Football soundtrack 1987-音楽とサッカーに想いを馳せる雑記‐

1987年生まれサッカー・音楽(ROCK)好きがサッカー・音楽・映画などについて思いを馳せる日記

【忘れたくない選手】デコに想いを馳せて-世界中のだれよりきっと上手い男-

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チームの魔法の中心プレイヤー、デコに想いを馳せる

 

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今までたくさんフットボールプレイヤーを見てきたが、サッカーが巧い人にも2種類いると思う。
巧さを見せつけ誇示するタイプと、淡々と飄々とするタイプ、の2種類。
見た目が派手な前者に大体の人は憧れがちだが、やや目立とうと誇張気味だし、いざ波に乗れなくてメッキが剥がれると相当かっこ悪い。
グラウンドレベルで見た時、後者の方のスマートに、ナチュラルにプレーする姿の方が美しさを感じるし、最小限のさりげないタッチに込められた無限の創造性に、息を呑み底の見えない怖さすら感じる。
宮沢賢治の雨ニモ負ケズみたいに、なるならそういう選手に私はなりたい
 

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何人かそんなセンス抜群の選手は思い当たるが、僕が特に推したいのはデコだ。
「スペシャル・ワン」モウリーニョ監督と共にポルトで旋風を起こし、バルセロナの心臓として名を馳せた名プレーヤー。
平然と、ふてぶてしく、どんなプレーでも出来た記憶に残り底の知れなかったロマンチックな選手。
忘れられないし、忘れたくないなって思う選手に想いを馳せるレビュー。
今回はデコに想いを馳せる。
 

ブラジル産ポルトガル開花

良い才能を持ちながら中々評価されず、開花の時を迎えないまま鳴かず飛ばずの成績に終わるサッカー選手は多い。
デコはプレーヤーのスタイルからしてそうなる危険もあったと思うが、タイミングと巡り合いが彼の才能を開花させた珍しいケースだ。
 
1977年ブラジルのサンパウロで生まれたデコは17歳でブラジルの名門コリンチャンスと契約するが試合に出れず、才能の宝庫ブラジルでは期待もかけられないその他大勢の若手の一人だった。
そこで環境変える為にポルトガルへと渡るのだが、これが大成功となる。
名門ベンフィカに所属しながら2部に武者修行のレンタル移籍、そこで伸び伸びとプレーして成績を残すと、移籍のステップアップを繰り返し1部の強豪FCポルトに引き抜かれる。
トップ下のポジションを経てレベルの高いプレーを見せていたデコに、時代そのものを動かした大きな出会いがあった。
2002年に監督に就任したモウリーニョとの出会いだ。
 

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稀代の名伯楽に率いられたポルトで、ポルトガルリーグを席巻。
リカルド・カルバーリョやマニシェなど後にポルトガル代表の仲間として戦う選手と共に、欧州でも快進撃を続け、モウリーニョ就任1年めにUEFAカップを制覇、翌年にはチャンピオンズリーグを制覇し、文字通りスペシャル・ワンとなったチームのド真ん中にデコはいた。その大会でMVPを獲得したデコはモウリーニョの名と共に、欧州最大のホットパーソンとして時代の真ん中に躍り出たのだ。

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そして2004年。
逆に才能を持て余している感あったポルトガル人のウィンガー、クアレスマとのトレードで堂々とバルセロナに移籍したデコ。
背番号20番を背負い、自らのプレーで飄々とスペインの舞台を制圧し、リーガの連覇と自身二度目のビックイヤーを手にする活躍を見せる。
下部組織の「カンテラ」から一貫した芸術的なポゼッションサッカーを貫くバルサでも全く問題なくフィットするどころか、ピッチのど真ん中の不動のセンターハーフのポジション、まさしくバルセロナの心臓として今に続く黄金時代の幕開けにふさわしい圧巻の「格」だった。
当時のエースは間違いなく魔術師ロナウジーニョであり得点源はエトーだったが、目の肥えたバルセロニスタは何よりもデコの存在に敬意を評し、畏敬の念すらあった絶対的な存在だったのだ。
2006年以降はイニエスタにスタメンの席を譲り、2008年グアルディオラ体制になった時に構想外となりチェルシーへと移籍するが、バルセロナの心臓と言えば、と忘れられない選手としてファンの心には焼き付いている。

 

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ポルトガルでプレーしていたブラジル人のデコに、ポルトガル国籍を進めたのは時の代表監督スコラーリだった。
魅惑的な攻撃を標榜するオフェンシブ志向のスコラーリ監督には、絶対的に欲しいピースだったはず。
当時代表だった選手からは少なからず反発もあったようだが、デビュー戦の母国ブラジル戦で、自身の活躍でポルトガルを勝利に導き、黙らせるというドラマもあり、代表の司令塔の座をその手にしたのだ。
EUROやW杯にも出場し、強豪ではあるが優勝候補最右翼とは見られないポルトガルで、そのポテンシャルを見せつけた時代のエースとなったのだった。
 
2008年以降はスコラーリ監督と共に、チェルシーへと移籍。
プレミアでも彼らしいプレーを随所に見せつけた。
タイミングや巡り合いにも支えられた輝かしい経歴で、一つ特色あるキャリアだと言えるデコ。
少なくなかった雑音が次第に収まって行く様に、彼の飄々とした姿が重なり、そのプレースタイルをさらに上質なイメージにさせるのだ。 

プレースタイル

トップ下としてデビューしたデコだったが、バルセロナやポルトガルでのセンターハーフの印象が強い。
当時世界を席巻していた中盤が3人の形。
心臓部であるポジションでさらに一流選手となれば、ボールを奪われる事なくチームを動かしながら、個人が持つオリジナリティーでチームに色を付けるまでになる。
例えばピルロやシャビの様な柔かくインテリジェンスな司令塔、ジェラードやランパードの様なダイナミックなボックストゥボックスのプレーヤー。
それらはチームの先端武器としても、或いは欠かせない歯車としても、存分に力を発揮される。
その超重要な1ピースで、その時代誰にも出来ないプレーを魅せていたのはデコだった。
キックも正確だし、ゲームメイク・視野の広さも抜群、ボールタッチも柔らかい。
デコには全てが世界基準で装備されていて、それでいてその底を見せない深さがあった
 
 
どれだけ囲まれていても、ミニマムでマジカルなタッチでいなす。
針の穴を通すパスも出せるし、キックのタイミング・身体の向きやキックの場所のわずかな工夫でパスコースを創り出せる。
大きなフェイントもなく、簡単に逆を突くアイディアを瞬時に実現できる。
 
決してパワーもスピードも高くない。だからこそのテクニックとアイディア。
何か言葉にするなら創造性ークリエイティビティーが優れていた。
ロナウジーニョもいた当時のバルセロナは結果だけでない魅力があった。
今でも世界一には違いないが、このバルサの方がやっぱり好き。
飄々と高次元のプレーをし底を見せない。
だから飛び込めないし、飛び込んだら思うツボなオーラを出す事が、彼の生きるすべだったのだ。
創造性がにじみ出るボールタッチは、玄人になれば玄人になるほど、優雅に映り惹きつける。
それがきっと、彼のキャリアを象徴する巡り合いに繋がったのだと思うのだ。
 
大胆不敵にプレーする一方で、冷徹に急に’キレる’事もしばしばある。
南米生まれらしいムラッ気も多少持っており、あっさりとラフプレーで一発退場も良く見る光景だ。
玉にきず、な部分ではあるのだが、単なるスマートな選手ではないエネルギーもそこに感じる事で、さらに底の深さを感じるのだ。
柔も剛も、冷静と情熱も。
そんなプレーヤーとしての幅が、彼の最大の魅力なのだ。
 

歴代トップクラスの成績と忘れられないプレースタイル

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バルセロナからチェルシーに移籍し、ベテランとなっても一時期レギュラーを取り戻すなど、輝きを放ったデコ。
晩節はブラジルでプレーしそのサッカー人生を終える。
獲得したタイトルは、ポルトガル・スペイン・イングランド・ブラジルでのリーグ優勝、UFEAカップ、CL2回。
個人的にもCLのMVPやクラブワールドカップでのMVPも受賞。
ブラジルから「干された」若手の成績としては、想像もできない歴代トップクラスの実にオルタナティブなキャリアを築き上げた。
やはりそのプレースタイルによる底の見えない巧さは、本物なのだと証明したのだ。
 
正直に言って今のバルセロナを全く好きになれないのも、この時代のデコを中心としたサッカーがカッコよすぎたからに他ならない。
メッシ・スアレス・ネイマールが何点取ろうが、デコみたいな選手を追っかけ続ける。
僕にとっては、デコとグティが中盤にいればそれだけでいいのだ。
こんなサッカーの追い方も悪くはないし、こういう選手たちを忘れたくない。
そういう人に私はなりたい。のだ。
 
 
 
【Football soundtrack  theme DECO】
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それではまた別の記事で!