Football soundtrack 1987-音楽とサッカーに想いを馳せる雑記‐

1987年生まれサッカー・音楽(ROCK)好きがサッカー・音楽・映画などについて思いを馳せる日記

【忘れたくない選手】アイマールに想いを馳せて 後篇2‐甘い魅惑の天才プレイヤーのフットボール人生‐

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何か覚悟を決めた様に見えたサラゴサでのアイマール。

どのチームでもいいのだ。

攻撃的な自らの意思を貫き通し、無様に散る事になろうが魅惑的なフットボールプレーヤーとして完遂する。そのためにはなんだってする。自分のプレーは変えられない。栄光は長続きしなくとも。
事実サラゴサでも、2008年には2部降格の憂き目に合い、輝きこそ見せたが欧州において継続して一線級の戦いを見せる事は出来なかった。

不安がよぎる。

もう最前線でその魅惑のプレーは出来ないのか。このまま終わってしまうのか。
場所さえあればいいのに。

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1.ポルトガルの英雄からのラブコール

そんなアイマールを救ったのは、プレーヤー同士の繋がりだった。

救いの手を差し伸ばしたのは、ポルトガル・ミラン・フィオレンティーナで10番を背負

い、芸術的トップ下の選手として名を馳せ、現在は故郷ベンフィカのテクニカルディレ

クターを務めるマヌエル・ルイ・コスタだった。

天才的な不可侵の間合いとリズムを持ち、技術を最大限発揮し、空間と時間を支配する様なマエストロは、テクニカルなプレーヤーのお手本であり憧れだった。

 

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もちろんアイマールもそうだった。

ベンフィカというクラブ。移籍を決断する環境は十分に整っている。

ポルトガルリーグでも勢いを取り戻しつつある古豪。
数年前のアイマールには規模が小さかったかもしれない。ただ今はどうか。
強豪国とは言え、欧州のビッグリーグから少し外れたポルトガルのリーグ。
大海に面し穏やかな陽光注ぐ太陽の国ポルトガル、穏やかながらサッカー熱は高く芸術的趣向もこだわりがあるファンの目。
今のアイマールが選ぶプレーの場所には申し分なく、逆に言えばこれ意外ないと言える国。
傷ついた身体、加速し強靭化するフットボール、それでも芸術をまだ描けるだけの技術があるはずだ。
それを認めてくれそうで、その分ある意味やり甲斐もある。
この決断は最後の挑戦だった。

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2.ベンフィカでのスタート

人生における分岐点は唐突で無機質で残酷なものだ。
その場では良い結果なのかわかりはしない。
時が経った後で時間が教えてくれるものだ。
諦めてはいけない、こなすしかない。
そう嘆くしかない様に、ベンフィカ移籍当初のアイマールは地獄の様な日々を送った。

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バレンシアでもアイマールを指導したフローレス監督の元、ベンフィカの伝説のアイドル、ルイコスタにも後継者指名され10番を背負う。
しかしサラゴサ時代からの怪我に身体を予想以上に深いダメージを負わせていた。
走ることすらままならず全く創造性に欠いたプレーに、ベンフィカの目の肥えたファンは、サジを投げた。
ルイコスタに10番を返せとなじられる。

最もつらいのは本人だ。もう芸術は描けないのか。頭の中のイメージすら間違っているのか。
想像していた中にもない、最悪なケースだった。
もう無理なのかもしれない。
誰もがその笑顔が陰っている事を想像した。

 

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しかし、そういう時に、アイマールはまた笑顔でヒョコッと現れるのだ。
スペイン時代はそれほど注力していなかった身体のケアも、トレーナーと強固にタッグを組み、輝き放てるだけのパワーを身体に溜め込んだ。
快晴の空の陽光の様にはいかないが、曇り空を割って光が差していく様に、少しずつ輝きを増していった。
全く変わらない彼らしいプレーは、次第にファンの心を掴み始める。

 

以前より更にスピードはないものの、ボディコンタクトを恐れず、熟練したタッチで自らの足元にボールを手繰り寄せ、鮮やかに軽やかに一歩前にすり抜ける。
ファウルを獲るプレーも巧みで、ファウルでしか止められない、ではなく止めに行ったらファウルになる魔法の様なボールと体捌き。
それでも最後の力を振り絞っている様にも見えず、相変わらず飄々としたオーラを振りまく道化師っぷりも相変わらずで、相手からすれば全く読めない選手の1人だった。

 

2008年シーズン後半にペースをつかみ、カップ戦の優勝を記録。

翌年はクラブ、そしてディレクターのルイコスタも本気を出し、陣容を揃える。

レジェス、ハビガルシア、ラミレス、ディマリアそして盟友サビオラも合流し、芸術性一辺倒の魅惑的な布陣をひく。

その中でも中心は間違いなくアイマールだった。

むしろそのポジションだけは避けて補強するかのような、聖域と化したベンフィカのトップ下。強靭な歯車を回し、奇跡を起こすのはいつもアイマールの役目だった。

2009年シーズンはカップ戦を連覇、そしてリーグでも最多得点最少失点という圧倒的な爆発力を発揮しチャンピオンに輝いた。
欧州の舞台でもビッククラブ相手に一歩も引かず抜け目のないプレーで牽引し、不気味な存在であり続けたのだった。

 

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ある意味、レベルを落とした中での晩年の活躍と語られる事もあるベンフィカのキャリア。
言葉通りの側面ももちろんあるが、それ以上に周囲の人を惹きつける魅力が紡いだ場所で、自らが自らである為にプレーした。

そしてそれが結果的に栄光をもたらすことを彼は知っていたかの様に、エースとしての役割を果たしてみせている。
年齢に懐柔されたのではなく、タレント性で掴み取った栄光の終着点。
どこか表情も、どのユニフォームの時よりも、強張っている時が多かった。
それだけ厳しい挑戦だったが、アイマールはアイマールというフットボールプレーヤーを完成させる為にプレーしたのだ。
年齢的にベテランの役割うんぬんよりも、彼が彼らしいプレーを見せればそれが、ファンにとって若手にとってチームを支える人にとって、何よりの光景だと言うこと。
10番にのみ許されるエゴは、時にとても美しいものだ。
ベンフィカでのアイマールはそんな魅力に溢れていた。

事実、ベンフィカ在籍中にアイマールは憧れのマラドーナ・アルゼンチン代表監督のラブコールを受け、代表に復帰しトップレベルでのプレーを披露。

その際、マラドーナは再び、自分の真の後継者はアイマールだと、そう明言していた。

 

 

【エピローグに続く】