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Football soundtrack 1987-音楽とサッカーに想いを馳せる雑記‐

1987年生まれサッカー・音楽(ROCK)好きがサッカー・音楽・映画などについて思いを馳せる日記

【忘れたくない選手】アイマールに想いを馳せて 中篇1‐甘い魅惑の天才プレイヤーのフットボール人生‐

www.footballsoundtrack.com

前篇からの続き
 

4.アルゼンチンの神童

1979年生まれのアイマールの才能に最初に目をつけたのは、アルゼンチンの国民的クラブ、リベール・プレートだった。

かつてベロンも所属していたエストゥディアンテスのジュニアでプレーしていたアイマールがリーベルのスカウトを受けセレクションに参加した。それが14歳の時。
下部組織の練習に参加した後、これを逃すまいと当時のユースコーチがセレクションを受けるように熱心に説得をしたという。
 
中流階級育ちだったアイマールには、学業に力を注ぐ道も残されていたが、その熱心な説得に家族(父も実はサッカー選手。同じ苦しみを味合わせたくないという気持ちもあった)も折れ、サッカー選手の道へと歩き出す。
何の問題なくセレクションを通過、その後トッププレイヤーの水準でも早めの17歳という若さでトップチームデビューを飾る。
 

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華奢な体格にブカブカの白いユニ姿、あどけなさは残る風貌だったが群を抜いたテクニックでいとも簡単にチームの中心となる。
さらにほぼ同時期に盟友ハビエル・サビオラをチームに迎え、若き天才同士のデュオはとてつもない才能の片鱗をみせつけ、マラドーナ以降のサッカー王国アルゼンチンの新しい時代の到来を予感させた。
事実その年のU-17世界選手権で3位、2年後のワールドユース選手権で優勝を果たし世代世界一の称号を得る。
 
サビオラやカンビアッソやリケルメやサムエルなど、後にサッカー界を代表するビッグネームとなる戦友達とともにキャリアの出だしとしては、考えられる限り最高のスタートを切った。
 

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確実にこの波は大きくなる、この前途洋々な若者達が今後どうなっていくんだ?と、サッカーファンの醍醐味的な期待を受けて、アイマールは欧州トップレベルへの挑戦が待った無しの段階へと進む。
イタリアやドイツなどのビッグクラブからも打診があったが、アイマールは彼によく似合う太陽の国スペインを次の挑戦の舞台に選んだ。
 
 

5.バレンシア加入

 
 
2001年冬、約25億円の移籍金でバレンシアCFに迎えられたアイマール。移籍金が高騰していた時代ではあったが、この金額は名門リーベル史上最高額となった。
自身も好きだった現バルセロナ監督の攻撃的名手ルイス・エンリケが現役時代に愛した21番を背に、アイマールは挑戦をスタートさせる。
 

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当時のフットボール情勢は、90年代後半からの守備戦術の進歩により、より洗練されたフットボールが勝利し始めた時代だった。
高いディフェンスラインでバイタルエリアへの重圧が分厚くなりスペースがなくなった事により、中盤を省略化する速い攻撃か、あるいはチャンスメイクの起点をサイドや中盤の底に移し攻撃を組み立てる戦術が増えた。
トップ下に全権を委任するフットボールは、徐々に旧時代的とされ、トップ下の選手は徐々にその持ち場を剥奪されFWやサイド、あるいは中盤の底へと転換を強いられる事も多くなっていた。
 
だが、それでもたった1人で守備に風穴を開けられるファンタジスタの閃きは大きな価値と認識されていた側面もあり、チームのバランスを崩してでも、攻撃的に自由を与える、或いはそれすらも考慮してチームバランスを作り上げるチームは、時代へのアンチテーゼ的なストーリーも感じさせ確かな熱狂を創り出す事が出来ていた。
攻撃=美しいという等式が根本に根付くスペインサッカーは、なおさらその傾向が強い。さらにリーガ全体が大きな変革期にもあった。
銀河系を形成しつつあったマドリー、凋落から再び覇権を取り戻せる陣容を揃えつつあったバルサ(盟友サビオラも加入)、デポルティボを筆頭に戦国時代をまだまだ続けたい実力派中堅クラブ達と、長く続く太陽の時代の兆しを感じ、世界最高リーグへと成長を遂げつつあったのである。
 

6.リーガでの戦い

 
さて、スペイン第三の都市をホームとするバレンシアは、リーガエスパニョーラでもマドリー・バルサに次ぐ三番手の強豪とされる。
 

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かつては闘牛士マリオ・ケンぺスや98年W杯を思い出させるクラウディオロペスやオルテガも所属していて、アイマールの少し前にアジャラも移籍してきている、何かとアルゼンチンと繋がりの深いクラブでもある。
アイマール移籍当時のバレンシアは、90年代中盤の停滞期を打破し、古豪から強豪へのカムバックを果たしつつあった時期だった。
 
固い守備からのソリッドでダイナミックなカウンターアタック。整頓された守備という時代の流れをしっかりおさえながら、確かなスペクタクルがあった。
停滞期には定まらなかった戦い方も、守護神カニサレスを筆頭に固い守備陣を構築し、メンディエタらを中心とする攻撃、ラニエリの規律とクーペルの哲学という頭脳派監督リレーで着実に戦国時代を勝ち抜くベースを作り上げたのだった。
1999‐2000シーズンはリーガ3位、CL準優勝を果たし、2000‐2001シーズンも2年連続のCL準優勝とその勢いは加速する一方で、欧州でもトップレベルのクラブへと変貌し、まさに黄金時代を迎えようとしていた。
アイマールの移籍は挑戦環境としては最高のタイミングであり、その黄金時代の中心となったのも他でもないアイマールだった。
 

7.バレンシアのアイドルへ

 

すでに半分が過ぎていた2000‐2001シーズン、バレンシアはリーガではCL圏内、CLでは2年連続の決勝進出を狙って好位置につけていた。その戦いの真っ只中にアイマールはチームの一員となった。
いきなり最高峰の戦いに身を投じた形となったアイマールだったが、まるでその席が予め用意されていたかの様に、極めてナチュラルにフィットした。
 
僕はたまたま、このシーズンのCL準々決勝、アンリやピレス、ビエラなどを擁するアーセナルを破った試合をライブタイムで見ていた。
 

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予備知識も何もないまま、どちらかと言えば当時スター街道まっしぐらだったアンリのプレーを見たくて深夜まで起きていた様に思う。
そこで4‐5‐1のトップ下に入っていたアイマールのプレーに、ものの数分で心を奪われた。
ミスなんて一回もなかったんじゃないか、一度もDFにボールを触れられてないんじゃないか。
うる覚えな記憶だし、思い出補正みたいなものもあって、しっかりとしたレポートにはならないが、それでも大きな衝撃があった事は覚えている。
まさにマエストロ。自ら軽快なボールタッチでゲームのリズムを作りながら、自チームを相手チームを操った。
確かにアンリも上手かったしゴールも決めていた。それでも試合を通したアイマールのプレーに一発でファンになった。
結局その試合でもノールック気味の股抜きスルーパスで決勝アシストを決めて、勝負を決めたのだ。
 
こうして冬の移籍からレギュラーポジションを手にしたアイマールは、その後も攻撃のタクトを振り続け、シーズン序盤から続いたバレンシアの快進撃を、1番選手達が体力的精神的にキツイ時期に後押しする事に成功する。
CLでは見事に前シーズンに続き決勝に進出し、バイエルンミュンヘンと対決。先発でアイマールもプレーしたが、惜しくもPK戦で破れ、準優勝に終わる。
しかしそれでも2年連続のCL準優勝、終盤の息切れはあったものの厳しい日程の中リーガも5位に滑り込み、来季のUEFAカップ出場権をきっちりと獲得する戦いぶりに、ファンの顔は明るく、近い将来の栄光を信じて疑わないポジティブな反応がほとんどだった。
それは結果だけでなく、このシーズンわずか半年間でアイマールが見せたプレーが、信じるに足るどころかクラブに栄光をもたらすスケールのものだと、確信を得たからに他ならない。
ベースとなる骨組みはできていたバレンシアにとって、主役となれるポテンシャルをもったアイマールの存在はとてつもなく大きく、あとはそれが最高の補強だったと証明するだけ。
 
今か今かと待ちわびるファンにとって、歓喜の瞬間はもうすぐそこまで迫っていたのである。
 
【中篇2へと続く】