30歳になったので敬愛すべきロックスター&フットボールスターたちは30歳の時何をしていたのか調べてみた!
今月でいよいよ30歳になった。
目に見える程の肉体的な衰えはないが、緋村剣心が、飛天御剣流を打てなくなる様に、身体の奥に淀みの様なひっかかりは感じる様になってきた。
るろうに剣心に話をしている時点で年齢がわかるが、子供?大人?みたいな10年前から10年が経ち、若い?若くない?の今、何をすべきなのかピンと来ていないのが現状だ。
きっとやった方が良いことは数多あるはず。それどころがもう遅い事だってあるだろう。
その為にたくさん啓発本を読んだり、セミナーに行ったりとかいうキャラではない。
このブログの通り、今まで大切なことは音楽とフットボールから学んできたじゃないか。
という事で、僕が敬愛する彼らは30歳の時に何をしていたかを調べて、想いを馳せてみた。
そこにきっと良き30代のヒントがあるはずだ。
是非お読み頂き、素敵な暇つぶしになれば幸いです。
ロックスターの30歳
ロックスター達の30歳はどうだったのか。
これから大きな成功を納めるバンドも少なくはなかったが、ロックの世界でそれは遅咲きとされ、30歳前に大きな成功があり、その反動をきっちりと昇華し、どう自分を見失わずに進んでいくか、という時期のバンドが多かった。
そこには苦悩の分、キャリアの中でも大きな煌めきを見せる事も多く、バンドを代表する或いはシーンを代表する様な作品も多かった。
少し聴きながら振り返っていきたい。
Weezer
大好きなWeezerのリバースの30歳は再起の年だった。
傑作であり問題作の’ピンカートン’後、突然ハーバード大に入学しバンド活動は停滞気味で、更に追い打ちを掛ける様に親友のベーシスト、マット・シャープの脱退によりリバースは落ち込み、解散状態となってしまう。
そんな翌年30歳の年に、本国アメリカでツアーを再開。サマソニ2000にも来日し、リハビリの様に哀しみを溶かしながら、彼なりに再起を図った年だ。
翌年には前作から5年ぶりの3rdアルバムとなるグリーンアルバムを発表し、Weezerは本格的にシーンへと帰ってきた。
’Hash Pipe’、’Photograph’などのその後にもウィーザーらしさとして軸になるような代表曲を産み、何より彼らにとってとても重要なナンバーとなる’Island In the Sun'も収録されていた。
Weezer - Island In The Sun (Spike Jonze Version)
Green Day
ビリー・ジョー達が30歳の年に、彼らは活動に一度区切りをつけるかのように、ベスト盤を発表した。
1994年のドゥーキー以降、ポップなパンクをシーンのど真ん中で鳴らして走ってきて、減速するくらいなら、一度立ち止まってみたベスト盤という区切り。
ブリンクやサム、グッシャーやシンプルプランなど、その後に続く世代のポップパンクバンドの止まらない勢いも、グリーンデイの区切りによって相対的に加速したのかもしれない。
次世代にバトンを渡しつつ、自分たちの次の道を探す時間は、結果的に彼らにとっても良かった。
彼らが2年後、次に出すアルバムはアメリカンイディオットだったのだ。
Green Day - American Idiot [OFFICIAL VIDEO]
Red hot chili peppers
アンソニー・フリーが共に30歳の前年。
アルバム’ブラット・シュガー・セックス・マジック’の世界的な成功で、その名を地球規模に広げたレッチリ。
'Under The Bridge''Give It Away'や'Funky Monks''The Power Of Equality'など超強力なナンバーが揃った脅威のアルバムを引っさげて世界ツアー中の30歳の年。
その彼ら二人よりも若いギタリストのジョン・フルシアンテが急遽脱退。
ジョンのドラックの問題とされているが、8歳若いジョンとの年齢の差にも何かを感じる、レッチリ史にも残る停滞期を産んだ事件が30歳の彼らを襲った。
その後、ギタリストは定着しなかったが無事7年後の1999年’カリフォルニケイション’でジョンは復帰する。これもまた名盤だ。
Oasis
年齢の差は、オアシスにも当てはまる。
ノエルの30歳は、世界を制した25万人動員のネブワースでのライブ翌年の’ビィ・ヒア・ナウ’の時期。
リアムの30歳は’ヒーザン・ケミストリー’の時期。
世界を制すべき最強のアルバムではないにしろ、どちらも玄人好みの深みのある作品。
どちらもそれぞれのパートに注力して聞くのも乙かもしれない。
このバンドに関してはあんまり年齢どうこうは関係ないのかもしれない。
ちなみにどちらも前年に大喧嘩している。
Oasis - Stop Crying Your Heart Out
Blur
ブリットポップムーブメントをオアシスと共に先頭を走ったブラーも変化を実感している時だった。
デーモンが30歳になる前年、アルバム’ブラー’でブリットポップを破壊するオルタナティブな一撃をシーンにぶつける。
それまでのブラーにないノイズを放った’Song2’もこのアルバムだ。
そのポテンシャルがポップに収まらず、アートの枠にまで昇華したきっかけにもなった次のアルバム’13’にも、挟まれたデーモン30歳の年。
変化による、そのパワーの反響をひしひしと感じ、それを活力に独創性なアイディアが溢れている年だったんだろうと想像できる。
The Offspring
巨大な成功に飲まれる事なく、自分たちの誇りを守る為の下地を作ったのはオフスプリング、デクスターが30歳の時。
前年のインディーレーベルからリリースした’スマッシュ’の爆発により、グリーンデイとともにメロディックなパンクを世界の中心にした彼らは、翌年自身のレーベルを立ち上げ、メジャーで流通するという仕組みを完成させた。
その結果、自分たちの誇りを守った制作を続け、彼ららしさは他の誰にも捻じ曲げられない高尚さと破天荒さを持ち、20年経った今でもギラギラしたパンクを鳴らし続けている。
30歳での名盤達
サード・アイ・ブラインドの世界を揺るがした快作1st’Third Eye Blind’。
世界的グランジバンドのパール・ジャムのグランジ三部作のラストを飾る'Vitalogy'。
クリスコーネルのサウンドガーデンも’Superunknown’を発表したのが、それぞれ彼らが30歳の時。
サードアイブラインドこそ1stアルバムだが、パールジャム・サウンドガーデンはシーンとして生涯残るような大作を作るべくして作った年となった。
そこまでの人生を顧みつつ、若さと経験を等しく持った、その瞬間にしかできない煌めきをシーンに残したのだ。
大名盤として現代にも伝わる作品の濃度を生み出すには、この時期が適しているのかもしれない。
27クラブという言葉もある様に、薄命の運命も常につきまとってきたロックスター。
衝動的かつ若さから来る反骨的な欲求の具現化こそロックミュージックの醍醐味であるのは承知の上だが、ここまで世界的な作品が多いのは、経験という濃度を追加した深く重たいロックが鳴らされているからに他ならないのだと、30歳の今、そう思う。
フットボールスターの30歳
続いてフットボールスターの30歳。
同い年にして世界を制し続けているメッシの様な神格的な活躍をする選手もいる中、キャリアの終わりも意識する様な晩年へと差し掛かる歳だと意識する選手も多い。
冷静と情熱の間での葛藤が目に見える形でキャリア・プレースタイルに現れ、良きエンディングを意識し、更に充実した今を探し、自分のアイデンティティを発揮できる場所を求める傾向が強く見られた。
ペレ
フットボールの神様ペレはまさに神様になった年だった。
まだまだフットボールが大らかで野蛮な時代1970年。
稀代のスター、ペレを止めるために悪質なファウルを繰り返すライバル達に嫌悪を覚え、W杯から身を引こうと決めかけていたが、キャリアのタイミング的にも最後と決め1970年W杯に出場。
ゲームメーカーとしてチームを動かし、変幻自在なブラジルサッカーを演出し、見事3回目のW杯制覇を達成したのだった。
マラドーナ
もう一人の神様マラドーナはキャリアに影を落とした期間となった。
伝説の5人抜き引き続き1990年のW杯でも存在感を示し、サッカー界を席巻していたが、薬物疑惑やマフィアとの関係がすっぱ抜かれ、所属クラブのナポリとの関係が悪化しイタリアサッカー協会から重い出場停止処分を受ける事になる。
素行不良の方もスケールを増し、キャリアに影を落としてしまった。
必死に自身のブランドを保とうと、もがこうとするが、彼は世界の頂点に再び君臨するどころか、追われる様にキャリアを終える事になった。
ジダン
ジダンの30歳は天国と地獄を味わった年になった。
2001−2002シーズンのCL決勝、未来永劫伝えられる様なボレーを決め、レアル・マドリードでCLを制覇。
まだキャリアの絶頂期は当たり前の様に続き、そのシーズン後の2002日韓W杯でも優勝候補の最右翼として連覇を期待されていた。
が、事前のトレーニングマッチで負傷。確実にW杯に間に合わない肉離れだった。
太ももを全て覆うガチガチのテーピング姿で結局出場するものの、一勝もすることができず、大会を後にした。
失意のW杯となったが、その後も真摯にプレーを続け、再び4年後のドイツW杯で伝説的なプレーでフランスを決勝へと導く。
しかし、そのラストシーンとなったのも、愚かな発言に対する愚かな報復で、彼のキャリアはまたも翻弄されてしまうのだった。
ロベルト・バッジョ
失意のPK失敗から下降線を辿るバッジョのキャリア。
30歳を前に大きな決断を下す。
ビッグクラブを離れ、中堅クラブのボローニャへと移籍。
ピークの終わった選手というレッテルを吹き飛ばす活躍を見せ、自己最多得点を記録する。
その後1998年フランスW杯に出場し、彼らしい輝きを何度か披露。
結果は伴わなかったが、自分のキャリアの答えを見つけたかの様に晴れやかで、その後もファンタジスタとしてのフットボール人生を完遂する、キャリアのエンディングへと向かっていった。
ロナウジーニョ
全世界的なスタープレーヤーとなったバルセロナでのロナウジーニョは、30歳を前にメッシの台頭もあり移籍を決断する。
移籍先はセリエAのミラン。
プレースタイル的に懐疑的な目が多く、初年度はコンディションにも苦しみフィットせず終わった。
もう終わった様に言われていたが、翌年30歳の年に存在感を発揮しだす。
慣れ親しんだ左サイドのポジションで再びマジックを披露し、ファンタジスタの再臨にイタリアは熱狂した。
十分すぎるほどの成績を残し、キャリア最後の輝きを放ったのだった。
トッティ
ローマの王子トッティは30歳を迎え王様になろうとしていた。
2006年シーズン、新世紀の画期的なシステム、0トップを見事に機能させ新たな王道を闊歩していたが、悪質なファウルの凶刃に倒れ、2006年W杯は絶望かと思われた。
が、不屈の闘志で復活し、万全の状態でないにしろW杯に出場、チームの歯車の一つとして多くのアシストを決めW杯優勝を経験。
王子様の様なあどけなさはもうなく、王様の雰囲気を纏ったカムバックだった。
グティ
個人的な趣向も大いにあるけど、この頃のグティは世界一上手かった選手だった。
強烈な個性と、突出した才能はデビューから全くブレず、それを磨きに磨いてきたフットボール人生だった。
30歳のグティは銀河系の解体後も、レアルに残り、別次元のインスピレーションでチームを牽引する。
間違いなくこのシーズンの優勝は、彼の力によるものが大きい。
アイデンティティーを誇りに、絶対に曲げずに栄光を手にして見せた30歳のグティは最高にかっこよかった。
ベンフィカのアイマール
大好きなアイマールのキャリアは、参考にすべき部分が多かった。
30歳を前に、自身のキャリアの大半を過ごしアイデンティティーでもあったスペインリーグを離れる決断をし、ポルトガルのベンフィカに移籍。
大らかで、より芸術思考のフットボールに見事にフィットし、再び輝きを取り戻した。
30歳という肉体と精神が交差する年。
肉体的には経年の疲労や怪我も増える、さらには身体能力も陰りが出てくる。
精神的には、経験を経て尖ったプライドは次第にプレースタイルの個性として昇華され、技術の芸術面でも熟成の時を迎える。
フットボールを知ることで、今自分の力を最もナチュラルに発揮できる場所を探す、それは決してレベルを落とした訳ではなく、常に自由を意識し模索する新しい挑戦だった。
30歳はターニングポイントになり得る
狭間の年として終わったスターもいれば、人生に残る活躍をしたスターも多い。
若さと経験がどちらも混同し、カオスな感じもする30歳。
きっと、どちらも強く意識しないといけないんだろう。
若さに顛倒しても、経験に顛倒しても、多分かっこよくないんだろう。
両方考えなきゃならないってのが、30歳の辛いところだな。
覚悟は出来てるのか?今できたところだ。
音楽とフットボールと共に、心はアツく頭はクールに、彼らを教訓にいい30代にしていこうと思います。
お読みいただきありがとうございました。
それではまた別の記事で!