Football soundtrack 1987-音楽とサッカーに想いを馳せる雑記‐

1987年生まれサッカー・音楽(ROCK)好きがサッカー・音楽・映画などについて思いを馳せる日記

【サッカー×ロック音楽】なぜロック音楽はフットボールに必要なのか【サッカー あの曲】

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サッカーとロック音楽 何故ロック音楽とサッカーは結びつくか

前書き Football Needs a Soundtrack. サッカーとロックの交わりを探す旅

細美武士が率いるオルタナティブロックバンドthe Hiatus'Horse Riding'という歌のの歌詞に'Revolution Needs A Soundtrack'という一説がある。

 

戦争をモチーフにしたアメリカ独立文学のような世界観の中で、指弾きのアコギの生音とピアノの抱擁的な音が心地良く凛と涼やかに漂う、彼らしいレトリックを用いた歌モノの名曲だ。

革命の戦いの最中に居るこの曲の主人公は、故郷へ想いを馳せながら、自分にしか聞こえない歌を口ずさみ、この'Revolution Needs A Soundtrack'というフレーズを口にする。

誰にも聞こえなくても良いくらいの声で、少しだけ遠くを見て心のほつれさせるような声で、そうさ、革命には音楽が必要だろ?って位の誇らしい鼻歌。

数拍の静寂の後、大サビで爽快に風が吹き付ける展開が大好きで、聴く度に鳥肌モノだしこの瞬間を大切にしている。

 

影響されやすい僕は、そんな大切なフレーズは強く焼き付いた脳裏から、いつしか心の奥底にまで残り、次第に自分の中のベクトルとして機能し始める事が多々ある。

'Revolution Needs A Soundtrack'のその語感と鮮やかさを拝借し、サッカーそしてロック好きの僕のパーソナルな部分と結びつき、'Football Needs a Soundtrack'=サッカーには音楽必要だろ?って、僕の心の大切なモノの交点で眩しく輝き出した。

 

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さて。
幸運な事に好きな事を仕事にできた僕は、サッカーの現場に関連する職に8-9年程携わっていた。
そういう現場にいる時、フィールドに音楽を流してるんだが、この辺りはわりと自由な裁量で流して良い感じなのである。
僕が現場にいる時はロック音楽好きって事を振りかざし主導権をがっちり離さず、DJ気取りで好き勝手にオルタナロックだパンクだパワーポップだインディーロックだを流していた。
 
 
1987年生まれがおじさんになって自分の半生を振り返ってみて、どういう人間なのかと偶にはまじめに考えた時、サッカーとロック音楽があった半生だった。
物心ついた時にはそれなりのサッカー少年になっていて、ロック音楽は僕の価値観の幅を押し広げてくれた。
 

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話を戻し、そんな僕がサッカーに合わせて流す音楽って事を考えた時、そこでプレーする人・見る人・関わる人の9割が知っているだろうポップスチャートの詰め合わせを流すのはナンかつまらないとつくづく思っていた

流行ってるEDMを雰囲気関係なしにズンズンに流してるフットボールの会場やフットボールメディアもあるが、何かこう、ここはクラブじゃねぇってツッコみたくなってしまう。どっちにしても粋じゃないのだ。

 

ただ、例えばバスケ=HIP HOP的な、イメージ的に等式が成り立つものが、サッカーには無い事にも気づく。

歴史的に言えばサッカー王国ブラジルや最先端スペインの情熱のラテンのリズムが、サッカーの要素として根付いて居るかもしれないが、ブラジル音楽でボサ・ノヴァにサンバばっか流してれば良いってわけでもなく、フットボールはきっともっと大きい存在になってしまっていて、アンマッチ感も否めない事もある。
そこから捻くれ者でサッカー好きでロック好きな僕のFootball Soundtrackというテーマが始まったのだ。
 

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このブログタイトルにもなっているテーマ。
サッカーに合う音楽は何なのか、それは僕が好きなロックなのではないか、サッカーとロックは合うのではないか?を探す旅。
実際に現場で鳴っている様子を見て、実際に聴きながら何百時間(たぶん)もボール蹴って、お!合う!って感じた実体験。
そんな好きなもの同士を繋げたい、やや我儘気味のプロジェクトの前書き部分の長めの文章だ。
ロックもサッカーも、どちらもオルタナティヴで気鋭なものであって欲しいという願いを乗せ、実体験からある程度の確信を持ちながら、その親和性を言葉にしてみるのだ。
僕にとって、もう走らないってガス欠の時にもう一度パワーが入ってエンジンがかかる音は、ロックでないといけないのだ。
少なくとも僕には、どっちも必要だった。音楽もたくさん貼るので、少しでもおんなじ思いを持ってくれたり、ステキな暇つぶしになれば幸いです。
ロック音楽とサッカー、Football Soundtrackに想いを馳せて。
 
 

Spotify Original Playlist

 

スポーツと音楽が合うとは?

スポーツと音楽の関係

そもそもスポーツと音楽の関係性は良好である。

スタジアムではチャント=応援歌が歌われる事はスポーツの光景として定着しているし、その元ネタとして既存の楽曲が歌われることも多い。

 

逆にスポーツから音楽ってカルチャーをイメージを想像できるものもある。

甲子園じゃ六甲おろしを歌えない阪神ファンはいないし、アメリカの野球大リーグの7回には'Seventh Inning Stretch'として座りっぱなしの身体をほぐし立ち上がって、'Take Me Out To The Ballgame'(邦題 私を野球場に連れて行って)を球場全体で歌う粋な習わしがある。

元はミュージカルの為の楽曲'You'll Never Walk Alone'は、1960年代からリバプールFCのクラブのアンセムとして定着し、ホームのアンフィールドの大合唱は、歌とスポーツの結びつきの最上のケースとして素敵の光景を描き出している。


年末のビンタで有名な蝶野正洋の入場曲が実はメタルの曲だった様に、プロレスのように選手個々の入場曲があるスポーツもあるし、アメフトみたいにハーフタイムショーが権威のあるショーステージだったりする事もあるほど、音楽とスポーツはエンターテイメント性が密接な関係にあるのだ。

日本人的に考えても運動会の徒競走だってゴリゴリに流れてたし、騎馬戦の入場でWe Will Rock Youを流し、会場の雰囲気を一変させた僕の小学校の先生は今でも伝説になっている。

余興やBGMの域を超え、それはもうサウンドトラックなのだ。

映画やミュージカルのそれのように、スポーツの場で、その熱狂の一端となる高揚感を高める事に、音楽は一役買っていて、決して邪魔ではないし、むしろ相互的に作用しているとも言えると思うのだ。

音楽がスポーツにとってプラスα的に作用するモノである事はもちろん、文化として根付いてる融合性があると言ってもいいはずだ。

 

 

こっからが問題なのだが、もちろん何だって良いわけではないのである。

例えば徒競走と言えばあの曲って様に、サウンドトラックとして融合してる事。

この融合性というキーワードがサウンドトラックとしてはとても大切で、逆に言えば聴いただけで光景を想像できる様なものは、完璧にスポーツと文化レベル融合していると言える。

それがサッカーでも再現できる音楽があれば、凄く素晴らしい。

僕のフットボールサウンドトラックの旅を考えた時、そんな前提条件は常に頭に巡っていたのだ。

 

何がサッカーと合うか?
それで、だ。何が合うのかを、考えるにはどうするのか?
 
汎用性が強すぎたり、その逆で尖りすぎてしまえば、サッカーとのバランスや融合性が崩れる事になり、音楽が邪魔してしまう事だってある。
スムーズにサッカーと同調していけばいいが、〇〇と言えば、で出てくるにはそれ相応の融合性=マッチ感と、何で?に返せる理由がいる。
 
他のスポーツの例を考えてみる。
今定着している音楽とどう合ってきたのかの経緯を探れば何か見えてくるかもしれない。
本当にそのスポーツをやってる人からすれば合ってるのか、いや違う、と言うかもしれないが、例えばメディアでプロモーション的な側面で使われ出して今、すぐに思い浮かぶものある。
バスケにhip-hop、バレーにジャニーズ、水泳にB’z、陸上に織田裕二、清原にとんぼ。
半分はネタだけど、カルチャーが根付くにはそういう広告塔の力も必要なのかもしれない。
僕の記憶を辿れば、こと90年代~00年代の日本において、サッカーにもそれはあったと思う。
 
TVゲームとテレビ番組だ。
 
Chumbawambaというバンドの'Tubthumping'は、当時まだまだ野球がスポーツニュースを席巻していた時代、全国のサッカーファンが土曜日毎週欠かさず食い入る様に見ていたTBSの深夜サッカー番組’スーパーサッカー’のOPテーマ曲だった。
Fat Boy Slim'Rockefeller Shank'は、サッカーファンの誰もがプレイした家庭用ゲーム'FIFAシリーズ'のメニュー画面のBGMとして死ぬほどリピートされていた。
この時期が青少年期を直撃した僕には確実に刷り込まれてる。
 
どちらも音楽面で考えてみれば混じりっけなしのロックソングとは言えないが、実はオルタナティヴロックだと言える両曲。
この二曲を比較しても全然違う曲なのだ。でも、どちらもサッカーに合う。実に。
 
タブサンピングは高く青い空に蹴り上げたボールを、ファット・ボーイ・スリムはときおりスローになる・たまにリフレインする華麗な足捌きを連想させるじゃないか。
 
サッカーの光景をどこか映し出せるのだ。
曲を通して映像をイメージできるメディアの力は途轍もなく大きいとも言えるし、選んだ人すげぇ、と同時に自分も見つけてぇと思った。
どっかの全くサッカーに興味ないアイドルを用意して、何となくサッカーがテーマの曲を歌わせて、悲劇的な大失敗で黒歴史化するより全然お互いのためだ。
 
ただメディアだけだと、やや商業的な匂いもして、どうしてもロマンに欠けてしまう部分もある。
カルチャー側から自然発生的に何か大きなうねりになって、音楽が定着していく事が実にロマンチックだと思う。
そんな例が実は近代サッカーでは起きていた。
 

www.footballsoundtrack.com

現在のサッカー界で最もモダンで、今後何十年もサウンドトラックとして鳴らされるだろう曲The White Stripes'Seven Nation Army'は、爆発的にサッカー界に広まっていった。

ロックのダークさやうねりを静かにそして爆発的に感じさせる名リフは今や、欧州サッカーシーンでゴールが決まると'オーオ、オッオッオオーオ'と観客全員が歌う定番の光景となった。

出処が本当かどうかはわからないが中々粋なエピソードからはじまったとされていて、酒場で誰かが歌ったことから始まり、次第にアーセナルで一時代を築いたオランダ代表ロビン・ファン・ペルシの応援歌に起用されたり、2006年W杯を優勝したイタリア代表のメンバーが歌ったり、EURO2008でいよいよ公式のテーマ曲に採用されたと思えば、その後10年で完璧にシーンに定着した。

その融合性としてはスポーツのサントラとして、今や何十年も残るだろうフットボールサウンドトラックとして理想的な形だったのだ。

応援歌のリズムとメロディーに既存の楽曲が使われることは多々あるが、それがカッコよさ的に突抜けたのがこの例だった。

 

例に挙げた3曲は、もちろんサッカーの為に作られた曲ではない。

スタイリッシュでインディーでオルタナティヴなサウンドの3曲。

メディア発・カルチャー発のどちらにおいても、これらの曲には、スポーツ・サッカーの光景にもハマるイメージ的な一致がここにはあったのだと考えられる。
そう、何をもって合うと言えるか、が大切なのだ。
やはり、そんなもん人それぞれ、を超える所に到達しないといけない。
1つ定義するとすれば、フットボールサウンドトラックとは、サッカーというカルチャー自体にフィットするサウンドトラックなのだ。
 
一言にサッカーと言っても様々である。
プロからアマチュア、フットサルもあればフリースタイルも、少年/女子/シニアまで、スタジアムにフットサル場にストリートまで、ボールがあればどこでもサッカーだ。
そもそも外でやるもんだし、サッカーにとっては曲が流れてる中でやるって方がレア。
別にその場じゃなくてもいい、四六時中鳴ってなくてもいい。
サッカーをやってるイメージが想像できる曲達であれば良い。
スタジアムでやるサッカーに合う、もっとストリートな場面にも合う、子どもたちが少しぶかぶかなユニで、路地裏でゴミ箱をゴールに、フットサル場で、土で、芝で、スポーツ番組のダイジェスト映像で、YouTubeのスーパープレイ集で。
そういうサッカー自体のカルチャーイメージで考えた時に、サウンドトラックとして映えるという事が、合うってことだ。
上で挙げた3曲は、メディアや公式の力うんぬんの前に、カルチャーイメージとの融合があったからこそ、鮮烈に残っているんだと思うのだ。

 

なぜロックか

ロックとサッカーの既視感
 
ではなぜロック音楽、が必要なのか?
僕にとって’好きだから’はもちろん動機としてあるけど、それだと、そんなもん人それぞれ、を超える所に到達しない。
 
でも経験則で申し訳ないが、前述の様に光景をイメージ出来る=サウンドトラックとして、ロック音楽とサッカーの相乗感を汲み取れる場面は何故か確かにあって、それはお互いの本質部分を言葉にする事で見えてくるはずだ。
 
【ロック】とは反体制・反社会から産まれたカウンターカルチャーであり、誕生以降あらゆる軋轢に対し、常に音と言葉と肉体を使い、直接的に人間の欲望を具現化する表現行為であリ続けてきた。
ギターとベースとドラムと生声と生音を主体にして、聴くことで自分の欲望が目覚め、衝動と結びつき、世界観を押し広げ開放感を得る事ができる。
ポジティヴなアップチューンも、内面を深く覗き込む様なダークな楽曲も、日常の感情を傍観的に言葉にした歌も、社会や世界へ向けた反骨的な凱歌も、この本質があるからこそ途方もなくロマンチックで美しく響き、空間を支配するドライヴ感覚が根底から生まれるダイナミックなものだ。
 
そこに、例えば、サッカーの光景の原点を考えるとするなら。
前述したように今やサッカーは巨大なスタジアムから街中にあるコート、あるいはストリートまでどこまでもフォーマットは広く、全てサッカーである。
それでもフィーリング的に確実に失われない原点的なものが、どの部分でも存在する。
原点的にスポーツとして自然発生的に競うものであるし、最も脳から離れた部分でボールを扱う不自由とその先の開放感こそ超根源的な魅力である。
フットボールのカルチャーを考えた時の、ROCK音楽との既視感はそこにあって、ストリートらしい初期衝動的な野蛮な強さと抗い難い魅力が根底にあって、スタイリッシュに昇華したビッグなものとなっても、結果を求め狡猾ですらある現実主義の中でロマンティックな理想主義が息づくこの混在こそ、サッカーで古来から失われていない美しさの部分だ。
 
それは、どれだけ洗練されて芸術性を極めて行ったとしても、サッカーもロックもフィジカルなモノという根源的な条件があるということだ。
どんなにデータを駆使し完璧な図形を見ているようなサッカーでも、人と人のフィジカルな繋がりの上に成立するものであり、どこまでも芸術性を高めても詰まるところラフなフィジカルな衝動と開放へ行きつくロックのスパイラルと素晴らしくマッチする。
 
 
サッカーがスポーツカルチャーとして、ロック音楽がミュージックカルチャーとして世界に根付いた背景や、そこから大きく進化していった歴史も共通点がある。
両方共に長く世界の中心にあった歴史からの理論があるし、その理論を越えた原初的なマジカルな魅力が未来永劫残る事を、それ自体が願っているからこそ途方もないロマンを内包するのである。
 
ともにストリートから派生してビッグになった背景があるし、カウンターカルチャーとして既存の自らのジャンル(システム)を壊し、時代背景を如実に反映したスターが現れ、転がっていきスタイリッシュにオルタナティヴに鋭化していった。
このサイクルはあらゆる良性のカルチャーに共通するかもしれないが、特にフットボールとロックはその部分で既視感は強いのだ。
 
ドライヴ感覚
カルチャー単位で良い相性であるロックとサッカーは、表層的にも良い相性を持っている。
スポーツであるから、爽やかさに振り切ったポジティヴなポップソングでいいだろうって感触も無くはない。
ただ'セブンネーション~'のリフの様に、ダークで毒々しくも苛烈なほどにキャッチーと言う、リアリスティックなヴァイヴが、根底でフットボールのエッジーな部分とも結びついている気がしてならない。 
もちろんダークなロックソングのみがサッカーに合うわけではなくて、あらゆる姿のロックのグルーヴは包括的にサッカーのイメージと合う。
 
 
自分の心を上書きしていく様な、ギターリフが痛快な程に振り回されるロックチューンはサッカーの攻撃性やソリッドな面と相乗的に聞かせてくれる。

開放的にキャッチーであり、メロディーとハーモニーを重視するメロウなものでありながら、ストロンゲストなグルーヴを持って響くロックチューンは、スタジアムの青空とピッチの熱狂のコントラストを同時に感じさせてくれる。

インディーで擦れてルーズなアーティスティックさを持ったロックチューンは、サッカーの根源的な魅惑を生々しく感じさせてくれる。

シンプルかつスピーディーでタフなパンクチューンも、天衣無縫なフリーキーなファンクロックも、センチメンタルにセピアな情景を切り取るエモな1曲も。

あらゆる場面でお互いの存在感を失わず響けるのも、ロック音楽が転がり続けて具現化した汎用性の高いかつ美学を失っていない音楽だったからなのだと、そう思う。

 

枠組みではなく守る矜持はあれど、スタイルは自由な生の音の揺らぎは、ロック音楽の肝である。

それが実はサウンドトラックとしての汎用性を大きく支えキャッチーな感触を守りつつ、そこに集まるそれをイメージする人間たちにフィジカルに作用するドライヴ感覚を発動させる根源的なエネルギーを滾らせるのだ。

つまるところ、サッカーやってる時に流れてくりゃ、うぉぉってもうちょい走れそうなエネルギーがある。

サッカー見てる時に流れてくりゃ、どこかサウンドトラックとして光景と乗っかれて抜群の感触を残してくれる。

 

俯瞰で見た緑のピッチ、フィジカルのぶつかり合いの苛烈さ、鮮やかなボールコントロールの興奮、セットプレイの静寂と美しい放物線の軌道、ゴールの瞬間の観客の熱狂、更にはスタジアムにユニフォームを来て向かう人々、ボールを追いかける子供達、女の子からシニアまで、そういう光景に大きく包括的に合うには、自然と身体を動かしているロックの空間支配的なドライヴ感覚と抜群に合うのではないかと思っている。

 

Football Needs a Soundtrack

フットボールサウンドトラックとはロック音楽である。

スポーツのサウンドトラックとして汎用的に包括的にマッチするものであり、既に相性の良さは確固たるケースがあり、根源的な魅力に既視感・表層的なドライヴ感覚もカルチャーとしてフィットする。

流れてきて、おっ、と、もうちょっと走れる様な、エネルギーと幸せが湧き上がる様なサウンドトラック。
それが僕にはロックじゃないといけなかったし、真剣に考えてみたら我ながら間違ったことは言ってねーな、と思う。
互いを助ける助長性、イメージへの整合性どちらもがあって、ハイブリットに作用するマジカルに弾ける瞬間がたまらなく楽しい。
 
サッカーとロックに魅せられた人生を巡る事はもう決まった。
とことん両方とも楽しみたいのだ。
サッカーとロックが、共鳴するともっといいし、お互いがお互いを未来に運ぶようなサウンドトラックカルチャーとして根付けば素晴らしい。
サッカーとロックを結びつける旅は続く。
ロックの中でもなんだって良いわけでは無いしね。
 
 
長い文、お付き合い頂いた方、ありがとうございました。
それでは、また別の記事で。
 
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