死にかけたパンクロッカーSUM41に想いを馳せて
特別な数字ってのがある。
フットボールにおいての、数々のエースが付けた10番とかヨハン・クライフの14番とかロベルト・バッジョの18番とか。
野球ではエースの1番とか、イチローの51番とか、バスケではジョーダンの23番とかそれを受けてのコービーの24番とか。
それだけで意味を持ち物語がある、カッコいい番号。
外国は特に、ふとした数字の使い方がかっこいい。
ニューヨークの5番街、ダウニング街10番地とか、フィラデルフィア76sersとかシャルケ04とか字面がいい。
バンドでもそうで、モダンでセクシーなバンドthe1975とか、ポップパンクレジェンドBlink182とかその片割れのバンド+44とか。
なにかと絶妙なバランスでカッコいい数字を使ってくる。
かと思えば理由が意外と大した事なくて面白かったりもする。
今日想いを馳せたいSUM41もそうなのだ。
高校最後の夏休み、ワープトツアーのパンクゴッドNOFXのステージを見に行った少年たちが、俺たちもやろうぜ!とバンドを結成するというストーリー。
それが夏休みの41日目だったから、サマー41でSUM41になった。
青春映画みたいな始まりをしたバンドは、大きな成功とそれを超える特大の挫折を乗り越えて、シーンに復活し僕の目の前に戻ってきた。
ほぼリアルタイムで歩みをともにしてきたバンドの一つとして、とても感慨深い。
そんなSUM41に想いを馳せるレビュー。
どこか普通じゃないポップパンクバンド
パンク処のカナダ出身のサム41は、1996年高校最後の夏休みの41日目、ワープトツアーを見に行った同級生達を中心に結成される。
ディセンデンツからバッドレリジョン、ノーエフはもちろん聞いていて、その後のグリーンデイやオフスプリングを思春期のど真ん中に目の当たりにした世代の彼等もまた、当時のストリートカルチャーの象徴でもあったポップパンクを鳴らすバンドを始めるのだ。
ニューファウンドグローリー、シンプルプラン、グッドシャーロットなんかがチャートの上位まで食い込み、ポップパンクがニューウェーブとしてメインストリームに躍り出るその中で、サム41は一躍セールスを伸ばし、世界中で一歩抜きん出た存在でありながら、どこか外れたグループにいた様な印象も強かった。
怒髪天の金髪に、柔和な表情の中でもキレそうな眼。
どことなくシド・ヴィシャスの様にも見えるvo.デリックの雰囲気は、ポップパンクバンドのフロントマンとしてふざけた子供の様に振舞っていても、冷めた冷徹な目を時折見せて、違和感を孕む危険な魅力を醸し出していた。
思えば他のメンバーだって、ベースのジェイソンは長身でやたらオシャレだし、ギターのデイヴはムキムキの黒人でメタル臭ムンムン、ドラムは本当に危険な香りがするやばいやつ。
今思えば、そういうスリルは元来強い普通じゃないバンド感は抜きんでていただったのだ。
2000年のEP'Harf Hour of Power'でデビューを果たし、2001年の1stアルバム'All Killer No Filler'はポップパンク界の名盤としてシーンに残る鮮烈なスタートを切ったサム41。
まくし立てる様なスピーディーなポップパンクのこの上ない爽快さの裏に、アグレッシブにささくれたブレーキの効かなさめいた、その危うさみたいなモノに引っ張られている感じもあった。
メロディアスで強靭に練り上げられたパンクサウンド、ガムでも噛みながら歌ってる様なデリックの不遜なクリアなボーカル。
パンク次世代の王子の様であり、全てを壊す革命の旗手の様でもあって、その姿はバンドのシンボルでシーンのシンボルにもなった。
多彩な陽のポップネスと、陰に向けられた激情が交差するエモーショナルなパンクメロディーは彼ららしいアイデンティティーとしてリスナーにも広く周知された。
キャッチーではあったが攻撃的でその爪の見せ方が絶妙で、その後の活動はパンクシーンにも大きく爪痕を残すもう一つのサムらしさを確立させる事になる。
ハードコアなパンクメソッド
デリックが後に語ったように、ギターのデイヴのバンドサウンドにおけるウェイトは、かなり大きかった様だ。
次第にそのメタリックなギターを最大限に活かす方向に舵を切り、バンドの音を変貌させながらパンクの枠に囚われず、更に大きなケミストリーを起こす事になる。
「気を遣っていた」と曲を書くデリックにも大きなフラストレーションがあった反面、その産物でもあるクリエイティビティは、絶対的な曲の数々とバンドサウンドの爆発を産んだとも言える。
2002年の2nd'Does This Look Infected?'は彼等の印象をガラリと変えて尚、更に多くのコアなファンも獲得した攻撃的なアルバムとなった。
最もSUM41を世に知らしめた作品は、タフでメタリックなサウンドの超重力の中でも、メロディックなバランスを保ちつつ鋭くに歌い上げる。
陰陽が逆転した様に攻撃的な面が前面に出ても、根本にあるメロディーの強さは変わらず、あまりにも自然にSUM41としてのネクストレベルにアップデートを果たした大作になり、文字とおりギターは武器となり彼らは更にビッグバンを起こしたのだ。
巨大な成果を残したバンドケミストリーは長く続かないのが世の常だ。
2004年3rdアルバムの'chuck'後、硬質なサウンドのエネルギー源となっていたギターのデイヴの脱退という形で、それは表面化した。
ひとつの音源を失った彼等は、また違うケミストリーを探す事になる。
同じカナダのポップパンクバンド・GOBのフロントマンをギターに加え、2007年4thアルバムの'Underclass Hero'はデリックのポップパンクセンスが全面に出た、爽やかでスピーディーなパンクサウンドに重きを置きつつ、哀しみを歌い上げる様な艶っぽいロックバラードも披露しシンガーとしての幅も見せた。
2nd、3rdの暴力的なまでのギターは鳴りをひそめた分、コアなファンからは批判を浴び、当時の妻アブリル・ラヴィーンが後任のギターに入るだの突拍子もない噂を立てられる羽目になったが、むしろ1stの延長線をまっすぐ捉え、幅を広げたような音楽性はタイトさは無い分伸び伸びとしたメンバーの’ノリ’が重視されていて好きなファンも多い一枚だろうと思った。
この目で見た世界レベルのバンドSUM41 そして彼らはいなくなった
2011年、前作から4年後に5th'Screaming Bloody Murder'を発表する。
ハードコア回帰の様なソリッドで破滅的なサウンドに、この4年間にバンドに起こった事を慮るファンも多かった。
日本では特に2009年に離婚したアブリルの名前が先行する事が多かった。
彼女と離婚した以降も、アブリルさんの元夫のロックバンドの~、みたいな冠詞が付くことが多かった。
サマソニ2010に来日中、大阪のバーで喧嘩しケガした時も、アブリルさんの元夫暴行か、的な見出しだった。
それでも世界を制してきたロックバンドの実力はブレる事無く、当初はぎこちなかった新体制のメンバーも馴染み、ポップパンク且つハードコアなアイデンティティーを発揮する彼らのライブは、巨大なケミストリーの場だった。
僕がSUM41を始めてライブで目撃したのもこの辺りからだ。
2009年、パンクスプリングで憧れのNOFXの後のオオトリを務め、さんざんその事をファットマイクに茶化された後でも、観客を煽りまくり常に温度の高い圧巻のパフォーマンスだった。
2011年の単独公演でも新曲を含め更に濃いライブを観れた。
力強く切れ味のいい音で、絶対的なパンクソングを緩急を強弱を使い分けてくるセットリストに、巧さみたいなものも感じたし、ステージ上で僕らを煽るデリックは、その日だけは僕の中でビリー・ジョーを超えたパンクスターの姿だった。
かつてないほど充足感に満ちたライブを終えて、SUM41という存在を解ったつもりでいた。
2012年のパンクスプリングまでは。
2012年も続けて来日したSUM41のパンクスプリングでのステージはめちゃくちゃだった。
ステージに出てきた瞬間から泥酔してるとわかるデリック。
演奏もボーカルもめちゃくちゃで、オーディエンスに歌わせようとしたら急にキレたような表情を見せて、その後はピエロみたいなニンマリの笑顔を見せる。
ジャックダニエルを会場で進めていたお姉さんをステージに上げて、口移しで飲ませる。
ベースのジェイソンが演奏を促すように弾いても、怒って制止しニヤニヤと観客を見つめるだけ。
他のメンバーも匙を投げながらステージに立っているようだった。
40分くらいのステージでまともに歌ったのは3曲くらいだと思う。
もうオーディエンスみんな、引いてるリアクションだった。多分このステージはある意味忘れない。
パンクロッカーっていうのは、破天荒でギリギリでめちゃくちゃでって聞いていたけど、それを目の前で見たことはあまりなかった。
ロックでかっこいい姿ってのは数々ライブで見てきたが、これ大丈夫か?ダメなんじゃないのと心配したくなるようなハチャメチャな感じはなかったので、昔の幻想なのかなぐらい思っていた。
デリックはまさにそれだった。
その後デリックはアルコール中毒で倒れた。あと一滴でも飲んでたら死んでたっていう様な状態だったようだ。
カムバックした普通じゃないパンクロッカー
文字通り死にかけたパンクロッカー、デリック・ウェンブリー。
僕の中にリアルなパンクを刻み付けた。
それでも落ちるところまで落ちた人間味あふれる下降線を描いた後、アルコール以外にも体中の毒素を抜いたデリックは、恥も外聞もかなぐり捨てて、立ち上がる事を選んだ。
死の恐怖と戦いながら、誰も死を望んでいないフォロワー達(イギーポップやアブリルも)に支えられながら必死に曲を書いて、ステージの上に帰ってきた。
2016年のパンクスプリング、その姿を目に焼き付けた。
ちょっと痩せたように見えて、逆立った金髪も若干白髪に見える様なドラッギーな姿だったが、カッコ悪さを跳ねのけて戻って来た笑顔は何処かはにかんでいるようにも見えた。
ギターのデイヴもバンドに復帰し5人体制万全の態勢での復活劇。
ステージに客を上げまくり、まくし立てる様なライブ。
デイヴのギターの滑らかな重みに電撃的なパワーを感じ、爽快な声でパンクロックが僕らに飛んでくる。
暴風の様で心地いいパンクは、まさに1stや2ndで感じたそれだった。
それでもデイヴのギターアレンジが所々炸裂して、パンキッシュにメタリックを火に油を注いだような灼熱の迫力は、前の地点に戻っただけでない、前に進んで凄みを増した姿だった。
倒れようが、恥ようが、タフに今最高な音を届けるマキシマムなステージ。
東京のステージは実はヘッドライナーではなく、後ろの時間が迫る事に苛立ち、時間ギリギリに'Fat Lip'をバシッと終えて、'Bye!!'とだけ言ってギターをステージ横に放り投げながら颯爽と去る姿も、最高にキマっていた。
41は彼らのもの
結成を決めた夏休みの日から何日経ったんだろう。
ノーエフを観たばっかりに、パンクを始めて、喧嘩したり、嫁と別れたり、死にかけた。
それでも2016年、6thアルバム'13 Voices'でGoddamn I'm Dead Againとちょっとニヒルに笑い飛ばして歌うほどタフな姿は、フラフラでもまっすぐ歩いてきた僕らのパンクヒーロー、デリックの姿に間違いない。
僕は一生41って数字を聞いたら彼らを思い出すだろし、唯一無二のこの数字の想い出だろうと思う。
コンビニでお釣り41円とかザラにある。
ちょっとそれだけでメタリックなギターとパンキッシュなメロディーが頭の中でリフレインされる。
数字ってのはそれだけ身近で、すなわちSUM41は相当身近なバンドになり得る。
41の字面は、少し擦れ気味だが、どんな数字よりもキレがあるのだ。
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【2018.2.21 リライト】