リバプールの英雄に想いを馳せて 2019.10.17 リライト
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ジェラードのプレーヤーレビュー
プレースタイル
英雄の条件
The Raconteurs ’Salute Your Solution’
The Raconteurs ’Salute Your Solution’
Jリーグが煌めきを加速させている。
爆弾資本の投入から起きたバブルは、徐々にリーグ全体をグローバルにモダンに形を変え最盛期を迎えようとしてるのかもしれない。
極東の島国のリーグに取って隆盛の大きなバロメーターになるのは自国リーグ出身の選手が海外で活躍するか、又は自国に海外で活躍した選手がいるか、である。
それで言えばイニエスタ、ビジャ、日本で引退したフェルナンド・トーレス、ポドルスキー、ジョーが揃う今のJリーグの価値は高まっている。
確かにイニエスタはバカみたいに上手い。
1つの国のサッカーリーグの価値を1人で変えてしまうほどの選手だと言うのも間違ってはいない。
そんな今のJリーグは面白い。
でも、それでも僕はストイコビッチがいるJリーグが大好きだった。
史上最高のJリーガーは間違いなくこの男だ!ストイコビッチ スーパープレイ&スーパーゴール集 名古屋グランパス●Dragan Stojkovic Goals & Skills
きっとJリーグ史上最大の幸運はドラガン・ストイコビッチが居た事だ。
青春時代の補正の映像だからなのかもしれないが、ストイコビッチの1人のプレーで今のJリーグより輝いていたかもしれない、とさえ思う。
世界屈指の実力者であり、そしてスマートなエンターテイナー且つファイターでもあった。
もちろんサッカーファンとしてJリーグの発展を願うしイニエスタは見たい。
でも僕はストイコビッチが居たJリーグが好きだった。逆に今そうやってあの日々は輝くのかもしれない。
そんな今日はドラガン・ストイコビッチに想いを馳せる長編。
お楽しみいただけると幸い。
その後は前回優勝のあのディエゴ・マラドーナ率いるアルゼンチンとPK戦にもつれ込む死闘を演じ、ストイコビッチは最初のキッカーで失敗してしまう。
それすらもどこか絵になる様で、主役の1人としてのW杯を終えた。
1990 World Cup Yugoslavia vs Spain (Dragan Stojkovic)
長年、音楽ファンをやっていると、バンドと共に歳を重ねるという喜びも知ることが出来る。
その点サッカー/フットボール界では引退が早く、自分の青春期を共に過ごした選手を追い続ける事はできないが、それでも辛抱強く彼らを追っていれば彼らと瓜二つの二世フットボーラーに想いを馳せる事も出来る。
毎年訪れる欧州サッカーシーズン。開幕前はテンション上がるがいつも全部は見切れない。
そこでスポットライトを絞って楽しむのが良いかもしれない。
今回は名選手を親に持つ2世フットボーラーに想いを馳せる。政治家とは大違いだぜ。
94年のアメリカから98年フランスくらいまで世界的に席巻した名選手たちのDNAが今花開こうとしているのだ。
往年のサッカーファンは必ず名前を知ってる名手揃い、是非追いかけてもらえると幸いだ。
父親は20世紀を代表するGKで長らくデンマークの守護神を務め、90s全盛期のマンチェスター・ユナイテッドのゴールマウスも守り続けた英雄ピーター・シュマイケル。
キーパーという息の長いポジションというのもあり、まだまだピーターの活躍も記憶に新しいが息子のカスパーも31歳でベテランの域。
プレミアリーグではレスターに所属し欧州サッカー近年最大のサプライズ、ミラクルレスターの正GKを務め、ロシアW杯ではデンマーク代表の守護神として出場。
ビッグセーブを連発する父親顔負けのゾーンの深さを見せ、堅守型のチームを牽引しベスト16進出。
決勝トーナメントのクロアチア戦は死闘となったがゴールに鍵を掛け続け、同点のまま延長後半にはモドリッチのPKを完璧に止め正に起死回生のセーブを見せる。
PK戦でも2本のストップをみせたが、父親に並ぶベスト8へは進出出来なかった。
それでもPKを止める度VIP席で現役さながらのガッツポーズを決める父ピーターの姿はW杯全体で見ても強烈な印象に残り、誇りある親子としてその歴史に名を刻んだ。
父親はアイスランド史上最高のストライカーで、チェルシーやバルセロナ在籍時も時代のスター選手を押しのけ重用された超万能型FWエイドゥル・グジョンセン。
実はエイドゥルの父親もアイスランド代表FWで、エイドゥルの代表デビュー戦は父との途中交代だったという逸話もある。
そんな国家レベルのサッカーDNAを持つエイドゥルの息子は4人おり、その全てが逸材。
20歳のスヴェンは父のプレー経験のないイタリアを闘いの舞台に選びセリエBで奮闘中。
16歳のアンドリはレアル・マドリードの下部組織に移籍し、その影響で13歳のダニエルもバルセロナからマドリーという禁断の移籍を育成年代でかまし、大きな話題をさらった。
アイスランド旋風に沸いたサッカー界、名手グジョンセンの息子は小国の新たな英雄になるかもしれない。
父親は20世紀最後のスーパースターであり、銀河系で最も寡黙で最も美しかったフランスの将軍ジネディーヌ・ジダン。
現役時代から長く在籍し昨季まで監督を務めた彼のキャリアの象徴的なレアル・マドリード下部組織出身の4人の息子がいる。
4男エリアスこそまだ12歳以下のカテゴリーだが、その他の3人は既にプレーの全貌が明らかになってきている。
レアルからのレンタルで武者修行を続ける長男エンツォのプレーは言葉を呑むほどジダンのプレーそのもの。
ストライドの大きいステップ・しなやかなターンやシザース・少し猫背なプレーもまるで生き写しだ。
次男でGKのルカもレアルのセカンドカテゴリーで昇格を虎視眈々と狙い、3男のテオは上の2人を超える超逸材という噂。
永久保存されるべき史上最高クラスのDNAは今後、どう輝いていくか?サッカー界でも大切にその才能は守るべきだ。
チェザーレ、パオロの親子鷹は既にイタリアではレジェンドであり、特にパオロは史上最高のサイドバックとして90年代を席巻し、ミランはその栄誉を称え彼の3番を永久欠番とした。
その3番を継ぐ事が出来るのはDFとしてプレーする長男クリスティアンのみ。
ミランユースからトップへの昇格へは叶わなかったクリスティアンは現在はセリエD相当のチームでプレー。
険しい遠回りの道だが、まだ22歳のクリスティアンがミランの3番を着てプレーするチャンスは十分に残されている。
16歳の次男FWダニエルはミランの下部組織U-16クラスで早くもスクデットを獲得しトップを目指して奮闘中。
ミランの黄金期はマルディーニの名無しでは語れないはず、この兄弟が揃ってこそ真の復権はあり得るのかもしれない。
エンリコ・キエーザはセリエAで130ゴール以上決めている伝説的なFWで、代表での活躍よりクラブでの活躍が軸だった為、知る人ぞ知る感もあるがセリエA黄金期に猛烈に輝いていたFWだった。
息子フェデリコはその才能を全面に受け継いだジョカトーレぶりを見せている。
フィオレンティーナの生え抜きとしてトップデビューし効果的なプレーを連発、そのまま20歳でイタリアフル代表に召集され、テストマッチではあるがアルゼンチンからPKを奪取する好プレーを見せている。
父に似た幅広いプレーが可能な何でもできる器用さを持っていて、中盤前線左右問わずプレーするマルチプレーヤーで、チャンスメイクはもちろん自らゴールも狙える希少なアタッカーだ。
地に堕ちたイタリア代表の僅かな光明として、期待がかかる良血統選手。
父リリアン・テュラムはフランス史上最高のDFとして98年W杯と2000年欧州選手権の優勝に多大な貢献を果たした。
抜群のフィジカルと冷静な戦術眼でユベントスでもDFの要としてプレーし続けフランス最強時代の象徴でもあった。
2人の息子も十分にその素質を引き継いでいる。
長男マルクスはリーグアンに所属。FWとしてプレーし得点能力に磨きをかけ世代別代表にも順調に召集され続けている。
次男のケフレンは父と同時代を席巻したパトリック・ヴィエラ二世と言われる逸材MFで16歳ながら既にユベントスがモナコからの強奪を狙っている様だ。
再び強くなったフランスはまだまだ逸材に恵まれそうである。
東欧のマラドーナとまで言われたルーマニアの英雄的プレーヤー、ゲオルゲ・ハジ。
10番が似合う東欧最高のファンタジスタで、超越的なテクニックでルーマニアを世界の舞台に導き続け、レアルとバルサでプレー歴のある不世出の天才として名を馳せた。
長男のヤニスは伝説的な父の名を背負いながらも、飄々とプレー出来る天才ぶりを若くして発揮していた。
父が立ち上げたルーマニアのチームのユースからデビューするとフィオレンティーナでの武者修行を経て2017年より母国に復帰。
19歳にして、落ち着き払ったテクニカルなプレーはボールを持っているだけで期待感に溢れる類のもの。
両足を遜色なく使うオーソドックスながらバリエーションに富んだプレーはハジらしいセンスに満ちている。
世代別代表でもずっとエースを務めてきた、ルーマニアの未来を担う存在として更なる開花が期待される。
以上、10人の選手に想いを馳せました。
どちらかといえば何かとネガティヴな見方をされる事が多い彼等ではあるが、それでも浪漫の方が勝るのがDNAの凄さ。
絶賛脳裏から離れない彼らの父親の幻影を塗り替える様な活躍を期待したいのだ。
その瞬間こそファン冥利につきると言うものだ。
それではまた別の記事で。
今、中村俊輔は何を思っているのだろうか。
スポーツ業界に長く居るマフィアみたいな記者達なら、もっと彼の近くで心境を聞けたり、誰も知らないエピソードを濃密に取材できるだろう。
それでも今僕にできる事も、彼について想いを馳せて、形にすることだ。
今このファンタジスタはエンドロールを迎えようとしている。
いつもご覧いただいている皆様ありがとうございます!!
少しずつ書いてきた忘れたくない選手のレビューが増えてきたので、多くの人に見て頂いている順番にリライトし、まとめたいと思います。
知らない人は知るきっかけに、少し知っている人は忘れないように、ぜひ読んでいただけたら幸いです!
数々のサッカー界の巨星が集った銀河系レアル・マドリードにおいても、14番はずっと彼のものであり続けた。
まるで夢遊病患者の様に89分はピッチをフラフラとする、が残りの1分で不可能なレベルのゴールを鮮やかに決めるマジカルレフティ。
途方もなく崇高で、美しく優雅な史上最も上手いプレーヤー。
「ゴールを守る」「ゴールを奪いに行く」両方やらなくちゃあならないってのが「MF」のつらいところだな。覚悟はいいか?オレはできてる。
長編。最も好きなプレーヤー。
僕にとって、ロナウドの名前は彼のもの。
ミニマルでマジカルなファンタジスタ。
どこまでもスタイリッシュに、エレガントなパスを出し続けた。
何から何まで異端で最高峰の当代ナンバーワンプレーヤー。
禁断の移籍と銀河系での輝き、そのドリブルは出来そうで誰にも真似出来なかった。
まだまだリライトしつつ、新しく選手にも想いを馳せて行きます。
素敵な暇つぶしになれば幸いです。
それではまた、別の記事で。
2019.6.21 リライト
スポーツには浪漫が欠かせない。
六角形のグラフで能力を表した時、綺麗な六角形を形成するよりも、尖ってる歪な形の方が浪漫を感じるのは、スポーツファンの冥利に尽きる。
そして能力的に疑問は全くなくとも、実際の結果はそうは行かない事もある。
それも実に浪漫である。
そういう選手は、普段やきもきもするが、その反動もあって大きく花開いた時は忘れ難い輝きを産む。
彼の実力をすれば当たり前だ、いやそれでもすげぇ。
そんなFWが点を重ね続けた光景は、死ぬまで忘れない鮮やかな光景として残ってる。
今回はそんな思いを抱いたFWに想いを馳せる。
10代からスペインの神童と呼ばれたフェルナンド・トーレスは、数字でも印象でも測り難い選手だ。
ポテンシャルからすると、及第点なのか?というどうにも測り難い成績が続いたり、時
折見せる絶好調時のプレーからすれば、何試合かゴールのないトーレスはゴール前で散
歩してるだけの様にも見えた。
不安定というか、不器用なんだろう。
プレーヤー的には器用な方だ。
点取り屋としてオーソドックスにバランス良く全ての能力を兼ね備えている、だが僕ら
にはわからない、もしかすると本人にもわからないほんの些細な綻びからその能力を発
揮出来ない事に陥る。
ただそれがハマった時は、君こそヒーロー状態だった。たぶん一生忘れない。
いつまでも垢抜けない様に見えるつぶらな瞳は、ナイーブで頼りなくもあったり、颯爽
とした不敵さに満ちていたりして、見続けていると吸い込まれるような得も知れぬ魅力
に溢れている。単に顔がいいだけじゃないぜ。
それを人は浪漫というのだろう。
本日はフェルナンド・トーレスに想いを馳せる。
1984年スペイン・マドリード生まれのトーレス。
最初にアトレティコでプロ契約をしたのは、1999年わずか15歳の時だった。
恵まれた体躯、圧倒的なスピード、ずば抜けたゴールセンス、更には甘いマスクも相まってアトレティコ・マドリードは、新しいクラブのバンディエラを15歳のトーレスに託す事を早々に決めた。
15歳のカテゴリーで欧州の年間最優秀選手に選出された神の子の前途は、見た事がないような歴史的なものになるとスペインの誰もが予測していた。
Fernando Torres ● All 100 Goals for Atletico Madrid ● HD
当時2部だったアトレティコで17歳でデビューを果たし、一部昇格を果たすとその2年目には、なんと19歳にしてキャプテンマークを巻く。
チームからの桁外れの期待を腕に、重要な試合でのゴールや、好調時の爆発力で存在感を強め世界トップレベルのプレーの片鱗を見せ始める。
レアル・バルサと共にリーガ三強と呼ばれた80年代を取り戻すまでには行かなかったが、それでも苦しい戦力の中、少ないチャンスでゴールを重ねたトーレスにサポーターは再建の象徴として希望を抱いていく。
好不調の波が大きい事が珠に瑕だったが、若さ故の限定的な問題であると思えたし、なんだかんだ1シーズン15得点前後を重ね続ける成績は十分だと言えた。
チームとしてのアトレティコは、多くのチャンスを生み出すチームではなかった。
チームの顔として引っ張っていたトーレスのプレーとは、一種の歪みすら感じられることも多かった。
ゴールを速く直接陥れられるプレーの質を持つトーレスだったが、そのトーレスと噛み合わずパスラインが繋がらない事もしばしばだった。
見方によっては歴史は繰り返す的、神童の凋落に有りがちな、象徴的な孤立という自体はもうそこまで迫っているようにも見えた。
中位以上には成績を上げられず、ジレンマを感じる事が多くなり、前線で独りの時間を過ごすことが多くなったトーレス。
そう見えた2000年代中期、スペイン代表や欧州カップで国際舞台を経験したトーレスが外の世界にも目を向けだしているのは、まことしとやかに報じられ始めた。
アトレティコは断固として移籍をさせないという構えを見せたが、彼の元へと届くオファーは日に日に増えていく。
クラブも最適な判断を下さないと時を逃す。
何度目かにもなったレアルとのマドリード・ダービーでの敗戦でトーレスの心も動き、2007年オフ、フェルナンド・トーレスはイングランド・プレミアリーグの強豪リバプールへと移籍を果たしたのだった。
当時世界最高峰の絢爛を誇っていたプレミアリーグ。
リバプールもビッグ4に名を連ね、チャンピオンズリーグにも顔を出す欧州の強豪であり、歴史ある情熱的なチーム。
ここでのトーレスの活躍は、例えば1‐2シーズンの活躍のみで切り取ったフットボール歴代のベスト11を選ぶなら、リバプールのトーレス、という存在は確実にノミネートされるだろう。
そんな唐突で予想以上の大爆発だった。
ALL Goal of Fernando Torres at Liverpool
最初のシーズンで外国人シーズン得点記録を抜き去るリーグ24得点を記録。
連続ハットトリックや、8試合にも及ぶ連続得点など、ド派手なインパクトで、あっという間にリバプールのアイドルとして歴代のレジェンド達を抜き去る印象的な活躍を見せた。
C・ロナウドやセスク・ファブレガスなど巨大な成績を残す外国人選手に成績面では一歩見劣りするが、リバプールという浪漫志向でアツい魂を持ったクラブのニューヒーローとして絶賛される活躍を残したのだ。
体感的にはまるで一夜にして成した成功物語。
これぞ、アトレティコ・マドリーが契約した時に、人々が彼に見た未来の最高の形だった。
そんな浪漫的な夢が叶うという現実は、強烈に人々の胸を掴んだ。
彼に合っていたイングランド・フットボールの質、そしてシャビ・アロンソの様な彼に合うパサーの存在も大きく、結果的に当初は懐疑的だったトーレスの獲得は歴代に残るケミストリーを発揮したのだった。
その後のシーズンは、怪我もあり全試合出場とは行かなかったが、得点率は異様とも言える高さで、鮮烈なインパクトを残し続けた。
結局所属した3シーズン半、出場した6割の試合でゴールを決める得点率を残した。人々の目にはその成績以上のインパクトが残る、会心の時代を過ごしたのだった。
莫大な報酬とともに次に過ごすクラブ、チェルシー・ミランでもここまでのインパクトは残せていない。
不調が長く、クラブとしてもワーストな成績に名を連ねる事もしばしばだった。
確変だ、とリバプール時代を揶揄する声も出ていたが、彼のプレーの中に成果を残した成功体験として残った事で、その先のキャリアでも、勝負強さを放った瞬間があった。
不器用なりにも、したたかに不敵にゴールを陥れた後に見せた笑顔は、現実離れしているようなリバプール時代を経たからこその、味のある表情だった。
古巣のアトレティコに戻り、シメオネ旋風に湧くチームをベテランストライカーとして支え、日本中が沸いたサガン鳥栖への移籍で夢を与えてくれ、2019年シーズン途中に引退を発表。
全然変わらないあどけない瞳の奥には、不敵さが煌めき、頼もしさが増したようにも見える。
最後まで頼もしくなったと、言い切れないような雰囲気が、また浪漫があっていいのだ。
典型的なストライカータイプの選手と言っていい。
パス回しや組み立ての部分には参加せず、前線から下がることはなく、常にDFラインと駆け引きをしてプレッシャーを与える事が出来る根っからのFWである。
Fernando Torres ● The Legendary Liverpool's Number 9 ● Best Goals & Skills for Liverpool | HD
ストライカーに必要な能力、すなわちゴール前で必要なスキルを全て高水準で備え、それを見せびらかすと言うよりは、じっくり牙を研ぎながら躍動する瞬間を待ち続けている選手だった。
ずば抜けたスピードをベースに、長い脚のストライドを活かしたボールタッチは、最短距離に最速でゴールへ迎えるアイディアに満ちている。
長身でしなやかなフィジカルで、シンプルにボールを収めるポストプレーも十分に機能する、しかしそれも彼がゴールを陥れる布石であり、瞬時に反転しDF置き去りにすることが最大の狙いだ。
とにかく、ゴール前で行う全てのプレーがスピーディーに、直接的にゴールを目指せる、不可能に近いスキルを持ち合わせていたのだ。
そういう能力を90分間で一度だけでもいい。
見せてくれれば、チームを勝利に導ける。
ただ歩いたり止まったりを繰り返しているように見えるが、どんな状況でも常にゴールに直結するタイミングで動き出している。
だからこそ大舞台での集中力がケタ違いに恐ろしく際立った。
チャンピオンズリーグやW杯という大舞台では、必ずと言っていいほど複数ゴールを重ね、ユーロでは優勝を決める歴史的なゴールも奪った。
ゴールを奪うための集中力を切らさずに、駆け引きを続ける天才性は、賞賛に値するだろうと思う。
FWというポジションでフェルナンド・トーレスは愚直に戦い続けた。
駆け引きを続け、技術を見せびらかす事はせず、職人の様にゴールを狙い続ける。
結果的にインポッシブルなスマッシングゴールが多く、鮮烈に輝くが、その裏には数多くの孤独な時間を過ごしている。
繊細なバランスでソレ以外が出来ない不器用でも、そこに居続ける事が彼には最適だった。
おそらくだけど、彼のためには彼の為のチームを作るって事でもないんだろう。
全体の些細なバランスですら、彼に作用するのだと思う。
ただそれでも、彼がゴール前にいるだけで、そこを目指して攻撃をしたくなるのだ。
それだけの輝きを見ているから尚更だ。
世界一ロマンを抱えた不器用なFWは、ピッチを去る決断をした。
凄くオルタナティヴな存在で、どんな選手よりも点を獲ったら嬉しい選手だった。
【Football soundtrack theme Fernando José Torres Sanz】
Kula Shaker ’Hush’
何か、人と違う事を、心に持って生きていたい。
何か人から聞かれたら「へぇ」と思わせる何かを持ちたい。
そんな僕が最も大好きなサッカープレーヤー。
パブロ・アイマールについて書いたプレーヤーレビューです。
1990年代後半から2000年代。急速に進化するサッカー界において、淘汰されつつあったからこそ、最後の輝きを残していたファンタジスタ達。
その1人にして、ディエゴ・マラドーナに「数々私の2世がいるが、金を払ってでもプレーを見たいと思うのは、アイマールだけだ」と言わしめ、リオネル・メッシのアイドルでもあったアイマール。
歴史上最高級の選手ではあるが、最高の選手ではないかもしれない。
オールタイムベスト11を選ぶ時、一番最初には出てこないかもしれない。
それでも僕は彼を選びたい。
そんなどんな名選手より、甘い魅力があったアイマールのプレーヤーライフを追うレビュー。
素敵な暇つぶしになれば幸いです。
地球上のサッカー少年はもれなくキャプテン翼を読んで大人になったと言っていい。
この間40代のサッカーファンが、キャプつばを知らないハタチそこそこのサッカーファンを非国民扱いしていた。
世代の差はあるにせよ、長年のバイブル的なものなのだ。
それは世界中のサッカー選手にとってもバイブルであり、数々の世界的な有名選手が「俺も読んでた!」となると、日本人として少し誇らしくなる。
少しネタにすらされる必殺シュートの数々に少年の心は掴まれるのだ。
その翼の必殺シュートの中に、「フライング・ドライブシュート」というシュートがあるんだが、もし実写化するなら間違いなくゾーンからのアレッサンドロ・デルピエロのシュートだと思った。
漫画みたいな軌道でギュンと曲がり、キーパーが一歩も動けず美しい放物線を見送りゴールネットを揺らす。当時のサッカーゲームでも相当曲がってた。
美しすぎるその姿は、漫画の主人公のそのものだった。
デルピエロっていう名前も、アイコニックな強さを感じる。
そのサッカー人生も、まるでフィクションの様に波乱万丈。
本人が予期せぬその荒波も、漫画の主人公張りの技術と真摯な心の強さで乗り越えていったタフでセクシーな男。
今回はそんなデルピエロに想いを馳せるレビューである。
酸いも甘いも知った渋く人懐こい笑顔。
イタリアサッカー界屈指の伊達男は、こうやって苦難を乗り越えた笑顔が人を惹きつけた、華のあるサッカー人生だった。
1991年18歳でセリエBでプロキャリアをスタートさせたデルピエロは、1993年20歳で彼のキャリアの象徴的クラブとなるユベントスに加入。
当時バロンドールを取り、キャリアの絶頂にいたロベルト・バッジョの憧れの背中を負い、果敢に美しくプレーする若武者は、すぐにイタリアの新しいアイドルとなった。
ファンタジスタ全盛の時代、バッジョに不調の際のハットトリックなどで超新星の様に主役に躍り出ると、ゾーンからの美しいゴールを量産するデルピエロは、ACミランへ移籍したバッジョの後、10番を引き継ぎユーベのバンディエラとして歩み出した。
そこからユベントスは、セリエAを幾度となく制し、欧州制覇も成し遂げるイタリア最強クラブであり続けた。
その主人公は間違いなくデルピエロであった。
決勝まで怒涛の5試合連続ゴールでCLを制した1995年。
MVPを獲得した1996年日本開催トヨタカップでの技ありゴール。
1997年、インザーギと組んだ「デル・ピッポ」の2トップと、翌年フランスの新将軍ジネディーヌ・ジダンも加わった強力なトライアングルは間違いなく黄金期だった。
1998年、膝の大怪我を負いスランプに陥るも、その後2年連続で得点王になる鮮やかな復活劇。
90sのユベントス黄金期のドラマは10番デルピエロを主役に回っていたのだ。
Ultimate Alessandro Del Piero Show ● Magical Skills & Goals
そしてそのプレーもそうなのだが、それ以前に彼の人柄とか人間性が、正しさに満ち溢れていた。
イタリア代表で不調の時、次代のファンタジスタ、トッティにあっさりと10番を明け渡したり、イブラヒモビッチが移籍してきた時も控えに甘んじながら腐らずゴールを量産したりと、真摯で正直なその姿勢が最も彼の本質に近い。
ここまででも十分に主人公の経歴なのだが、イタリアは彼にさらなる苦難に貶める。
カルチョスキャンダルである。
いくつかのクラブの有力者が、審判を買収し自チームに有利な判定を長期間させていたという一大スキャンダル事件。
セリエA全体はたまた世界のサッカー界を揺るがせたカルチョスキャンダルにより、主犯のモッジがオーナーだったユベントスは過去のスクデットを剥奪された上、セリエBへ転落するという最も重い罰則を背負う事になった。
選手は何も悪くない、数々の主力が付き合いきれないと移籍する中、デルピエロはいち早くセリエBで闘い、セリエAにユベントスと共に戻る事を決意表明した。
どこまで勝敗にこの審判操作が影響していたかはわからない。
もちろんスクデット剥奪も当然の処置だと思うが、何よりもデルピエロ達の美しい芸術的なプレーが、ピッチ外からの横槍で怪我されてしまったことがファンとしては悲しい。
どうしたって、でもこの時はカルチョ・スキャンダルで、っていうフィルターがかかる。
それを取り戻す。そのためにもデルピエロはユーベでプレーし続ける必要を見出したのだと思う。
彼に呼応した名手の残留もあり、セリエBを制する実力はキープしたものの、彼は更に凄みを増すプレーを見せつける。
セリエBのチームもある意味お祭り騒ぎだった。
自分達のスタジアムに、デルピエロが、ネドベドが、ブッフォンが来る。
もはや歓迎ムードもある中、アウェイだろうがデルピエロはファンサービスを欠かさず、プレーでは怒涛の勢いでゴールを量産し、気持ちいいまでに粉砕された相手チームも賞賛を贈るしかないような、実現すること自体稀な’スターが2部に落ちた時’の模範的な姿勢を示した。
イタリア全土が彼を賞賛する中、セリエB得点王を獲得し一年でセリエAに復帰を果たした。
更に復帰初年度でいきなり得点王に輝き、2部と1部の連続得点王という、ある意味最も成し遂げづらい偉大な記録を達成したのだ。
その模範的な姿勢に記録もついてくる。
ユベントスでの200ゴールを達成し、歴代の最多出場者であり最多得点者となる。
記録でも記憶でもファンの心に焼き付いたファンタジスタは、今はアンバサダーとして穏やかな選手生活の晩節を歩む。
世界のどの場所でも喝采を浴びる彼でなければできない仕事である。
Alessandro Del Piero - Best Goals EVER
上背もスピードもないが、得点の型を持ち、そこに持ち込む技術が卓越していた選手だった。
左45度からのゾーンに入ったときのファンの期待感と、DFの絶望感。
同じようなゴールが多いという事は、それだけ必殺だったという事だ。
対峙するDFのタイミングを外し、巧みにコースを開け、美しい放物線でネットを揺らす妙技は、何度やっても止められなかったのだ。
DEL PIERO CAN DRIBBLE EVERYONE!!
通称デルピエロゾーンと恐れられ、彼の代名詞ともなったシュート力はもちろん、彼は言うなれば’ファンタジスタとしての総合力’に優れた選手だった。
9.5番と呼ばれるイタリアサッカー界のファンタジスタの位置付けは、攻撃の仕上げに関する全てのプレーで創造力を見せなければならない。
奪ったボールのカウンターの先鋒としてゴール前まで運びこじ開けるドリブル、前線でタメを作り決定的なチャンスに繋げるスルーパス、時に9番FWらしくクロスやラストパスに合わせる駆け引き、更には決定的な場面でゴールを沈めるFK。
そういうサッカーの主役の部分のプレーの総合力と創造性はピカイチだった。
細やかなボールタッチでリズムを掴ませず、繊細に鮮やかにDFを惑わせる技術でDFの思わぬアイディアを描ける、これぞファンタジスタの芸術性の粋だった。
時代もイタリアも彼に味方はしなかった。
ファンタジスタ全盛の時代でありながら、重なり合ったファンタジスタはすぐに排除される。
【Football soundtrack theme Alessandro Del Piero】
No Use For a Name ’Let Me Down’
サッカーの代表チームとは、名の通り国を代表する選手であり、それだけの能力と品格と実績を兼ね備えているメンバーが選ばれるものだ。
しかしながらチームなので、もちろん人数には上限が有る。
W杯や大陸別選手権といった一大目標になり得る大会のレギュレーションに則り、その規定の23人枠で基本的には動くものだ。
サッカーとは、その中で11人で試合をするわけであり、チームという組織なので、単に上手い奴を上から11人並べるってわけにもいかない。
ポジションがあり、役割があり、サッカーの種類があり。
そのマネジメントの中で、所属チームの中心/エースと言える位置にいる選手の、代表チームでの共存は、ナショナルチームにおける永遠のテーマだった。
AというエースとBというエース、どちらが日本のエースに選ばれるか。
もちろんチームからすれば、中心を変えず固定している方が、中長期的に見れば闘いやすい。
すなわち代表のエースとして残り続けるためには、才能と能力だけではなく、コンディションや活躍の強度や継続性、その時代の代表チームへのマッチ度も関わってくる。
能力と継続性・安定感そして運、そうやって全ての要素が噛み合った選手が、時代のエースとして代表のユニフォームを着続けるのだ。
構図としては、それで選ばれなかった選手は、「蹴落とされた」ライバルとなるのだが、そう言い切ってしまっては些か浪漫がない。
才能や能力に関しては、遜色ないどころか、この選手が躍動する代表を見てみたい、彼がエースの代表を見てみたい、そう思わせる圧倒的な才気に溢れたワールドクラスの現役日本人選手。
そんな選手が多い事に気付いた。
それぞれ様々な理由で、代表のド真ん中にいる時間は、現在代表の顔と言われる選手に比べ圧倒的に少ない。
それでも普段のプレーぶりと、その能力が想像させる代表での姿は、もしかすれば最強の日本代表なのかもしれないと空想させ、途方もなくロマンチックなものなのだ。
そんな選手に想いを馳せるべく、まとめてみました。
もちろん、まだまだ代表を狙える選手もたくさん。
期待とともに読んで頂き、素敵な暇つぶしになれば幸い。
日本サッカー界、歴代最高峰のジーニアス(天才)、柿谷曜一朗。
鍛錬の先にも辿り着けるか定かではない常識を凌駕する様なサッカーセンス、プレー範囲の広さを確保出来るしなやかで理想的な体躯、日本サッカー史上でも突出してると思える圧倒的なボールコントロール技術。
彼にとっては、ちょっとだけ難しいプレーの選択肢が、対峙するDFにとっては出来るわけのないプレーという、そんな理解の範疇を超えた技術という絶対的な優位性、それこそ柿谷の持ち味だ。
年代別の日本代表で、世界中が賞賛する様なゴールを決めるなど、華々しい活躍を期待された天才だったが、良い意味でも悪い意味でもプロ意識に悩まされるキャリアを送る。
キャリア前半はその意味がわからず素行不良の烙印を押され、キャリア後半はその反動か重く受け止め過ぎてしまい滅私奉公が過ぎる感が出ている。
20代前半で海外の道を選び、CLにも出場したが、大きな輝きを放つ瞬間はあったものの、継続性はなく帰国。
ザックJAPANでW杯直前に選出され期待をかけられるも、スタメンを外れ目立った結果は残せていない。
記憶に残る’上手い’選手の代表的なタイプであり、メンタル面やコンディション面でナショナルチーム向きではなかったのかもしれない。
だがしかしその上手さの次元は日本レベルを大きく超え、平然と世界を圧倒できるだろうテクニックには、見るものに大きなワクワクをもたらせてくれていた。
ムラこそあれど、彼が一瞬だけでもブルーのユニフォームでその極上のジーニアスぶりを発揮できれば、日本代表は新たなレベルにいたかもしれないと、今でもそう思うのだ。
もちろん、まだ老け込む年齢ではない。
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サッカーが上手い奴ほど「本当に1番上手いのは家長だ」と言う。
個人的な統計だが、頷けるサッカーファンは多いのではないか?
そんな世代最高のレフティーモンスターが家長昭博だ。
本田圭佑は彼がいたからガンバでユースに上がれなかった、というエピソードはそんなファンたちの語り草であり、若年期から「規格外」という言葉が似合う選手だった。
天才ならではのムラッ気は20代中盤まで抜ける事はなく、当時のガンバの西野朗監督を大いに悩ませた。
レンタル移籍を繰り返しながら時折その輝きを放ち、振れ幅は大きいもののハマった時のプレーは間違いなく日本に留まるレベルではなかった。
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ガンバユース、それを超えてJクラブユース史上最高の傑作は宇佐美貴史だ。
いかにも自信家で生意気そうなJクラブ育ちといった雰囲気、そして柔らかいシルキーなボールタッチに、曲線的でしなやかなドリブルスタイルは選ばれしエリート感満載なのだ。
育成年代から他を圧倒する桁の違うゴール数と格の違うプレーを披露し、最年少レベルでプロデビュー、高校3年時にはスタメンを奪取しMVP級のインパクトを見せる。
10代にして超ビッグクラブ・バイエルンから声がかかり、移籍を果たすという前代未聞のシンデレラストーリーを歩んだ。
あのバイエルンで縦横無尽に攻撃陣を牽引する衝撃的な試合もあったが、戦術的な未熟さが表出し次第に出場機会は減っていく。
その後のドイツ生活は難航し、Jリーグ・ガンバ大阪に復帰しまたもMVP級の活躍を経て、またドイツへ。活躍の場を2部に移すなど、圧倒的なパフォーマンスには程遠い。
このチームレベルでの不安定な燻りを表すように、代表でもザックやハリル、そして西野監督にもコンスタントに選出されるが、ジョーカーのドリブラーという印象が強くレギュラークラスとは言い切れず、時代の寵児としての存在感は出せていない印象だ。
だが、例え少ない試合数だったとしても、全てが敵なしだったあのバイエルンやガンバでの試合の輝きは絶対に本物だったと心に焼き付いている。
見るものをゾクゾクさせられるアタッキングスキル、更にはひれ伏せさせるような王者の風格がそこにはあり、チームの中心に据えてこそ、彼の力に頼ってこその宇佐美貴史なのだ。
【宇佐美貴史VS バルセロナ】これで当時19歳なんて考えられない。
オールラウンドなセンスを活かし、高いレベルで完成されたモダンな司令塔の清武弘嗣、彼がトップ下にいる代表は間違いなく強かった。
恐ろしいほど簡単に最高のタイミングで、最適なプレーの選択肢を取れる決定的なトップ下として、オールドファンも唸らせる浪漫溢れるプレーも魅せるし、合理的なプレービジョンと実現させるだけのセンスに溢れた、モダンなスピード感アスリート感も併せ持った新時代の選手タイプ。
プレースキックも任せることができ、幅広くチームの中心で活躍できる。
旋風を巻き起こしたヤングセレッソでエースナンバーを背負い、海外へと渡った香川の次の顔として家長や乾と共に魅惑の攻撃陣を牽引。
もちろん代表でもそれを期待された。
舞台を海外に移しても二桁のゴールとアシストを記録するなど、その能力を遺憾なく発揮するが、どうも上手く歯車が噛み合わないタイミングを持った選手だった。
ドイツのニュルンベルグではエース格で活躍するも、常に残留争うチームで二部降格も経験する。
夢を追ったスペインのセビージャでもEU圏外問題がネックとなるなど、実力は遺憾なく発揮できる機運みたいなものを逃してきた感も強い。
代表でもロンドン五輪はチームの顔として4位に貢献。
フル代表もコンスタントに選ばれ出場するが、怪我が重なり招集外となることが多く代表でもタイミングが重ならない。
2018年ロシアW杯の予選で定位置を確保しかけたタイミングでの怪我、ハリルの落胆ぶりは記憶に新しい。
悪く言えば器用貧乏的な能力、だがその面積の大きさでプレーの選択の汎用性は、恐ろしく大きく、彼みたいなプレーヤーこそ、即興性や即時適応を求められる代表で決定的な仕事を出来るはずだった。
Hiroshi Kiyotake || 清武弘嗣 プレー集 || 2012-13 || Skills Assists Goals
日本サッカーが永遠に待望する長身FW。
その中で、高さも可能性もズバ抜けていたハーフナー・マイクは逸材だった。
194cm90kgという武器と、思考もどこか日本人離れしていて、自らの色を出す事がチームに勝利をもたらすと知っているタイプだった。
もちろん高さもそうだが、それを活かすポジショニングや駆け引きにも長け、しなやかで柔らかいボールタッチもあり、ストライカーとしての嗅覚や才能は確実に備わっていた。
その分かり易すぎる武器が逆に、日本代表向きではなかった。
ユース年代の代表では9番を背負い、マリノスでプロデビューするも、得点を奪えずレンタル移籍を繰り返し武者修行。
すると鳥栖、甲府で爆発し、第2の故郷であるオランダ1部フィテッセへと移籍しここで大ブレイク。
スペインのサッカーには合わなかったが、最終的に海外生活ではオランダで通算50得点を記録し各チームでエースとして活躍した。
浮き沈みがはっきりしたキャリアで、タイミングが合わず代表でも多くの出場はない。
呼ばれてもスタメン出場はテストマッチのみ、あとは後半終了間際のパワープレー要員が常だった。
その強さを日本代表が活かせたのか?待望こそすれど、結局日本サッカーの形に固執し続けるのであれば、使いこなせないのでは?
規格外も代表にはなれないことが多い典型で、日本代表の闘い方自体も考えさせられる超大型のプレーヤーだった。
ハーフナー・マイク Mike Havenaar ゴール集 Skills & Goals 2015/2016
怪物という期待の新星を表すキラーワードの、日本代表における元祖は森本貴幸だった。
名門ヴェルディジュニアユースで発見されると、中学3年時にJ1に途中出場。
あの怪物ロナウドばりのシザースで突破を決め多くのチャンスを産み出し、そのシーンは何度も何度もお茶の間で流れた、衝撃的なデビューだった。
坊主頭の風貌もそうなんだが、ステップとドリブルのスタイルはまさしくロナウドで、スマートさよりもストライカーらしいゴリ押し感も、まさに日本に欠けていた待望のストライカーだった。
その後は緩やかながら出場と得点を重ね、18歳でセリエAのカターニャへ移籍。
ユースチームで爆発し10代でセリエAデビューを飾り、初出場でゴールを決めるなどその才気の規模が本物だったことを見せつける。
が、練習中に奇しくもロナウドと同じ膝の十字靭帯断裂という大怪我を負ってしまう。
なんとか北京オリンピックにも間に合ったが、3戦全敗。
その後イタリアで定位置を確保しユベントスから得点を奪うなど、インパクトも見せるが怪我が重なり、中東を経て2013年からJリーグに復帰している。
現在までのA代表キャップは10試合。
日本サッカー最大級の大器の期待からすると、どうしても少なく感じてしまう。
あの怪物ロナウドの様な活躍を、そんな期待はサッカーファン誰もが抱いていたし、あのロナウドと重なる選手が日本で出てきたのが衝撃だった。
森本貴幸 TAKAYUKI MORIMOTO 2004-2011
禁忌である「たられば」で考えた時、ここにあげた7人がマキシマムに躍動する姿を想像した時、どうしようもなく心が躍るのは、彼らの才気がさせる浪漫だからに他ならない。
今やサッカー日本代表は1つの歴史譚だし、もちろんそのエースとして大舞台で結果を残し続けてきた選手は、全てのサッカーファンの誇りだ。
でもそのスポットライトの少し外側に、これだけの選手たちがいたということを忘れないでいたいのだ。
それではまた別の記事で。