僕らが再び集まる為のパワーアンセム 2019年8月リライト
2017年7月発表のMONOEYESの2ndアルバム'Dim The Light'に入った'Two Little Fishes'は、冒頭のリフを聴いた瞬間から鳥肌ものの名曲だった。
2年以上経った今、時間が経ってもまるで色褪せず、むしろ回数聴く度に日常とリンクさせられる部分が増えて鮮やかに世界を染め上げてくれるこの曲は、単なる一過性の良曲という域を完全に超えた感覚があるのだ。
歴史的な状況に直面している時って、意外と当事者はピンときていない事が多いが、ロックの長い歴史の中で、数多くの名曲を超えたアンセムと呼ばれる存在の曲が世に出た時もこんな感覚で広まっていったのかもしれない。
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どこかの機関の研究結果の記事を読んだが、音楽を聴いてその音に反応し、鳥肌が立ったり泣けるというのはある種の才能らしい。
ホントかよ、割と泣きまくりだぞ、と思ったが偉い人に言われると、泣ける自分が何か誇らしいのでそう思う事にした。
有り難い事にそういう才能を持てた僕は、小さい世界でも自分の音楽世界をそういう曲が溢れる人生にしたいなと思って、ここまで来た。
最初は小さかった世界も、自分なりに大きくなってきて偏って薄っぺらくとも僕のRockな世界が出来上がってきたと、少しずつ思う。
'Two Little Fishes'はそういう世界の幅を少し押し広げる類の名曲だった。
美しいとか、かっこいいとか、その前に嬉しい気持ちが胸を締め付ける圧倒的な一曲だ。
リリース後数年経っても、まるで色褪せずにツアーを経て完全にアンセム化したこの曲は、まだ今後何十年経っても意味を持つ様な予感すら有る。
彼らと僕らが完璧にシンクロするアンサーソング的で真骨頂かつ集大成的な曲。
そういう要素の全てが、僕らのロックという少し小っ恥ずかしい言葉すら誇らしげに使える原動力になるのだ。
今、その必要性を考える。名曲に想いを馳せて。
'Two Little Fishes'
MONOEYES - Two Little Fishes(Music Video)
名曲の条件は人それぞれ指標が有ると思う。
ただアンセム化するためには、わかりやすさと親しみやすさとメッセージが不可欠だ。
インスタントに口ずさめて、でも丹念に紡がれた事がわかるとてもロマンチックな'Two Little Fishes'のメロディーは、一生聞き続けられるであろう確信と手放しの喜びに満ちていた。
一音目から祝福に満ちた様な旋律を繰り返すアンセミックなギターリフは、ここから放課後の俺たちの時間が始まる終業のチャイムを思わせ、曲の幕を開けと共に世界観へと飛び込んでいける引力がある。
電撃的だけど優しいギターが鳴った瞬間から聴き進めて行けば行くほど、心が潤い満たされていく類のキラキラしたメロディーが何度も折々に繰り返され、そういう音像を噛みしめる様なハードなリズムギターがジワジワと温度を上げ、瑞々しく跳ね上げるリズム隊が更に高揚感を煽る。
キラキラした水の中に飛び込む様な爽快なサビになれば、一度潜って水面に顔を出した瞬間に眩しいメロディーに再度迎え入れられる様で、何重にも鮮やかな光の音が折り重なり、それぞれリスナーがパーソナルに輝いている光景を思い馳せられる様な空間的なものになっていくのだ。
メロディーの重なりだけでこの域まで達するロックソングの中心には、世界一のボーカルだと、僕の世界が小さかった頃から思わせる細美の声がある。
その声を中心に広がる純粋でクリーンでも、全てを甘い感傷で浸り切らず大切な事を歌に乗せていると直感できる確かなアツさ。
細美武士のアンセムがまた出来た。
彼の存在の大きさを年々ひしひしと感じるエルレ世代の1人からしてみれば、そんな喜びを筆頭に色んな思いが溢れるし、多分目を瞑れば、リスナー各々が思い浮かべる光景に音が映える、曲が持つ透明感と浸透性がパーソナルに燦めく要因になっているのだ。
年月が経ってもいなくなるわけない、と変わらずに有り続ける事に声を上げつつも、歌に込められたメッセージはそれでも終わりがある事がわかっている。
楽しかった後の時間を眩しいほどに描写しながら、そこに物悲しさを覚えるのと同時に、次の約束をすればいいというシンプルな生き方を提示する。
破れかぶれな理想論ではなく、終わりがある今この瞬間を、立ち止まって共に声を上げる。
難しい構成はまるでなく、バンドの織りなすハーモニーと僕らのとのシンガロングだけの美しさで構築されたインスタントな輝きだからこそ、絶対に違えない約束を絆として持ち続けられるのだ。
長くバンドで走り続け追い続けた人達の帰る場所
日本最高レベルのロックバンドながら予定調和を嫌悪し、インディー的な活動に終止するMONOEYES。
長くバンド活動をやってる人物こそファンも幅広くなるし、カルト的な人気すら出てくる。
細美武士に限った話で言えば、ELLEGARDENとThe HiatusとMONOEYESという3つのバンドで、それぞれにリスナーがいて全てを横断するファンもいる半面、どうしても昔或いは今がいいって人もいるはずだ。
そういうモノすら一旦
フラットにしてしまうナチュラルなアンセムとして'Two Little Fishes'は響くのかもしれない。
これの元に再び集まろう。時代を射抜くよりは幅広く僕らを射抜いた曲。
目下キッズな連中も昔キッズだった大人も、同じ目線で同じ感覚で浸透しやすいビッグメロディーの眩さに飲み込まれ、SNSなんか無くとも言いたい事がわかる理想的な状態を創れる聖歌の性質を持っている。
誰もが口ずさめて音楽そのものの力で穏やかに心を満たす。
その曲が瞬間切り取った光景が鮮やかであるほど曲自体は残っていく。
ツアーを経て、そういう光景は幾つも幾つも作ってきたはず。
しきりに、細美はライブハウスの扉から一歩出ればまた闘いの日々だ。
でもまた帰ってこよう。
そういう話を繰り返し、何回も約束する。
僕らの'Don't Look Back Angar'の様な歌かもしれない。
世界中の誰もが口ずさみ、時には世界を癒す事になったロックの魔法が詰まった時代のアンセムは、その偉大さに畏怖して広まったわけではない。
そのメロディーの掴みやすさとそれに反比例していく様に、掴みやすければ掴みやすいほど深まっていく美しさ。
そのバンド、この曲で言えばオアシスのノエルらしい音の紡ぎ方と彼らのキャラクターとの対比や反映などを通し、彼らの歌として強固なものとなる事で絶対的なものになっていく。
だからこそ、みんなふと'Don't Look Back Angar'を聴きたくなり、歌いたくなり、世界中みんなの歌として広まっていった。
'Don't Look Back Angar'はテーマも、歌うバンドも、その関係性も、メロディーもアンセムとして万全に機能してここまできた。
'Two Little Fishes'がそれを超える名曲という事が言いたいのではない。
ただそのメロディーの美しさによる癒やしの風と、パーソナルに一人ひとりの胸の奥にに灯されるロックな灯の感覚は、僕らの'Don't Look Back Angar'だと言えるのかもしれない。
才能なんか無くても何度聴いたって涙は出るさそりゃ。こんなにいい曲なんだ。
僕らのロックは、'Don't Look Back Angar'が癒やしてくれるように、いつだって僕らを動かす原動力だし、再び集まる為の約束なのだ。
こういう曲が溢れる人生は、他の何よりかけがえのないもので、その中でもあまりにも重要な存在として'Two Little Fishes'は僕の中で流れ続けるんだろうと、そう強く思ったのだ。
是非聴いてみて下さい。
それではまた別の記事で。