させていた事は記憶に新しい。
一線を引いた今でもフットサルでエゲツないプレーを見せたり、チャリティマッチで現役を彷彿とさせるプレーを全世界に届けている。
 

そのプレー

歴史雑誌では雑賀孫市の事を超絶技巧の鉄砲術と度肝を抜く多彩な戦術を評してゴルゴ13が戦場にいるかの様な異端さだと綴ってあった。
サッカーで言えば大空翼がコートの中にいる様な、そんなヘテロドックス。
ロナウジーニョ・ガウショのプレーはまさにそれを彷彿とさせていた。
同じ事を試合中に出来る選手が何人いるんだろうか。
これは本物の映像だ、とナイキのスタッフが興奮気味に口を揃えたことで伝説となったCM動画でも分かる通り、まずは単純にそのボールコントロール技術が地球上で一番上手かった。
足のどの部分でも完璧にボールをコントロールしていてそれは肩でも頭でも時に背中でもそうだった。
その桁外れの技術力が生み出す正確さと速さが猛烈なキレとなって数々のボールスキルに繋がっていったのだ。
代名詞となったエラシコだって、今やテクニシャンの標準装備の様に扱われるが、ロナウジーニョのそれはキレと深さが段違い
ただのアウトサイドの切り返しも足首を跳ね上げ相手の頭を超えるシャペウになる。
遥か上空に上がったボール、普通ならショートバウンドで処理しそうなボールも、足首を僅かに動かすだけの超高難度のクッションコントロールで足元に収めて見せる。
更にそこにブラジルの独特なサンバのリズム感も完璧に備わっていて、誰しもが止められないアンストッパブルなフェイントとなって幻惑するのである。
なんともチーティング。足でボールを扱うという感覚が常軌を逸しているのだ。
 

 

異端のアイディア

それでいて、アイディアがすごかった。
僕が初めてロナウジーニョのヘテロを目の当たりにしたのは、2002年日韓ワールドカップの準決勝のイングランド戦だった。
2-1でブラジルが勝つのだが、名手シーマンの虚をついたドライブシュートのようなフリーキックと、バイタルエリアのど真ん中鮮やかなシザースでDFを抜き去り、ノールック気味のアウトサイドのパスでカバーのDFも引っぺがし、リバウドのゴールをアシストした。
ワールドカップが自国で開催されるという凄さをまざまざと感じた瞬間、僕の中では大会最高のハイライトだった。

余談だが、最近のチャリティーマッチでロナウジーニョの同じくらいの距離からのフリーキック、キーパーはシーマンという場面があって、シーマンとロナウジーニョがニヤニヤとアイコンタクトを取り合うシーンがあって暖かい気持ちになった。

 

股抜きだってノールックパスだってエラシコだって、相手の虚を如何に突くかを考えた時にこの上ないアイディア。

自分の技術で再現できるボール世界の次元の違いを魅せつける。

その隙を常に探していて、完璧なタイミングで彼にしか出来ないプレーが飛び出すのは時に残酷なくらいだった。

それでいて相手を馬鹿にしたような感じがしないのは、常に彼が笑顔だったからだ。

どこまでもサッカーで表現できるという事を楽しみ、その事に感謝を忘れていない様な神々しさすらあった。

人に愛される根本には常にそういう魅力があるのだろう。

 
 
 

ヘテロドックスそれは

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表面だけ見れば挑発的とも取れるド派手な魅せるプレー
必要あるのか?と批判されやすい体質もあるのだが、ぐぅの音も出ないくらい上手い上に結果を伴っている事で、単なるトリックスターには終わらない凄みがある。
時代に選ばれたエンターテイナーなのだ彼は。
勝負の中でも楽しめる技術。狡猾なんだけど遊び心たっぷりで茶目っ気まで感じる。
なんか毒気を抜かれるというか、子供のイタズラの様。
 
陽気100%の笑顔と誰もついていけない技術の畏怖が相まって、マリーシアをも超越した異端となるのだ。
だからサンチャゴベルナベウでスタンディングオベーションがおこるのだ。
ネイマールだって上手いと思うけど、子供達にはロナウジーニョの笑顔こそ見て欲しいものだ。
 
サッカー界のヘテロドックスは、異端な技術を持って、サッカー=楽しむモノという王道をサンバのリズムで通り抜けていく。
何年たっても絶対に忘れないだろうな。

ヘテロドックスへの出会いに感謝を込めてこの記事を書いた。

 

それではまた別の記事で。

 

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