Football soundtrack 1987-音楽とサッカーに想いを馳せる雑記‐

1987年生まれサッカー・音楽(ROCK)好きがサッカー・音楽・映画などについて思いを馳せる日記

フットボールのカリスマ。-イブラとカントナに想う事-

フットボールのカリスマとは。

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フットボールは紳士のスポーツ。と言い切るのは大嘘であり。
騙しあいであり、格闘技であり、プライドのぶつかり合いなのである。
そこにわずかにある紳士さというか粋さみたいなものも加わるからこそ、ドラマが生まれるのだ。
紳士的なだけ、上手いだけの選手は王にはなれない。
 

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王になるには。
人を惹きつける華麗なテクニック、敵をなぎ倒す抜群の身体能力、だけでは足りない
自分が決めるという強烈なエゴを放ち、どんな言葉にも動じない精神力。
それがカリスマとなり、王として人々を率いる最初の条件になるのだ。
 
そんな事をマンUデビュー戦でのイブラヒモビッチのゴールを見ながら考えていた。
この勢いのまま、サッカー界においてのカリスマについて想いを馳せる。
 

サッカープレイヤーの悪

サッカーっていうスポーツは不遜な態度を取るプレイヤーが多い。
というか、そんな行為がファッションとして定着してる感もあって、日本のアマチュアフットボール界ではそんな輩が自分達のサッカーの質を下げているとも知らずに跋扈している。
口では大きい事をいい、プレーでは相手をナメる様なプレーを魅せるプレーと勘違い。自分にカリスマがあると信じているが、周りの温度と自分の感触の差に恥じらいを感じイラつきを隠さない。
なんか悪口になってしまったが、要するにここで言いたいのは、カリスマってのはそういう事ではないって事だ。
 

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悪童やビックマウスと評されるプレイヤーは世界にも多いし、それが名プレイヤーの玄関口みたいな風潮もある。
一握りのカリスマプレイヤーだって若い頃は悪童の一人だったり、ビックマウスな若者っていう評価だった。
ただそれでも、口だけ野郎にならずに、自分の強烈なカリスマを自覚しながら、有言実行する姿に人々は付いてくるのだ。
 
今回のイブラヒモビッチはまさにそれ。
ヨーロッパ各国で王冠を手にして、華の都パリでは芸術的な王者になり続けた。
盛大なセレモニーでパリを後にしたイブラは自分でハードルを上げに上げまくって、マンUを最後の旅の場所に選んだ。
 

 

もう一人のマンU伝説のカリスマ、カントナから、祝福されつつも「王にはなれない、マンUの王は俺だからな」と釘をさされても、「じゃあ俺はマンUの神になる」と粋な返しをしてみせる。
プレッシャーがないわけがない。カントナは英雄だ。プレミアは最高峰だ。
その中で開幕戦ゴールという最高のスタートを切った。あまり見ない強張ったままの表情での渾身のガッツポーズに開放感が滲み出る。
そこにまたドラマがあっていい。
 

白と黒、そしてそうでないもの

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カリスマになりかけなのか、見せ掛けなのかわからないがそんな選手はいっぱいいる。
あくまで個人的な意見になるが、バロテッリだってきってのビックマウスで悪童だけど、今の所ただのサッカーの上手い不良だし、日本ではカリスマみたいに扱われてるけど本田圭佑も、取り組む姿勢とかは素晴らしいと思うけど、どうしても自分の言葉に追われているような印象がある。
そこに粋な感じを感じないのだ。
 
もちろん、謙虚に真摯にプレーするカリスマも多い。
ジタンとかはその最右翼だと思う。
謙虚と大口がどちらがいいかはわからないので善悪という区別はつけられないけど、イメージ的には黒と白で色分けができる。
模範的で正しいカリスマが白ならば、ビックマウスで周りをかき回し、実力で雑音をねじ伏せ不敵に笑うのがブラックなダークヒーロー
危険な香りこそするが、勝ったものが善という勝負の世界において、強いからこそ魅力があるのだ。
正義の反対は別の正義なのだから、その戦いにこそ魅惑のドラマがあるのだ。

 

カリスマとは

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カントナイブラも全てを手にしたわけではない。
ただそれでもカリスマとして王として認められているのには、強烈な自我結果に対する猛烈なこだわり、そしてそれを隠さずに周囲へ披露する王としての振る舞いが、そうさせるのだと思う。
ファンはその結果に敬愛と感服、そして感謝の気持ちまで抱く。
それこそが君臨するものの資質だ。
全ては手にしていなくても、そのストーリーだけで十分。
そのストーリーを自分で描いてやろうって気概がある。
 
上で粋という言葉を使ったが、紳士的っていうのは、粋って意味もあるんだと思う。
日本だって大将ってのは粋なもの。
なんかその余裕というかウィットに富んだ感じが素晴らしいフットボーラーに本当に必要なものな気がする。
そんな事を思ったイブラヒモビッチのゴールだった。